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【完結】黄金の檻 〜冷淡だった最強魔導師が理性を失った理由〜  作者: 雪白めると
【第一幕:凍てついた月光と、破られた約束】
5/30

5_優しさという刃

 見学が終わり、普通科の校舎へ戻る回廊は日差しが斜めに差し込んでいた。

 石畳の冷たさ、夕方の風、遠くで鳴る鐘の音。

 ――それらが、さっきまでの非現実を「学園の日常」へ押し戻していく。


 けれど、わたしの胸のざわめきだけが、取り残されたままだった。


(クラリス様が、レインハルト様に話しかけていた)


 ただそれだけのこと。

 ただ、師事の相談をしていただけ。


 それなのに、あの場に満ちていた「お似合い」という囁きが、指先にまとわりついて離れない。

 わたしの婚約者が、わたしの知らない場所で、わたしの知らない言葉で、誰かと「同じ世界」に立っているように見えてしまった。


「シャルロット、歩くの遅い」


 前を行きかけたリオネルが振り返って、少しだけ不機嫌そうに眉を寄せた。

 でも、その目は心配そうで。


「……ごめんなさい。ちょっと、考え事」

「考え事は後。――ほら」


 彼はわたしが置いていかれないように歩幅を合わせてくれる。

 そのことが、ありがたくて、情けなくて、胸がきゅっとなる。


 背後から、靴音が一つ、二つ。

 音が整いすぎていて、思わず振り返ってしまう。


 そこにいたのはクラリス・ヴァレンティーヌ様でした。


 演武場で見た時と同じ――背筋が伸び、髪の一本すら乱れていない。

 夕陽の中で、その輪郭だけが少し柔らかく見えるのに、近づくほど冷えた香りがするような気がした。


「…シャルロット・エリュシオン様」


 名前を呼ばれた瞬間、喉がきゅっと縮まりました。

 わたしが誰か、知っている。

 さっき演舞場で目が合ったのは気のせいではなかったのだ。


「はい……」


 わたしが小さく会釈すると、クラリス様は穏やかに微笑みました。

 その笑顔は、優しい。

 優しいけれど、距離がある。


「本日お見かけして……少し、お話してもよろしいかしら」

「姉さん、なに」

「あら、リオネル。邪魔をするつもりはないのよ」


 クラリス様はわたしへ視線を戻し、声を少しだけ柔らかくしました。


「シャルロット様。あなたは、学園でも有名ですもの。レインハルト様のご婚約者……でいらっしゃるから」


 有名。

 その言葉の意味が、わたしにはよく分かっていました。


 ――魔力もないのに、最強の魔導士の婚約者。

 ――最近、避けられているよう。

 ――釣り合わない。


 演武場で聞こえていた囁きが、今度は回廊の壁から滲み出してくるみたいで、胸がきしむ。


「……はい」


 返事は、情けないほど小さかった。

 クラリス様は、まるで心配しているかのように首を傾げました。


「差し出がましいことを申しますわ。けれど……レインハルト様は、あまりにも特別なお方です。そして、あなたは――とてもお優しい方に見える。魔力を持たないことは、罪ではありませんわ。むしろ、この国では大半の方がそう。けれど……レインハルト様の隣に立つことは、時に、優しい方ほど苦しくなる」


リオネルが、強く息を吐いた。


「姉貴、やめろよ」

「やめないわ。リオネル。――これは、忠告よ」


 クラリス様は、視線を逸らさないまま言いました。

 わたしではなく、わたしの立場を見て話しているような目で。


「魔導の力は血統優位性。この世界の常識よ。国の安全保障であり、王家の系譜であり、貴族社会そのものの骨格。最強の血は『相応しい器』に注がれるべきだわ。学園には彼を慕う方がたくさんいらっしゃる。魔法専科には、彼と同じ言語で話せる方がいる。あなたが望む望まないに関わらず、その現実は、あなたの心を削るでしょう」


 削る、その言葉が胸の内側を正確に抉った。

 だって――もう、削れている。

 もう、毎晩、削れている。


 レインハルト様が、わたしを避けている。

 書庫の明かりが遠い。

 彼は「真理」に手を伸ばしているのに、わたしは、ただ恋をしているだけ。


(格差なんて言葉、口にしたくないのに)


 それでも、現実は目の前に立っている。

 クラリス様は、微笑みを崩さずに続けました。


「もしあなたが苦しくなる日が来たら。……身を引く、という優しさも、あるのよ」


 回廊が、静まり返った。


 遠くの笑い声も、足音も、風の音も。

 全部が消えて――耳の奥で、心臓の音だけがうるさかった。


 先日、わたしが自ら唇を重ねて、突き放された時の絶望が蘇る。


 レインハルト様の真意は分からない。

 ただ、最近特に冷たくなったのは誰の目にも明らかで。

 クラリス様は、それを敏感に察知し、わたしの婚約辞退を促しているのだ。

 彼からその話が出ないなら…と。


 身を引く。

 それが、彼のため――?

 この恋を捨てて……?


 喉が詰まって、言葉が出ない。

 何か言わなければ、と思うのに、頭の中は白くて、ただ、視界だけがじわっと滲む。


 リオネルが、わたしの前に立つようにして言った。


「姉貴、なんてこと言うんだよ。シャルロットは…」

「大丈夫よ、リオネル。――彼女は賢いわ。だから、きっと分かる」


 分かる………、分かりたくない。

 分かってしまったら、終わってしまう。


 わたしは、ぎゅっと拳を握りしめ、ぺこりと会釈した。


「……ご忠告、ありがとうございます」


 声が震えないようにするので精一杯だった。


 次の瞬間、わたしは踵を返していた。

 リオネルを置き去りにして、逃げ出した。


 背中に何か言葉が飛んできた気がした。

 でも振り返れない。

 ただ、走った。

 回廊の角を曲がって、息が切れるまで走って。


 胸が痛くて、苦しい。

 それなのに、その痛みの奥に、別の熱が小さく灯るのを感じてしまって――わたしは、さらに怖くなった。


(……わたし、どうして)


 心が壊れそうなのに。

 それでも、胸がざわつく。


 そこに「彼」がいるから。


 そして、そのざわめきは――まるで、眠っていた何かが目を覚ます合図みたいに、じわじわと強くなっていくのでした。




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冷淡ヒーローの“我慢”が限界に近づいていく、 すれ違いから始まる異世界執着愛。
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