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25_冷たい殺意  レインハルトside


  ヴァルテンベルク公爵邸、本館の謁見室。

 重厚なマホガニーのデスクに肘をつき、僕は静かに目を閉じた。


 先日の王宮での舞踏会。

 あそこで起きた不愉快な出来事の余韻が、まだ僕の脳裏にこびりついて離れない。

 愛する妻、シャルロットの真珠色のドレスを汚した、あの毒々しい赤ワインの染み。

 彼女が短く悲鳴を上げ、悲しそうに顔を歪めた瞬間、僕の奥底でどれほど凶悪な殺意が暴れ狂いそうになったか、あの場にいた誰一人として気づかなかっただろう。


 僕は瞬時に魔力を編み上げ、あの忌まわしい汚れを消し去り、彼女に相応しい星糸のドレスへと昇華させた。

 周囲の貴族らはそれを「奇跡」だと持て囃し、僕たちを神の使いのように崇め立てたが、そんな称賛など僕にとっては何の価値もない。


 ただ、シャルロットが再び美しい笑顔を取り戻してくれたこと。

 僕の魔法の腕の中で、彼女がこの世の誰よりも輝いていたこと。

 それだけが真実であり、僕のすべてだった。


「閣下。お忙しいところ申し訳ありません」


 ノックの音とともに、謁見室の扉が開かれた。

 入ってきたのは、見慣れた騎士団の制服に身を包んだ青年。

 シャルロットの学生時代の同級生であり、現在は王国騎士団の部隊長を務めているリオネル・ヴァレンティーヌだった。


 かつて、魔法の使えないシャルロットを何かと気遣い、支えてくれていた「良き友人」。

 僕の妻に対して下心がないことは百も承知だが、それでも、彼がシャルロットに親しげに話しかける過去の記憶を思い出すだけで、無性に腹立たしくなるのは事実だ。


「構わないよ、リオネル。わざわざ君自ら足を運んでくれたということは、何か重要なことなのだろうね」

「はい」


 リオネルは生真面目な顔つきで僕の前に進み出ると、手にしていた報告書をデスクの上に置いた。


「王宮の庭園で閣下と奥様にワイン樽をぶちまけた業者についてですが……。通常裏口から入る業者が正門にいたことに、オレはどうにも違和感を覚えまして。独自に調査を進めました。結果、彼らは正規の搬入業者ではありませんでした」

「……ほう」

「本物の業者は王都の入り口で足止めを食らっており、あの二人の男は業者を装って潜り込んだただのゴロツキです。そして、彼らに金を払い、指示を出していた黒幕の影を追ったところ……異国のスパイ、とりわけノルディア王国の裏金が動いている痕跡が見つかりました」


 リオネルの報告を聞きながら、僕は冷たく鼻を鳴らした。

 なるほど、点と点が綺麗に繋がった。


 少し前に我が家に侵入し、あろうことかこの僕を色仕掛けで落とそうとした、あの愚かで不快な金髪のメイド。

 彼女を解雇した後、彼女の背後にノルディアの影があるかもしれないとは薄々想定していたが、まさかここまで直接的な嫌がらせに出るとは。


 あのジュリアンという王太子は、僕が与えた惚れ薬の呪いで今頃発狂しているはずだが、彼が放った工作員たちが、計画を遂行したというわけか。

 夫婦の仲を裂くことができなかった腹いせに、公の場で僕とシャルロットに恥をかかせるという、ひどく低俗で陳腐な計画を。


「素晴らしい手際だ、リオネル。君の優秀な調査能力に感謝するよ」

「いえ。オレの部隊の管轄でもありましたし、何より……シャルロット……夫人にあんな嫌がらせをする連中を、見過ごすわけにはいきませんから」


 リオネルの口から「シャルロット」という名が親しげに出た瞬間、謁見室の空気が微かに凍りついたのを、彼は気づいただろうか。

 僕の周囲で、無意識のうちに魔力がチリチリと危険な火花を散らす。


 彼はあくまで騎士としての正義感と、旧友としての純粋な怒りから動いてくれた。

 それは理屈では分かっている。

 分かっているが、僕以外の男が、僕の妻を想って行動を起こすという事実そのものが、僕のどす黒い独占欲を刺激してやまないのだ。


「これで報告は以上です。犯人たちの身柄は、確証が取れ次第、我々騎士団が……」

「いや、彼らの身柄はこちらで引き取ろう。僕の妻の純白のドレスを汚した罪だ。相応の対価は、僕自身の手で払わせなければ気が済まないからね」

「……閣下?」


 僕が浮かべた絶対零度の微笑に、リオネルは微かに肩を震わせた。

 彼は優秀だが、この闇の深さを覗き込むには少しばかり真っ当すぎる。


「君の役目はここまでで十分だ。あとはヴァルテンベルク家の問題として処理させてもらう。本当に助かったよ、ありがとう」

「……承知いたしました」


 リオネルは少し納得がいかないような表情を見せたが、公爵である僕の命令には逆らえず、深く一礼した。

 そして、踵を返して扉へと向かいかけた彼が、ふと立ち止まり、少しだけ照れくさそうに振り返った。


「あの、閣下。……せっかく邸まで来ましたし、少しだけ、夫人に挨拶していってもいいですか? 舞踏会ではゆっくり話せませんでしたし、彼女の体調も気になりますので」


 その瞬間、僕の中で完璧に構築されていた「寛大な公爵」の仮面が、音を立てて冷酷な壁へと切り替わった。


「駄目だ」


 間髪入れず、冷たく言い放つ。

 リオネルは驚いたように目を丸くした。


「シャルロットは現在妊娠中だ。少しの疲労や外部からの刺激も与えたくない。彼女は今、別館の奥で僕の魔力に守られて静かに休んでいる。何人たりとも、あの領域に足を踏み入れることは許さない」

「いや、オレはただ、顔を見て一言二言、元気か確かめるだけで……」

「必要ないと言っているんだ、リオネル」


僕はデスクに両手を組み、黄金の瞳で彼を真っ直ぐに射抜いた。


「彼女の体調は僕が誰よりも完璧に把握している。彼女を安心させるのも、笑顔にするのも、僕の役目だ。君が入り込む隙間は、一ミリたりとも存在しないんだよ」

「……相変わらずですね、閣下」


 リオネルは呆れたように大きなため息をつき、頭を掻いた。


「オレも結婚してますけど……だからこそ言いますけど、閣下の奥様への過保護ぶりは少し異常ですよ。いくらなんでも、昔の友人の挨拶くらい……」

「そういう問題ではないんだよ」


 僕は極上の、しかし一切の温度を持たない笑みを浮かべて彼を遮った。

 君が結婚していようが、君に一切の他意がなかろうが、そんなことはどうでもいい。


 他の男の視界に、僕のシャルロットが映ること。

 他の男の声が、彼女の鼓膜を揺らすこと。

 彼女の意識が、ほんの一瞬でも僕以外の男に向くこと。


 そのすべてが、僕にとっては耐え難いほどの苦痛であり、明確な「侵害」なのだ。

 彼女は僕の命を貪って生き、僕は彼女の愛なしには呼吸すらできない。

 この絶対的で狂気的な依存関係の中にある黄金の檻の美しさを、外の世界で生きる君たちに理解してほしいとは些末さえも思わない。


「……分かりました。お邪魔しました、閣下。シャルロットに、どうかよろしくお伝えください」


 リオネルはそれ以上踏み込むことを諦め、逃げるように謁見室を後にした。

 バタン、と重い扉が閉まり、再び部屋に静寂が戻る。


 僕はゆっくりと立ち上がり、執務机の脇にある呼び鈴を鳴らした。

 音もなく、部屋の影から初老の執事が姿を現す。

 彼らは我が家の優秀な手足であり、決して表には出ない裏の仕事も完璧にこなす影の集団だ。


「お呼びでしょうか、閣下」

「ああ。仕事の時間だ」


 僕は窓の外、広大な庭園の奥に見える白い温室へと視線を向けた。

 あそこには、先日ノルディアから持ち帰った、シャルロットのお気に入りの白百合が咲き乱れている。


「先日解雇したあの金髪のメイド……レオノーラ・ハーゼンと、おそらくその周辺にいるであろうノルディアの工作員どもをすべて洗い出し、秘密裏に拘束しろ。誰一人として逃がすな」

「御意に。……いかがなさいますか」

「決まっているだろう」


僕は純白の手袋をゆっくりとはめ直しながら、氷のように冷たい、残酷な微笑を口元に刻んだ。


「僕の愛しい妻のドレスを汚し、あの美しい顔を恐怖で曇らせた罪だ。決して生ぬるい罰で終わらせるつもりはない」

「承知いたしました。直ちに手配いたします」


 執事が深々と一礼し、影のように消え去る。


 僕は一人残された謁見室で、深く息を吸い込んだ。

 これでいい。

 僕の黄金の檻に泥を塗ろうとする害虫は、すべて僕がこの手で排除する。


 シャルロットは何も知らなくていい。

 ただ、僕の腕の中で無邪気に笑い、僕から与えられる愛と快楽だけを貪っていればいいのだ。

 僕は狂気に染まった己の心を愛おしく抱きしめながら、足早に別館へと向かった。


 早く、あの甘い匂いのする柔らかな肌に触れたい。




 彼女のすべてを僕の魔力で満たし、この絶対的な聖域の中で、溺れるように愛し合わなければ。









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冷淡ヒーローの“我慢”が限界に近づいていく、 すれ違いから始まる異世界執着愛。
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