25_母を探して リオンside
母上が行方知れずになってから今日で十日が経過していた。
公爵邸を覆っていた狂乱のような絶望は、今はただ、重く冷たい静寂へと姿を変えている。
一時期、食事も摂らずに地下書庫へ籠りきりになっていた父上は、僕の叱責とエルネスト国王陛下からの訪問を経て、ようやく自室のベッドから起き上がるようにはなっていた。
けれど、その目に一度は戻ったはずの光は日を追うごとに再び薄れ、失われつつある。
父上は相変わらず母上の私室と地下書庫の間を、音もなく彷徨う幽霊のように行き来していた。
母上の部屋から漂っていた、あの甘く陽だまりのような花の匂いはひどく薄れてしまっている。
その消えゆく残香を必死に肺へ掻き込むようにして、父上は虚ろな瞳でただ立ち尽くしているのだ。
(父に手がかりが見つかったとは言ったものの、やはりもう少し時間はかかるか……)
僕は廊下の影からその痛ましい背中を一瞥し、きつく奥歯を噛み締めた。
再び王城へ赴き、現在の捜索状況を直接確認してこよう。
そう決意し、僕は双子のサリエスとアルテミスを連れて公爵邸を出た。
***
王城の西翼に設けられた特設の捜索本部。
重い扉を開けて足を踏み入れると、むせ返るようなインクの匂いと騎士たちの汗の匂い、そして煮詰まったコーヒーの焦げた匂いが鼻をついた。
「第二小隊は城下街の東区へ回れ! 見落としはないな!? 第三小隊は引き続きアララント山だ!」
部屋の中央で目を血走らせたリオネル親衛隊長が、枯れかけた声で部下たちを指揮していた。
机の上には羊皮紙が山のように積まれ、部下らしき騎士たちが絶え間なく報告を吐き出している。
「あ、リオン様……!」
僕たちの姿に気づいたリオネル隊長が、ふらつく足取りで歩み寄ってきた。
「ご苦労様です、隊長。状況はどうなっていますか」
「……芳しくありません。魔法省が管理している国内の影魔導師は、すべて波形が不一致でした。王宮内に残ってくれていた親善試合の特使たちも全て」
リオネル隊長は疲労で顔を歪めながら、重い口を開いた。
「そのため、現在は調べる範囲を拡大しています。王都内にいるすべての魔導師を――影魔法を使うかどうかに限らず、しらみつぶしに当たっているところです。外国の魔導師のピックアップ、及びすでに帰国した特使に関しては魔法省が総出でやっていますが……」
その報告を聞きながら、僕は冷めた頭の片隅で(やはりな)と思っていた。
王都内を探したところで、無駄なのだ。
僕には、言葉では説明できない「確信」めいた思いがあった。
母上は、すでにこの国にはいない。
父上のあの底なしの絶望の深さと、僕の中に流れる母上の血が、そう告げている。
耳を澄ませても、目を凝らしても、母上の温かな気配はどこにもない。
すぐには到底辿り着けないほどの、圧倒的で絶望的な「距離」を感じるのだ。
「……リオネル隊長。クラリスさんたちは今どこで何をされているのですか?」
ふと気になって尋ねた。
父上の元部下であり、いつでも力になると言ってくれていた彼女たちの姿が、この本部にない。
僕の問いに、リオネル隊長は少し言いにくそうに視線を泳がせた。
「姉貴とイザベラ殿なら……二日前に馬車でベルツ国境へ向かいました」
「ベルツの国境……!?」
僕は思わず声をあげ、サリエスとアルテミスも驚いて顔を見合わせた。
「ああ。詳しいことは教えてくれませんでしたが、向こうに犯人を特定するための重要な『証拠』が残っている可能性があるとかで……。姉貴が絶対に行くと言って聞かなくてですね。護衛はつけましたが。国内の移動とはいえ、オレも胃が痛くて……」
リオネル隊長の愚痴は、もはや僕の耳には入っていなかった。
頭の中で、王都から北のベルツ国境までの地図が急速に広がる。
――ベルツ国境までは馬車で急いでも四日はかかる距離だ。
母上の安全を考えれば一刻の猶予もないはずのこの状況で、あえて何日もかかる場所へ赴いた。
優秀な元役人である彼女たちが無駄足を踏むわけがない。
そこには確実に、状況をひっくり返すほどに強い『動機』と『確証』があるはずだ。
(クラリスさんたちが向かったのなら、僕たちも行くべきだ。だが、馬車で追っていては遅すぎる……!)
母上が姿を消して十日。
犯人の目的が何であれ、母上の命は常に危険に晒されている。
悠長に馬車に揺られている時間など、一秒たりともない。
僕は両手を見つめ、体内を巡る魔力を循環させる。
国家間を超えるような長距離の転移は、結界に弾かれるため不可能だ。
しかし、国内の領地を経由して繋ぐ『中継転移』ならば、僕の演算能力と双子の力を使えば、なんとかショートカットできるかもしれない。
「リオネル隊長。クラリスさんの現在の位置、大体で良いので教えてください」
僕が真剣な声で問い詰めると、リオネル隊長は目を丸くした。
「お、おお……。二日前に出立したのなら、今はドワテオ領のシムカ市あたりじゃないか……? 宿を取るにしてもおそらくその周辺だが……。リオン様、まさか」
(ドワテオ領、シムカ市……。一度そこに飛び、そこから再度国境の関所まで空間を繋ぐくらいなら……!)
「ありがとうございます。十分です」
僕は踵を返し、双子へ視線を送った。
「サリエス、アルテミス。力を貸してくれ。母上に繋がる何かが見つかるかもしれない」
「うん!」
「わかったわ、お兄様!」
双子は一切の躊躇いなく、力強く頷いた。
僕たちは捜索本部を飛び出し、王城の庭園の死角へと向かった。
誰もいない石畳の上に立ち、僕は深く息を吸い込む。
足元から、黄金色の魔力が陽炎のように立ち上り、周囲の空気をびりびりと震わせた。
「座標指定、北北東。ドワテオ領シムカ市外縁」
僕が空間の歪みを計算し、魔力で編み上げた術式を地面へ展開していく。
「サリエス、アルテミス! 空間の固定を頼む!」
「大地の楔!」
「精霊の道標!」
双子が息の合った詠唱とともに僕の展開した不安定な転移陣の四隅へ、銀色がかった魔力の杭を打ち込んだ。
彼らの術式が、強引にこじ開けた空間の裂け目をしっかりと縫い留める。
バリバリッ! と、大気を引き裂くような耳障りな音が響き、目の前の空間に漆黒の穴がぽっかりと口を開けた。
穴の向こうからは王都とは違う、北の冷たく乾燥した風の匂いが吹き付けてくる。
僕たち子供だけで長距離の転移門を開く。
魔法省の大人たちが見れば卒倒するような無茶な真似だが、父上の異常な構築理論を幼い頃から見せられてきた僕たちにとっては、不可能ではなかった。
「行くよ、二人とも。クラリスさんたちに追いつき、母上の居場所を突き止めるんだ」
母上の笑顔を取り戻すためなら、どんな無茶だってやってみせる。
僕は双子の手をしっかりと握り締め、躊躇うことなく冷たい風が吹きすさぶ漆黒の転移門の中へと飛び込んだ。




