29_狂王の野望 シャルロットside
「サミュエルよ」
低く、地を這うようなしゃがれた声が石牢に響き渡りました。
目の前に現れたその男は、豪奢な毛皮のマントを羽織り、頭には鈍く光る王冠を戴いていました。
皺の刻まれた顔には傲慢さが張り付き、落ち窪んだ双眸には異常なほどの渇望がギラギラと燃え盛っています。
「陛下……」
後ろに控えていたらしきサミュエルが慌ててその場に跪きました。
『陛下』
その呼び名で、私は絶望的なまでに理解しました。
この威圧的な初老の男こそが、軍事国家ベルツ王国を統べる絶対的な支配者。
――ベルツ王なのだと。
「陛下がこのような地下の虚数空間にまでいらっしゃらなくとも……。御身に障りますゆえ、ご報告は後ほど私が――」
「遅い!」
ベルツ王の一喝が冷たい石壁をびりびりと震わせました。
サミュエルが口を噤み、深く頭を垂れます。
「いつまで経ってもその魔物の研究とやらが終わらんではないか。あまりモタモタしておるとシルバードの奴らに勘付かれるぞ!」
王の怒号には、焦りがひどく滲んでいました。
「も、申し訳ございません。しかし陛下、シーランド王国が突如特殊薬品の輸出を全面的に停止した影響で、生体保存液と魔力安定剤が不足しておりまして……。あの魔物から『生命石』を抽出するには、最高純度の薬液が不可欠なのです」
「言い訳など聞きたくはない!」
ベルツ王はサミュエルの言葉を乱暴に遮り、杖の先で石床を激しく打ち据えました。
「無いなら作ればよかろう。……現在、研究室の薬液槽には『素材』が漬かっているはずだな?」
「はっ。捕虜にしていた魔導師を生きたまま薬液に漬け込んで呪術をかけておりますが……まだ抽出の工程が半分も終わっておらず……」
「構わん。今すぐそのストックしている人間を急ぎ結晶化させよ! そして薬液槽と保存容器を空け、この魔物の容器に回すのだ!」
「な……ッ!?」
サミュエルが息を呑みます。
わたしも、手枷の冷たさを忘れるほどの衝撃に打ちのめされました。
「ベルツ王……。あなたが……」
「おぞましい魔物め……! あれだけの才がありながら、ヴァルテンベルク公爵もかような女に魅入られるとは」
「っ……!」
分かっています。
わたしのような女が国の至宝であるあの方に愛されるなんて、奇跡のようなことだったのですから。
けれど。
人間を生きたまま薬液に漬け、呪術をかけて結晶化させるという――『生命石』の抽出。
彼らから漏れ出る言葉の端々を繋ぎ合わせると、つまりはそういうことなのでしょう。
ベルツは国家ぐるみで、魔法の発展などという大義名分すら捨て去り、恐ろしい『実験』のために罪のない人々を虫けらのように殺戮し、消費しているのです。
(悪魔と、なにが違うというのでしょうか)
「しかし陛下! 工程を強引に早めれば抽出できる生命石の純度が著しく低下します。それでは陛下の寿命を延ばすには……」
「黙れ! そんな低級な人間の生命石など、もはやどうでもよいのだ!」
王の血走った目が、ぎょろりとわたしの方へ向けられました。
「……っ」
その視線には、わたしというひとりの命に対する尊厳など微塵もありません。
ただ、自らの渇望を満たすための極上の『肉塊』を見る、醜悪な欲望だけが渦巻いていたのです。
「余が欲しいのは、その女の血肉だ。不老の肉体を持ち、魔力を喰らって生きるその魔物の心臓で余の不老不死の薬を完成させるのだ。……七日だ。七日の猶予を与えよう。それまでに必ずその魔物を薬液漬けにして生命石の抽出を開始するのだ」
「……御意に」
サミュエルは深く頭を垂れ、王の狂気じみた命令を受諾しました。
ひゅ、と喉奥から掠れた空気が通り抜けました。
宣告されたのは、あまりにも残酷で無慈悲な死の予告。
七日を待たず、わたしは冷たい薬液に漬けられ、呪術の炎に焼かれながら、この命を散らすことになるのです。
「ククッ……。待ち遠しいことだ。期待しているぞ、サミュエル。成功すればお前の家名も、地位も、すべて元通りにしてやろう」
「はっ。……必ずや」
ベルツ王は満足そうに笑うと、再び豪奢な毛皮のマントを翻し、重い足取りで牢を出て行きました。
静寂が戻った石牢の中で、サミュエルはゆっくりと立ち上がりました。
彼はわたしを一瞥し、忌々しげに舌打ちをします。
「……聞いた通りだ。遅くとも七日後、お前は薬液槽の中で生命石の素材になる。それまで、せいぜいその命を惜しむことだな」
サミュエルもまた扉の向こうへ消え、鍵がガチャリと閉められました。
再び訪れた静寂の中で、わたしは冷たい床に横たわったまま、ただ静かに呼吸を繰り返していました。
七日。
わたしの命の猶予は、あと七日しかない。
もしわたしがただの人間であったなら、この絶望的な宣告に狂乱し、自ら舌を噛み切って死を選んでいたかもしれません。
けれど。
お腹の中の小さな命を守るために。
そして、必ず助けに来てくれると信じている、愛する夫と子どもたちに会うために。
(レインハルト様……。わたし、待っています。最後のその時まで……)
冷え切った身体を震わせながら、わたしは拳を握りしめました。
絶望の底に突き落とされてもなお。
わたしの中の愛の炎は、決して消えることはなかったのです。




