27_拒絶の夜を越えて、今ここに
あの日、冷たく突き放され絶望の淵で涙を流してから半年。
わたしの身体から溢れ出し、周囲を狂わせていた「蜜の香り」は、レインハルト様による連日の「浄化」――その愛の営みによって、今では嘘のように穏やかな落ち着きを見せていました。
そして今日。
かつて、一通の手紙で無残に拒絶されたあの「夜の舞踏会」に、わたしは半年越しの念願を叶えるめの準備をしていました。
会場へ向かう前、鏡の前に立ったわたしは、自分自身の姿に思わず息を呑みました。
薄紫の髪は絹のような光沢を湛えて腰の下まで流れ、緋色の瞳は星が散りばめられたかのように輝いている。
成体へと進化した肢体は、信じられないほど瑞々しく弾力があり、指の先、爪の一枚に至るまで、まるで宝石のように光り輝いていました。
それは、生まれ持った美貌などではありません。
王国最強の大魔法使い、レインハルト様の強大な魔力を帯びた「精気」を日々その身に啜り、注ぎ込まれ続けたことで得られた、人知を超えた美。
いわば、彼という男によって磨き上げられた、淫魔の完成形に他なりませんでした。
「……準備はできたかい、シャルロット」
準備が整った部屋に、レインハルト様が入ってきました。
その姿を見た瞬間、わたしだけでなく、周囲の侍女たちまでが息を呑み、頬を染めて俯いたのが分かりました。
今夜の彼は、筆頭公爵家の嫡男、次期当主としての威信をすべて注ぎ込んだような、最高に豪華な正装に身を包んでいました。
漆黒のベルベットの燕尾服には、王家の紋章にも使われる最高級の金糸で緻密な刺繍が施され、動くたびに重厚な光を放ちます。
首元には、白のシルクシャツの上に、きっちりと結ばれた濃紺のクラバット。
その結び目には、大粒のダイヤモンドが、ギラリと冷酷な輝きを放っていました。
けれど、何よりも周囲を圧倒したのは、彼自身が放つ空気感でした。
ただでさえ彫刻のように端正な顔立ちのレインハルト様が、今夜は、見る者――特に女性たちの情欲を無差別に掻き立てられそうなほどの、濃厚な色香を全身にまとわせていたのです。
それは、昨夜一晩中、リリスの血を引くわたしと濃密な魔力の交換を行った結果、彼自身の内に眠っていた男性としての魅力が、危険な領域まで引き出されてしまった証でした。
「……美しいよ、シャル。そのドレスも、その肌も。……すべてが」
彼はわたしの元へ歩み寄ると、他の誰にも触れさせないという強い意志を込めて、わたしの腰をしっかりと抱き寄せました。
王宮の大広間は、すでに数百人の貴族たちで埋め尽くされ、熱気と好奇心の渦が巻いていました。
レインハルト様が、一度は婚約破棄の噂まで流れたシャルロット嬢を伴って現れる。
その話題で持ちきりだったのです。
「……レインハルト・イル・ヴァルテンベルク公爵令息、ならびに、シャルロット・エリュシオン侯爵令嬢、ご入場!」
衛兵の高らかなアナウンスとともに、重厚な扉がゆっくりと開かれました。
その瞬間、会場の空気が凍りつき、次いで、どよめきにも似たため息が漏れました。
まず人々の目を奪ったのは、レインハルト様の圧倒的な美貌と、そこから放たれる危険なほどの色気でした。
冷徹な魔導師という仮面の下から滲み出る、むせ返るような色艶に、淑女たちは扇子で口元を隠しながら、熱っぽい視線を送らずにはいられません。
「まあ……なんて美しいの、レインハルト様……」
「以前より、さらに男ぶりが上がったのではなくて?」
――しかし。
それよりも周囲を驚愕させ、会場の時を止めたのは、彼が恭しく、しかし絶対的な所有権を主張するようにエスコートしている、わたしの姿でした。
「……あれが、シャルロット嬢?」
「馬鹿な、以前とはまるで別人ではないか……!」
ミッドナイトブルーのドレスを纏い、月光の精霊のように佇む自分の姿。
一年前の、自信なさげに俯いていた少女の面影はどこにもありません。
その肌は真珠のように発光し、緋色の瞳は宝石のように潤み、全身から、見る者すべてを魅了せずにはおかない、抗いがたい魔性のオーラを放っていたのです。
わたしが妊婦であることなど、誰一人として想像もつかないでしょう。
ただ、レインハルト様の腕の中で、彼に愛され尽くした女だけが持つ、圧倒的な『美』の暴力が、会場を支配した瞬間でした。
「なんて絵になるお二人なのかしら。神々に祝福されたような容姿だわ……」
「ご婚約されて一時は不仲と噂されていたけれど、見なさい、あの仲睦まじいご様子を」
「ああ……あのお二人のお子様なら、きっと天使のように美しいのでしょうね」
ひそひそと、しかしその声は確実に私たちの鼓膜にまで届いていました。
「……どうやら、僕のシャルロットに皆が見惚れているようだね」
レインハルト様が、耳元で低く、独占欲を孕んだ声で囁きました。
わたしは誇らしい気持ちと、少しの気恥ずかしさを覚えながら、彼の手を強く握り返しました。
煌びやかなシャンデリアの下、給仕から受け取ったドリンクで喉を潤していると、オーケストラが優雅なワルツを刻み始めました。
「ダンスしたいですわ」
「……よろこんで。僕の、愛しい人」
彼は完璧な所作でわたしの手を取り、ダンスフロアの中央へと導きました。
ドレスの裾を翻し、彼のリードに身を任せてワルツを踊る。
半年前、舞踏会への誘いを断られ、独りで泣いていたのが嘘のようです。
胸の奥がじんわりと熱くなり、視界が滲みそうになるのを必死で堪えました。
そんなわたしの心の機微を、彼は敏感に察したようでした。
踊りながら、彼はふっと声を落とす。
「……あの時は、本当にすまなかった。……最初にあの香りを嗅いだ時、僕は君を、僕を害する『魔物の類』ではないかと疑っていたから……」
彼の言葉は、言い訳ではなかった。
自分の弱さを認め、わたしに差し出すための、静かな告白だった。
わたしは少しだけ顔を上げて、彼の金色の瞳を見た。
そこにはもう、わたしを遠ざける冷たさはない。
あるのは、深くて、底の見えないほどの愛しさだ。
「……ふふっ、結果としては、間違ってはいませんでしたわ。わたし、伝説の淫魔の末裔だったのですもの」
わたしが冗談めかして笑うと、彼は「……くっ、ごめん……」と、申し訳なさと愛しさが混ざり合ったような低い声を漏らしました。
一年前の「拒絶」は、彼がわたしを傷つけないための、彼なりの不器用な「守護」だった。
けれど今は、その血さえも愛し、わたしのすべてを飲み込む覚悟を決めてくれた。
ステップを刻むたびに、二人の心はより深く、より密接に重なり合っていきました。
音楽が終わり、拍手が起こる。
ワルツを踊りきると、彼は熱気を帯びた会場を離れ、月光が降り注ぐバルコニーへとわたしを誘導しました。




