表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/30

7_さようなら

 数日間、自室に引き籠もり泣き明かしました。

 厚いカーテンを閉め切り、太陽の光さえ拒絶した部屋の中で、わたしはただ、冷たい月光が差し込む時間だけを待っていました。

 鏡に映るわたしの顔は、やつれ、自慢だった肌は血色を失い、象徴である緋色の瞳は、連夜の涙で痛々しく真っ赤に充血していた。


 あの日、夕闇を切り裂いて飛ぶ空の上で、レインハルト様から浴びせられた冷たい言葉の数々。

 『周囲に与える影響を分かっていない』『必要以上に僕に近寄らないでほしい』 わたしの必死の願いを、彼はただの「不埒な誘惑」と断じた。


 どんなに彼を想っても、わたしの身体から溢れるこの正体不明の「甘い気配」が、高潔な彼を不快にさせ、その理性を苛立たせ、怒らせてしまう。

 わたしの存在そのものが彼にとっての害悪であり、重荷でしかない。

 それならいっそ、彼の視界から永遠に消えてあげるのが、わたしにできる最後で最大の愛なのだと思いました。



 震える指先で、何度も書き直した婚約破棄の書状。


(彼の心はわたしには無いのだ、そのうえ、触れることさえ拒まれてしまっては……もう)


 涙で滲んだその羊皮紙を、信頼できる使いの者に託したとき、わたしの心は完全に死んでしまいました。

 それは単なる契約の解消ではなく、わたしの人生そのものを放棄するような、そんな絶望を伴う痛みでした。



 ***



 翌日、学園へ向かうと校門近くでレインハルト様に呼び止められました。


「シャルロット! 待ってくれ、あの書状はどういう……っ」


 聞き慣れた、けれど今は聞きたくない低く甘い声。

 彼はわたしの肩を掴もうと、大きな手を伸ばします。

 いつもなら、その節ばった指先に触れられるだけで、心臓が跳ね上がるほど舞い上がっていたはずなのに。

 今のわたしには、その手が、自分を遠ざけ、突き放すためのものにしか見えませんでした。


「……書状に書いた通りですわ、レインハルト様」


 わたしは一度も彼の目を見ず、冷たく、けれど震える声でそう告げる。


「今まで、無理をさせて申し訳ありませんでした。貴方を不快にさせるような真似は、もう二度といたしません。……さようなら」


 軽く会釈をして、わたしは逃げるようにその場を去りました。

 背後で彼が何かを叫んでいたような気がしましたが、耳を塞いで走り続けました。



 教室の扉を開けると、一週間ぶりに登校したわたしに視線が集まる。

 いつもなら耳に心地よいはずのざわめきが、今日は針みたいに刺さった。


 机に鞄を置いても、椅子に座っても、胸の奥の痛みがほどけない。

 校門で振り払ったはずの低い声が、まだ鼓膜の裏に残っている。

 ――待ってくれ。

 ――どういう……。

 その続きを聞けば、何か変わったのだろうか。

 でも、聞いたら最後、わたしはまた期待して、また傷つく。


(…わたしは、もう、あの人の目を見られない)


 視線を落としたまま、教科書の文字を追うふりをする。

 けれど、文字は墨の染みみたいに滲んで、ひとつも頭に入ってこなかった。


「シャルロット」


 机の隣の影が揺れ、次いで、椅子がきい、と鳴った。

 顔を上げる前に分かる。

 赤い髪、青い瞳――リオネルだ。


「ひさしぶりじゃん。……大丈夫なのか?さっきさ、正門のとこ。見えた」


 小声だった。

 周りに悟られないように、でも、わたしの心臓だけは確実に揺さぶる声。

 わたしは返事の代わりに、唇をぎゅっと結んだ。


「姉貴の言葉……真に受けるなよ」


 その一言に、胸の奥がひくりと痛んだ。

 クラリス様の『優しい刃』が、まだ心に刺さったままなのだと気づかされる。


「……でも、レインハルト様が……」


 声に出した瞬間、自分の声が情けなく震えて、恥ずかしくなった。

 リオネルは苛立ったように頭を掻いて、でも、乱暴に優しく言う。


「レインハルト様はさ、たぶんすげえ不器用なんだよ。普段あんなに理知的で優しい人が、理由もなく冷たくするわけないだろ」

「……」


 それはわたしの、わたしには感じることのできない「甘い匂い」のせい…と、喉元まで出かけて…引っ込める。


「オレはあの人の頭の中まで覗けねえ。……でもさ、シャルロットが悪いわけじゃねえ。泣きそうな顔すんな。……姉貴のことも、レインハルト様の態度も、全部お前が足りないって話にすり替えんなよ。あの人らそれぞれの問題なんだから」


 ――すり替えるな。

 その言葉だけが、胸の奥で微かに温度を持った。

 けれど、痛みは消えない。

 レインハルトさまはわたしの「なにか」が気に入らなくて避けているのは確実なのだ。


「……ありがとう、リオネル」


 笑おうとしたのに、頬がうまく動かなくて、わたしは目を伏せたまま小さく呟いた。

 リオネルはそれ以上、無理に何も言わず、椅子を引いて立ち上がる。


「放課後、送ろうか?」

「……大丈夫。今日は、ひとりで……考えたいの」


 そう言った瞬間、胸の痛みの奥で、別の熱が小さく灯った気がして――わたしはまた、怖くなった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冷淡ヒーローの“我慢”が限界に近づいていく、 すれ違いから始まる異世界執着愛。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ