27_やせ細る花 シャルロットside
ぴちゃん、……ぴちゃん。
遠くで水滴が落ちる音がします。
それが現実の音なのか、それとも限界を迎えたわたしの脳が見せている幻聴なのか、もう判別がつきませんでした。
冷たい石の床に転がされたまま、どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。
石牢に閉じ込められ、毎日決まった時間に連行されては実験体のように扱われていました。
「はぁっ……、あ……」
乾いた唇から掠れた白い息が漏れる。
最後に口にしたのはサミュエルが何らかの数値を計測するために与えた苦い水だけ。
食事らしいものは、ここへ攫われてから一切与えられていません。
普通の人間であれば、とっくに渇水と寒さで命を落としているはずでした。
わたしがまだこうして僅かに息をしているのは、わたしの身体に流れる『淫魔』の血のせいでしょうか。
けれどその血が今、わたし自身を酷く苦しめています。
(わたしが普通の人間であれば……単なる身代金目的の誘拐で済んだのでしょうけど……)
引き裂かれたドレスから覗くわたしの肌はかつての真珠のような輝きを失い、青白くまるで枯れかけの花びらのように薄く痩せ細っていました。
(レインハルト様、リオン……、アルテミスとサリエス、リリアン、イリス、そして三つ子たちに会いたい……)
わたし自身は良いのです。
けれど、おなかの子どもだけは守りたい……。
――ガチャリ、と。
重厚な鉄の扉の鍵が開く音がして、わたしの身体はビクリと硬直しました。
冷たい石の床を叩く、規則正しい靴音。
青白い魔法灯の光を背にして現れたのは右目に黒い眼帯をした男、サミュエル・クーパーでした。
「……ほう。食事と魔力供給を完全に絶って十日は経つが、やはり驚異的な生命力だ。しかし異常に美しかった肌も髪も瞳さえも常人のそれになったな。……やはり生まれ持ってのものではなく、あの膨大な魔力の内包で起こっていた奇跡だったのか」
「!……」
サミュエルは私の傍に片膝をつき、爬虫類のような冷たい左目で這いつくばるわたしを見下ろしました。
「こんなこと……もうお止めなさい。レインハルト様……そしてシルバード王国は必ず貴方の犯行を突き止めるでしょう。そうなれば、貴方の命一つでは済みませんわよ」
「フッ。まだ口が利けるほど余力があるとは。……素晴らしい、これこそ私が求めていた『素材』だ。ただの人間には到底不可能な生存限界のデータが、次々と記録されている」
彼は愉快そうに笑いながら、手枷で身動きの取れないわたしの顎を冷たい指先で乱暴に持ち上げました。
「うっ……、触ら……ないで……」
「そろそろ白状したらどうだ? おまえは何者だ? 魔界の女ではないのか」
「……違います」
「しかし何百年も前に大戦を経て魔界への門は封印されたはず。次元を超えて人間界に来れるのは高位デーモンのみ。もしくは古の禁術を使い召喚によって呼び出すか」
淫魔の血を引き、ある条件下で先祖返りが起こったなどと知れたら、どんなおぞましい実験をされるか……。
(それに、レインハルト様と約束したのです)
死ぬまで、命が尽きるその時まで。
このわたしの血の秘密は生涯秘匿すると。
「し、知らない……分かりません、わたしはただの……」
「ハア……、またそれか。……まあいい。正体がなんであろうと、我々の研究過程においてその身体を提供してもらうことには変わりない。……だが、その美しい顔もずいぶんと見窄らしくなったものだ。レインハルトが見たら、さぞかし絶望の声を上げるだろうな」
夫の名前を出され、わたしの胸の奥がギュッと締め付けられます。
レインハルト様……。
会いたい。
今すぐあの温かい腕の中に帰りたい。
その想いだけが、崩れそうなわたしの心を辛うじて繋ぎ止めている一本の糸でした。
「それにシルバードに嗅ぎつけられたところでどうということはない。正義は我々にあるのだから」
「なんですって……!?」
「ハハッ。……まだ人間のフリを続けるつもりか? 我々には大義名分がある。『ヴァルテンベルク公爵家を乗っ取ろうとした人外の女の捕縛』という、正義がな」
「!!……ちがう……。違います、わたしたちは心から愛し合って、結婚を……」
言いかけて、目頭が熱くなるのを感じました。
(――本当に?)
(あれは、レインハルト様の心からの愛だったの――?)
わたしの誘惑の香りに堕ちて、人を敵に回して。
わたしの騎士となった彼は毎夜のごとくわたしを抱き、その精気と魔力を与えることによって、わたしの生命線であり続けようとしました。
命の炎を燃やして、女王蜂に己の全てを捧げようとするかのような盲目的な献身愛――。
『君の毒』と呟いていた言葉が、今になって心を抉ってしまう。
「十数年前にもシーランドにおいて、王族に目を付けた悪魔が美しい女に化けて第二王子を誘惑していた事例もあったな。……まあ恐らくはそんなところだろう。あなたを殺せば公も目が覚めるやもしれんな」
「……わたしは……彼を心から愛しています……」
誘惑の毒によってレインハルト様の心を操ってしまっていたのだとしても。
それだけは、わたしの気持ちだけは真実だったのです。
――けれど。
そう思えば思うほど切なくて。
ぽろぽろと、涙が溢れて止められない。
「――さて」
サミュエルはつまらなそうにわたしの顎から手を離し、背後に控えていた部下へと振り返りました。
「例の魔導保存液の調達はどうなっている。人間ではない証拠も揃ったことだし、そろそろこの素材を生きたまま魔導回路に繋いで生命石結晶を抽出する段階に入りたいのだが」




