3_遠い灯り、近いざわめき
そんなある日。
普通科の教室は、朝から妙に浮き足立っていました。
「聞いた? 魔法専科、来週は演武場で模擬戦ですって」
「レインハルト様が作ったゴーレムを壊すんでしょう? 噂だけで震えるわ……」
話題の中心は、今日も彼のいる魔法専科のことばかりです。
誰かが名前を出すたび、そこだけ空気が甘く熱を帯び、わたしの席の周りだけが取り残されていくのを感じます。
わたしはひとり、ノートの端を指でなぞっていました。
話題の中心にいる人は、わたしの婚約者なのに。
その輪の中で、わたしだけが透明になっていく。
「でも、レインハルト様って、どうしてあんなに完璧なのかしら」
「血筋よ、血筋。ヴァルテンベルク公爵家だもの」
「魔導の名門ですものね」
胸が、ひくりと痛む。
(わたし自身は、何も持っていない)
その思いは胸の奥に小さな棘のように刺さって、抜けませんでした。
周囲の好奇心が悪意ではないと分かっているのに。
「すごい人の婚約者」であることが、いつの間にか「自分もすごくなければならない」という圧になって、息を詰まらせてくる。
このままでは、またひとりで沈んでしまう。
そう思った瞬間、机の横に影が落ちました。
「よっ。エリュシオン侯爵令嬢。……ここ最近、いや、今日は特に顔色が悪いぜ?」
顔を上げると、赤い髪に青い瞳の青年が、遠慮なく笑っていました。
同じ普通科の貴族――リオネル・ヴァレンティーヌ。
「リオネル様……そんなに、顔色が悪く見えますの?」
「『様』はいらないって。オレ、相手の癖を読むのは得意なんだ。今のシャルロットは、今にも消えそうだぜ」
リオネルの言葉は乱暴なくらい真っ直ぐで。
けれど不思議と、嫌な気はしませんでした。
「いや、彼がすごいのは分かるよ? でもここ普通科だろ。毎日『レインハルト様が』『ヴァルテンベルク様が』って」
わざとらしく声色を真似るその様子がおかしくて、思わず小さく吹き出してしまいました。
「……ふふ。皆さん、憧れてしまうのですわね」
「お、やっと笑ったな」
リオネルは満足そうに頷きます。
「婚約者がすげぇ人でも、本人が『何もない』わけじゃねぇし。『今はまだ』ないだけだ。天才には天才の、凡人には凡人の戦い方がある。オレだって魔法はないけど、剣と努力だけで騎士になってやるって決めてる。比べなくていいんだよ」
レインハルト様は天才。
彼の前では並の魔導師など只人に過ぎないのでしょう。
そして、魔導すら使えないわたしたちは、努力で未来を掴み取るしかないのです。
「ありがとう、リオネル。慰めてくれて。少し、心が軽くなったわ」
「――いや、慰めっていうか、本気でそう思ってるけどな」
リオネルがそう言いかけた、その時でした。
にぎやかだった教室の入口が、一瞬で静まり返りました。
普通科の生徒たちが、息を呑んで一箇所を見つめています。
そこに立っていたのは、明らかに「こちら側」の人間ではない気配を纏った青年でした。
ボサボサの金髪に、度の強い瓶底メガネ。
ひょろりと背が高く、魔法薬の匂いを染み込ませた黒いローブを羽織っています。
魔法専科の棟からやって来た、選ばれし者のひとり。
「……エリュシオン侯爵令嬢、シャルロット殿は……こちらかな」
青年はどこか頼りない足取りでわたしの席まで歩み寄ると、リオネルを少しだけ警戒するように見やってから、頭を下げました。
「突然失礼。私は魔法専科の研究棟に在籍している、レインハルトの友人だ。彼から、君に伝言を預かってきたんだが」
レインハルト様からの、伝言。
心臓がドクリと跳ねました。
手紙ではなく、友人を介した言葉。
それはやはり、わたしと顔を合わせたくないという、彼なりの拒絶の表れなのでしょうか。
「はい……お聞きします。レインハルト様は、なんて?」




