32_国境に残る残響 リオンside
馬車での移動中、僕は宣言通り一定の距離を進むごとに窓から身を乗り出し、街道の目立たない岩陰や樹木の根元に魔力を込めた小さな帰還用アンカーの術式を打ち込んでいった。
これさえあれば帰りは点と点を繋ぐようにして、連続した短距離転移を繰り返すことができる。
そうして馬車に揺られること二日。
僕たちはついに、北の国境――ベルツ王国との境界にそびえ立つ、巨大な関所へと到着した。
四年前まで戦争をしていた相手国。
どんよりと曇った空の下、鉄と石で組まれた無骨な出入国管理施設が威圧的に立ち塞がっている。
吐く息は白く、吹き付ける風には微かに雪の匂いが混じっていた。
僕たちは正規の手続きを経て、ベルツ側の入国審査ゲートをくぐった。
クラリスさんがレジャーノン伯爵夫人としての外交通行証を提示したため、審査自体は思いのほかスムーズに進んだ。
審査を終えた後、クラリスさんは窓口に座っていた出入国管理局の女性職員に声をかけた。
「五か国魔導親善試合に参加していたベルツ使節団ですが、彼らは国境までは馬車で戻り、そこから転移門を使ってどこかに移動はずなのです。……どのあたりで魔法を展開したか、ご存じありませんか?」
女性職員は、怪しむ様子もなく事務的な声で答えた。
「ああ、先日の使節団の方々ですね。転移門はかなり大がかりな魔法展開がなされるので、魔力干渉を防ぐため、ベルツでは専用の場をご用意しております。この出入国管理局の裏手にある、石造りの広場が開放されています。おそらく、そちらからお帰りになられたかと思いますよ」
「ありがとうございます。少し見学させていただいても?」
「ええ、立ち入りは自由ですので」
僕たちは顔を見合わせ、すぐさま管理局の裏手へと向かった。
そこには、直径五十メートルはあろうかという、広大な円形の石畳の広場が広がっていた。
周囲には魔力を逃がすための金属製のポールが何本も立てられているが、人影は全くない。
「ここですね。サミュエル・クーパーが転移門を開いた場所は」
「転移門を開ける高位魔導師は限られているので、痕跡はそう多くないはずですわ」
僕の言葉にクラリスさんは静かに頷き、続いてイザベラさんが広場の中央へと歩み出た。
「……王宮の馬車留めの時と同じ方法で探ります」
イザベラさんがローブの下から両手を伸ばし、石畳の上で影魔法を展開する。
墨汁のような真っ黒な影が彼女の足元から四方八方へと這い出し、石の隙間を縫うようにして広がっていく。
数分間の静寂。
やがて広場の中央から少し外れた場所で、這い回っていた影がピタリと動きを止めた。
そこだけ空間が不自然に歪んでいるのが僕の魔力眼にもはっきりと見て取れた。
「……見つけました」
イザベラさんが振り返り、フードの奥で鋭い光を放つ。
「残響もかなり大きいし、まだ魔法陣の一部が消えていない。先日みたいに水に記憶を転写しなくてもすみそうね。……ここで、直接測定器を使いましょう」
クラリスさんが言い、持参していたトランクから王宮の魔法省で使っていたのと同じ「波形測定の魔導具」を取り出した。
イザベラさんが特定した空間の歪み――転移門の巨大な発動点に、測定器の魔導針を合わせる。
「抽出、開始しますわ」
クラリスさんが魔力を流し込むと、測定器の歯車がギチギチと音を立てて回り始めた。
セットされた真っ新な水晶版の内部に、見えない黒いインクが広がるように、複雑な魔力の波長が刻み込まれていく。
巨大で、複雑で、冷たく暗い波形。
その異質な魔力の形は、間違いなく高度な影魔法の使い手によるものだった。
「できたわね」
クラリスさんが水晶版を取り出し、光にかざす。
そして、もう一枚の水晶版――王宮の馬車留めから採取した、母上を攫った犯人の魔力波形のデータを重ね合わせた。
カチャリ。
二つの水晶版が重なり合う。
(――完全な一致……!)
寸分の狂いもなく、波形の乱れから深度に至るまで、二つのデータは恐ろしいほどにピタリと重なり合っていた。
「……間違いない」
僕はギリッと奥歯を噛み締め、水晶版を睨みつけた。
ベルツ使節団が内陸部の拠点へ戻る際に展開した転移門の残滓と、王宮地下に残されていた誘拐犯の痕跡。
それが、今ここで完全に結びついたのだ。
「……サミュエル・クーパーの関与が、ほぼ確定しましたわ」
クラリスさんが固い声で呟いた。
イザベラさんも無言のまま険しい表情で頷く。
ベルツ王国の使節団リーダー、サミュエル・クーパー。
馬車の中でクラリスさんから聞いた話によると、四年前の戦争で父上に一族を滅ぼされた、グレンフィールド公爵家の末裔。
彼が、母上を攫ったのだ。
(待っていてください、母上。僕たちが必ず迎えに行きます)
吹き荒れる北の冷たい風の中で、僕は唇を噛んだ。
犯人は特定された。
あとはこの証拠を一刻も早く王都へ持ち帰り、父上を動かすだけだ。
僕の心の中で母上を救い出すための反撃の炎が、静かに、しかし熱く燃え上がっていた。




