6_嫉妬と決意
教授の声を合図にレインハルト様が指先を上げ、ゴーレムが踏み込みます。
――その次の瞬間。
クラリス様が手を掲げると、演武場の空気が急激に冷たく、重く湿りました。
息をするだけで肺が凍りつくような冷気と湿度です。
直後、ぱきんっ、という耳障りな音が響き、あれほど頑強だったゴーレムの巨体が唐突に崩れ落ちたのです。
そこにイザベラ様の影が滑り込み、巨体はあっけなく土くれへと還っていきました。
魔法の仕組みなど、わたしには一つも分かりません。
ただ、あまりにも速く、鮮やかな光景でした。
一拍遅れて見学席から感嘆のため息が漏れ、わたしも言葉が勝手に口から滑り落ちます。
「すごいわ……!」
わたしは息を呑んだまま、周りに合わせるように拍手をします。
しかし隣でリオネルは複雑な表情をしていました。
嬉しいような、痛いような――胸の奥に何か刺さったみたいな顔。
わたしは彼を見て、つい、言葉を続けてしまいました。
「クラリス様のおうちの血は、魔導の力が強いのね。わたしは両親は魔法が使えるけれど、とても弱いせいか、わたし自身は使えなくて……」
「……あ、ぁあ。うちは父が魔導が強くて。母が使えないんだ。オレは、母方の血が強かったみたいだ」
「えっ……?」
頭が追いつきませんでした。
リオネルの家名が『ヴァレンティーヌ』。
クラリス様も『ヴァレンティーヌ』。
「…まさか、あの……」
「うん。姉だよ」
軽く言うけれど、その目は一瞬だけ鋭くなりました。
反発と、尊敬と、諦めが絡まった色。
「だからさ。――姉貴がすげぇのは知ってる。でも、オレはオレで、別のとこで勝ちたいんだよ」
言いながら、彼は自分の腰の辺りを指で叩きました。
そこに剣はありません。
学園内で携帯はできないから。
けれど、彼の「剣」はきっと彼の中にあるのでしょう。
「放課後、騎士見習いの特訓またあるし。魔法がなくてもやれることはある」
その言葉が妙に眩しく感じました。
わたしが「ないもの」に目を向けている間に、彼は別の道を握っている。
「……リオネル」
「なに。変な顔すんな」
リオネルは、ほんの少しだけ笑ってみせました。
でもその笑みが、痛みを隠すためのものだとわたしにも分かりました。
わたしたちが小声で話している、その時でした。
演武場の片隅――優雅に座っているレインハルト様の視線が、刺さったような気がしました。
(……見られてる?)
背中がぞくりとします。
わたしは反射的に姿勢を正し、手のひらを膝の上で握りしめました。
けれど次の瞬間、視線の理由が変わります。
演武を終えたクラリス様が、そのまま迷いなくレインハルト様のいる場所へ歩いていったのです。
クラリス様が話しかけた瞬間、見学席の一部が小さな悲鳴を上げました。
「レインハルト様に話しかけてるわ!」
「まあ、羨ましいですわ……」
「クラリス様は魔導の力も強くて、美しくて……お似合いですわね」
「あれ、でもレインハルト様はご婚約者さまがいらっしゃいませんでした?」
声が針みたいに刺さり身体が固まります。
そして――クラリス様は、優雅に微笑んだまま、レインハルト様に告げました。
「いかがでしたでしょうか。わたくし、もっと上を目指したく、最強と名高いレインハルト様に直々に師事出来たら……と思っておりまして」
レインハルト様は一瞬、目を瞬きました。
けれどすぐに、いつもの落ち着いた声に戻ります。
「……えっと、僕に? しかし弟子を取るようなことはしていないが……」
「まあ、そうなのですね。では分からないことや、魔術理論を発展させたい時のご相談役をお願いすることは構いませんか?」
「そのくらいなら……いつでも」
(いつでも、って……)
その言葉がわたしの胸の奥に、硬い石みたいに落ちました。
悪気のない、あまりにも自然な返答。
でも、『いつでも』の中に、わたしは含まれているのでしょうか――そんな馬鹿みたいな不安が、勝手に芽を出してしまいます。
「ふふっ、嬉しいですわ。それでは…」
クラリス様は優雅に会釈しました。
その所作は礼儀そのものなのに、なぜでしょう、心がざわざわします。
そして彼女は――わたしとリオネルの方へ顔を向けました。
視線が合う、それだけで、背筋がひやりとしました。
(……あなたたちとは世界が違うのよ)
言葉にしない言葉が、薄く笑う唇の奥に透けて見えた気がしました。
胸が、ぎゅっと痛くなる。
彼女たちのように、魔法で彼を支えることはできない。
リオネルのように、違う道で剣を握る確固たる力も今のわたしにはない。
自分の足元が、砂のように崩れていく感覚がしました。
けれど――。
(このまま俯いていたら、わたしは本当に何もかも失ってしまう)
わたしは膝の上で、両手をきつく握りしめました。
爪が手のひらに食い込むかすかな痛みが、沈みそうな心を引き戻してくれます。
魔法がなくても。
才能がなくても。
わたしは彼の婚約者なのだから。
ただ見上げているだけでなく、少しでもあの人のそばに歩み寄りたい。
演武場の喧噪が遠のいていく中で、わたしはただ一人、確かな熱と決意を胸に宿し、真っ直ぐに彼を見つめていました。




