7_さようなら
数日間、自室に引き籠もり泣き明かしました。
厚いカーテンを閉め切り、太陽の光さえ拒絶した部屋の中で、わたしはただ、冷たい月光が差し込む時間だけを待っていました。
鏡に映るわたしの顔は、やつれ、自慢だった肌は血色を失い、象徴である緋色の瞳は、連夜の涙で痛々しく真っ赤に充血していた。
あの日、夕闇を切り裂いて飛ぶ空の上で、レインハルト様から浴びせられた冷たい言葉の数々。
『周囲に与える影響を分かっていない』『必要以上に僕に近寄らないでほしい』 わたしの必死の願いを、彼はただの「不埒な誘惑」と断じた。
どんなに彼を想っても、わたしの身体から溢れるこの正体不明の「甘い気配」が、高潔な彼を不快にさせ、その理性を苛立たせ、怒らせてしまう。
わたしの存在そのものが彼にとっての害悪であり、重荷でしかない。
それならいっそ、彼の視界から永遠に消えてあげるのが、わたしにできる最後で最大の愛なのだと思いました。
震える指先で、何度も書き直した婚約破棄の書状。
(彼の心はわたしには無いのだ、そのうえ、触れることさえ拒まれてしまっては……もう)
涙で滲んだその羊皮紙を、信頼できる使いの者に託したとき、わたしの心は完全に死んでしまいました。
それは単なる契約の解消ではなく、わたしの人生そのものを放棄するような、そんな絶望を伴う痛みでした。
***
翌日、学園へ向かうと校門近くでレインハルト様に呼び止められました。
「シャルロット! 待ってくれ、あの書状はどういう……っ」
聞き慣れた、けれど今は聞きたくない低く甘い声。
彼はわたしの肩を掴もうと、大きな手を伸ばします。
いつもなら、その節ばった指先に触れられるだけで、心臓が跳ね上がるほど舞い上がっていたはずなのに。
今のわたしには、その手が、自分を遠ざけ、突き放すためのものにしか見えませんでした。
「……書状に書いた通りですわ、レインハルト様」
わたしは一度も彼の目を見ず、冷たく、けれど震える声でそう告げる。
「今まで、無理をさせて申し訳ありませんでした。貴方を不快にさせるような真似は、もう二度といたしません。……さようなら」
軽く会釈をして、わたしは逃げるようにその場を去りました。
背後で彼が何かを叫んでいたような気がしましたが、耳を塞いで走り続けました。
教室の扉を開けると、一週間ぶりに登校したわたしに視線が集まる。
いつもなら耳に心地よいはずのざわめきが、今日は針みたいに刺さった。
机に鞄を置いても、椅子に座っても、胸の奥の痛みがほどけない。
校門で振り払ったはずの低い声が、まだ鼓膜の裏に残っている。
――待ってくれ。
――どういう……。
その続きを聞けば、何か変わったのだろうか。
でも、聞いたら最後、わたしはまた期待して、また傷つく。
(…わたしは、もう、あの人の目を見られない)
視線を落としたまま、教科書の文字を追うふりをする。
けれど、文字は墨の染みみたいに滲んで、ひとつも頭に入ってこなかった。
「シャルロット」
机の隣の影が揺れ、次いで、椅子がきい、と鳴った。
顔を上げる前に分かる。
赤い髪、青い瞳――リオネルだ。
「ひさしぶりじゃん。……大丈夫なのか?さっきさ、正門のとこ。見えた」
小声だった。
周りに悟られないように、でも、わたしの心臓だけは確実に揺さぶる声。
わたしは返事の代わりに、唇をぎゅっと結んだ。
「姉貴の言葉……真に受けるなよ」
その一言に、胸の奥がひくりと痛んだ。
クラリス様の『優しい刃』が、まだ心に刺さったままなのだと気づかされる。
「……でも、レインハルト様が……」
声に出した瞬間、自分の声が情けなく震えて、恥ずかしくなった。
リオネルは苛立ったように頭を掻いて、でも、乱暴に優しく言う。
「レインハルト様はさ、たぶんすげえ不器用なんだよ。普段あんなに理知的で優しい人が、理由もなく冷たくするわけないだろ」
「……」
それはわたしの、わたしには感じることのできない「甘い匂い」のせい…と、喉元まで出かけて…引っ込める。
「オレはあの人の頭の中まで覗けねえ。……でもさ、シャルロットが悪いわけじゃねえ。泣きそうな顔すんな。……姉貴のことも、レインハルト様の態度も、全部お前が足りないって話にすり替えんなよ。あの人らそれぞれの問題なんだから」
――すり替えるな。
その言葉だけが、胸の奥で微かに温度を持った。
けれど、痛みは消えない。
レインハルトさまはわたしの「なにか」が気に入らなくて避けているのは確実なのだ。
「……ありがとう、リオネル」
笑おうとしたのに、頬がうまく動かなくて、わたしは目を伏せたまま小さく呟いた。
リオネルはそれ以上、無理に何も言わず、椅子を引いて立ち上がる。
「放課後、送ろうか?」
「……大丈夫。今日は、ひとりで……考えたいの」
そう言った瞬間、胸の痛みの奥で、別の熱が小さく灯った気がして――わたしはまた、怖くなった。




