35_冥府への門 レインハルトside
夜の帳が完全に下りたヴァルテンベルク公爵邸の広大な庭園は、昼間のように明るく照らし出されていた。
光源は僕自身の足元から溢れ出す黄金の魔力だ。
芝生を焼き焦がしながら、直径十メートルを超える巨大な転移の陣を構築していく。
大気中の魔力素子が飽和し、パチパチとオゾンが弾けるような匂いが周囲に充満していた。
僕の中に渦巻く殺意はすでに沸点を通り越していた。
リオンが持ち帰った座標を元に、複雑怪奇な影魔法の術式構造を、僕の光の魔力で強引に上書きし、編み込んでいく。
ザクッ、ザクッ。
芝生を踏みしめる重い足音が近づいてきた。
視線を向けると、巨大な戦斧型の魔導具を肩に担いだグリオールが野戦服に身を包んで立っていた。
「……グリオール。見送りなら不要だと言ったはずだが」
僕が魔力を練りながら冷たく告げると、彼は鼻で笑い僕の描く魔法陣の縁にどかと足を踏み入れた。
「見送りなわけあるか。俺も行く」
「本気で言っているのか?」
僕は手を止め、彼を真っ直ぐに見据えた。
これから向かおうとしているのは他でもない彼が仕えているベルツ王国だ。
僕たちに同行し、自国の軍事要塞に攻め入るということは明確な反逆罪であり、売国奴として歴史に名を刻むことを意味している。
グリオールは戦斧を地面に突き立て、大きく息を吐き出した。
その顔から、いつもの豪快な笑みは消えていた。
「サミュエルは……俺のボスだった」
グリオールの声はひどく低く、微かに震えを帯びていた。
「四年前の戦争のあと、何もかもを失ったあいつの下に配属されてから、俺なりに尊敬もしていた。部下思いの有能な指揮官だったんだよ。……そしてベルツは俺が血と汗を流して守ってきた、大切な祖国にも等しい」
彼がどれほどの葛藤を抱えてここに立っているのか、痛いほどに伝わってきた。
国を裏切る。
かつての仲間たちと殺し合う。
軍人として、いや一人の男として、これほど苦しい決断はないだろう。
「なら、ここに残れ。君が僕に付き合う義理は……」
「だがな!」
グリオールは僕の言葉を遮り、ギリッと強く奥歯を噛み締めた。
彼の目には、悲痛なまでの怒りが宿っていた。
「……ベルツがシルバードの捕虜を死んだと偽って帰還させず、人体実験していることまでは知ってたさ。進言したが次の日から研究棟に出入り禁止にされた」
「!?……なんだと」
「終戦直後のことだ、今は何を研究してるのかは知らない。……だが、理由は分からねぇが他国の公爵夫人を攫う、そんな外道に成り下がった上官に従う道理はねえ」
彼は顔を上げ、夜空を睨みつけるようにして吠えた。
「そんな国、俺の方から願い下げだ!」
その悲痛な叫びは夜の庭園に重く響き渡った。
ベルツへの愛があるからこそ、その国が外道に堕ちることを許せない。
彼なりの凄絶なまでの義と決断だった。
肩で息をするグリオールはやがてふうっと息を抜き、いつものニヤリとした不敵な笑みを浮かべた。
「それに一宿一飯の恩ってやつだ。俺の斧、好きに使えよ、レインハルト」
「……一宿一飯どころじゃないだろう」
「うるせえ! そういう細かいことはいいんだよ、粋に決めさせろ!」
「恩に着るよ、グリオール。……背中は任せた」
吠える悪友の姿に、僕は少しだけ口角を上げた。
こんな狂気に満ちた復讐の進軍に、これほど頼もしい男はいない。
「しかしシャルがその『実験』とやらのために攫われた可能性が跳ねあがった。一刻の猶予も許されない」
「……否定はしねえ。だからこそ共に行く」
僕たちのやり取りを静かに見守っていたリオン、双子たち、そしてクラリスとイザベラも、それぞれ魔導具を手に、魔法陣の中へと足を踏み入れた。
「父上。僕がベルツ側国境に残してきた転移魔法陣の座標の固定、完了しました」
リオンが片手に持った水晶版を見つめながら声を上げる。
「ですが、シルバード側国境の陣を使わなくて本当に良いのですか?」
「国境は夜間12時間は完全に閉じられている。お前がベルツ側にも陣を敷いたのはそこを見越してのことだったのだろう?」
「……しかし、ベルツ国境には強力な対魔導防衛結界が何重にも張られています。これだけの質量を送り込む空間跳躍を行えば、間違いなく結界に弾かれるか、最悪の場合、空間の摩擦で僕たちの身体が引き裂かれます!」
息子の言う通りだ。
国境の結界は、他国からの侵略を防ぐための絶対の盾。
正面から転移で突っ込むなど、壁に向かって全力で走るような自殺行為に他ならない。
だが。
「問題ない。ぶち破る」
僕は淡々と告げ、ベルツの方角を見据える。
「サミュエルは地下を這う性質の影の複合魔法で門を開いた。その古代の術式構造はランドウィンの書庫で完全に理解した」
僕の全身から、これまでとは比較にならない、膨大で暴力的な魔力が一気に噴出した。
ドゴォォォン……ッ!
空気が重圧で悲鳴を上げ、庭園の木々が突風に薙ぎ倒される。
僕の後ろに立つクラリスやイザベラが、そのあまりの魔力圧に息を呑み、グリオールでさえ顔を引きつらせて戦斧を地面に突き立てて踏ん張った。
「国際法違反だぞ、レインハルト!」
風圧に耐えながら、グリオールが叫ぶ。
「始末書は後で魔法省に山ほど提出するさ。……シャルをこれ以上長く暗闇に置くくらいなら、世界の理など僕がすべてへし折ってやる」
僕は虚空に向かって右手を突き出し、指先を強く握り込んだ。
空間が、文字通り『ミシミシ』とガラスのようにひび割れる音が響く。
「開け――冥府の門!!」
黄金の閃光が夜空を貫き、僕たちの目の前の空間が、巨大な円形にぽっかりと抉り取られた。
吹き出してきたのは王都の生温かい夜風ではない。
肺を凍らせるような極寒の北風。
そして、血と鉄の匂いが混じったベルツの荒涼たる雪原の匂いだ。
国境結界の壁すらも物理的に破壊し、強引に繋ぎ合わせた狂気の転移門。
「行くぞ」
僕は誰の返事も待たず、翻るマントと共に、地獄への門をくぐり抜けた。
ここまでご愛読いただき、ありがとうございます!
第五部三幕、これにて終幕となります。
黄金の檻の連載は明日から二週間のお休みをいただきます。
四幕 鉄牙の要塞・ベルツ王城戦は
10月16日22時より再開します。
残り半分となりました最終章、どうぞお楽しみに。




