27_国益という名の略奪
学長室での「鑑定の鏡」事件を経て、学園内におけるわたしたちの噂は、もはや「不仲な政略結婚」から「王国の歴史を塗り替えるレベルの溺愛」へと完全に上書きされていました。
「一晩で人を成長させるほどの魔力供給だなんて、もはや神話の領域よね……」
「エリュシオン様のあの神々しいまでの美しさは、すべてレインハルト様の魔力で磨かれたものなんですって」
廊下を通るたびに向けられる、畏怖と羨望が混ざり合った視線。
けれど、その噂は学園の壁を越え、ついに王都の中心――「シルバード王宮」へと届いてしまったのです。
***
ある日の放課後。
レインハルト様の研究室で、いつものように「密度の高い」時間を過ごしていたわたしたちの元へ、金色の装飾を施したマントを羽織った男たちが現れました。
「レインハルト・イル・ヴァルテンベルク公爵令息。および、シャルロット・エリュシオン侯爵令嬢。……国王陛下よりの特使として、参りました」
現れたのは、王立魔導騎士団の団長を兼ねるセドリック第二王子。
彼は、わたしの腰を抱き寄せて離さないレインハルト様の不遜な態度を一瞥し、慇懃な笑みを浮かべて一枚の書状を提示しました。
「先日の学園長室での鑑定結果、聞き及んでいるよ。……一晩で一個人を作り変えるほどの魔力供給。それはもはや、学生の微笑ましい色恋で済まされる規模ではない」
王子の言葉に、室内の温度が急激に下がりました。
レインハルト様の黄金の瞳が、獲物を定める蛇のように細められます。
「……それが何か? 陛下は、僕のプライベートな寝室の事情にまで口を出すおつもりか」
「誤解しないでほしい、レインハルト。我々はただ、その『過剰なまでの魔力転移効率』を、国益のために役立てたいだけだ。現在、辺境の結界維持に苦慮している魔導師たちにその手法を転用できれば、どれだけの民が救われるか……。エリュシオン嬢、君のその無限に魔力を受け入れ肉体を活性化させる『魔力適応体質』は、王国の宝だ」
王子は表面上は穏やかに、けれど逃げ道を塞ぐように言葉を紡ぎます。
「ぜひとも、君を王立魔導研究所の『庇護下』にお迎えしたい。もちろん、名誉ある特別研究員として厚遇しよう。国家のためだ。公爵家の次期当主である君なら、この『協力』の重要性が分かるだろう?」
「……。シャルを、研究室の冷たい寝台に乗せろと?」
レインハルト様の声が、あまりにも低く、静かでした。
それは嵐の前の静寂。
わたしの身体を研究されてしまえば、いずれは淫魔の血にたどり着いてしまうであろうことは明白でした。
わたしは彼の腕の中で、彼から溢れ出す圧倒的な「庇護欲」と「怒り」の波に息が止まりそうになっていました。
しかし、王子は微笑みを崩しません。
「保護し、協力を願うだけだ。彼女という『器』があれば、王国の魔力貯蔵量は飛躍的に向上する。君一人で独占するには、彼女はあまりにも国家にとって――」
「――わたしは、行きません」
静寂を破ったのは、わたし自身の声でした。
震える指先を握り込み、わたしはレインハルト様の腕の中から半歩だけ前に出ました。
王族を前にして不敬にあたるかもしれません。
けれど、このまま彼の所有物として、あるいは国家の道具として語られることだけは、どうしても我慢できませんでした。
「お言葉は光栄ですが、わたしは国家の研究材料ではありません。どこへも行きませんわ。……わたしが側にいたいと願うのは、ただお一人だけです」
わたしの明確な拒絶に王子が微かに目を見張ります。
そして、わたしの肩を抱き戻したレインハルト様が、ふっと冷酷な笑みを漏らしました。
「――だそうだ。断る」
――パシィィンッ!
レインハルト様は王子の言葉を物理的な衝撃波を伴う魔力で遮りました。
「な……っ、反逆のつもりか!?」
「勘違いしないでいただきたい。僕は単に、僕の妻になる人の意志を尊重し、彼女に他人が触れることを禁じているだけだ。……国益? 辺境の結界?……そんなものは、僕が指先一つで整えてきてやる。だが、シャルロットは指一本、髪の一房たりとも貴様らには渡さない」
レインハルト様はわたしをより強く抱き寄せると、短く詠唱を始めました。
金色の粒子が空間に巻き上がり、魔圧で下から空気がふわりと脈動します。
彼の背後に、禍々しいまでの黄金の翼が幻影として浮かび上がりました。
「陛下に伝えろ。……シャルロット・エリュシオンは、王国の財産ではない。……これ以上、彼女を研究所の庇護下などと宣う不届き者が現れるなら、王都の結界ごと僕が更地にして差し上げよう」
その圧倒的な魔圧の前に、セドリック王子は顔を強張らせ、舌打ちを一つ落としました。
しかし、彼はただ怯えて逃げ帰るような男ではありませんでした。
「……なるほど。君の狂気と、エリュシオン嬢の固い意志はよく分かった」
王子は冷や汗を滲ませながらも、冷徹な視線をレインハルト様に向け返します。
「だが、忘れるな。これは君たち個人の私情で済まされる問題ではない。今日の君の『不敬な返答』は、そのまま陛下へご報告させていただこう。……いずれ、王国として正式な決断が下される時が来る」
王子たちは重い含みを残し、静かに研究室を後にしました。
廊下の影でこの様子を伺っていたリオネルは、震える手で姉のクラリス様の肩を掴んでいました。
「ほ、ほら見ろ姉貴……。王族相手にこれだぜ。あの小公爵様、シャルロットのためならマジで国を滅ぼすぞ……」
「……ええ。ですが、国が正式に動いたとなれば、彼とて無傷では済まないはず……」
クラリス様はもはや嫉妬する気力さえ失い、ただただ圧倒的な「愛の暴虐」の前に項垂れつつも、これから起こりうる国家と最強魔導師の衝突を予感し、青ざめた顔で立ち尽くしていました。
***
「……はぁ、……。シャル、……嫌な奴らに見られてしまったね」
二人きりになった研究室。
レインハルト様はわたしの髪に顔を埋め、まるで自分の匂いを上書きするように執拗に首筋を食みました。
「王家が君を狙うというのなら、……本当に屋敷の奥底に閉じ込めてしまおうか。……一歩も外へ出さず、僕の精気だけを食べて、僕だけを見て、……蕩けきってしまうまで」
「レインハルト様……」
わたしは彼の背中に腕を回し、その熱い身体をしっかりと抱きしめ返しました。
「わたしは研究材料でも、国家の財産でもありませんわ。……わたしが自ら選んで、貴方のそばにいるのです」
「……分かっているよ。……さあ、続きをしよう。国益よりも何よりも、君を満たすことの方が僕にとっては重要なんだから」
夕闇が室内の光を奪い去り、そこには黄金の瞳を光らせる最強の魔導師と、自らの意志で彼の色に染まることを選んだわたしの甘い時間が、再び動き出したのでした。




