21_影を操る者たち クラリスside
研究倉庫を兼ねた特別調査室。
重い木製の扉を開けると、うず高く積まれた羊皮紙の向こうから一人の男性が顔を出した。
現在の魔法省で本件の調査室長を任されているアルヴィン・ニース殿だ。
「これは……クラリス様ではありませんか。それにリオネル隊長、イザベラ様も」
「お久しぶりです、アルヴィン殿。退役してから数年ぶりでございますわね。ご出世なさったようで」
アルヴィン室長は驚いたように目を丸くした。
彼の目の下には、遠目からでもわかるほど色濃い隈がどっぷりと刻まれている。
身なりは整えられているが、事件発生から四日間、おそらくろくに休息も取らずにこの部屋で調査の指揮を執っていたのだろう。
「お忙しいところ申し訳ありませんわ、室長。少し、魔導具をお借りしたくて」
「魔導具、ですか?」
わたくしが事情を説明し、馬車留めの現場から採取した水を封じた試験管を見せると、彼の疲労しきった顔に驚愕の色が走った。
「影魔法の発動点を特定し、水を採取してきたと……!? そんなやり方が……」
「ええ、影と光の魔法は特に消えるのが早いですからね。しかしそこはこのイザベラの得意分野ですわ。こう見えても影魔法の総本家ともいわれるランドウィン家の子女ですので」
わたくしが静かに事情を話すと、アルヴィン室長は無念そうに唇を噛み、深く頷いた。
彼は非常に有能で誠実な魔導師だ。
決して、魔法省が初動を怠ったわけではない。
それは元同僚であったわたくしにも十分に理解できることだった。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが……我々も事件後すぐ、レインハルト閣下が地下に大穴を開けられた直後に採取班を現場へ向かわせたのです。ですが照合に使えるような波形は取れなかった。そして数日が経った今、影の残滓そのものは完全に霧散してしまった……我々の失態です」
室長は机の上の羊皮紙を一枚、わたくしたちの方へ押しやった。
そこには国内で影魔法を使える家系が、末端の分家まで網羅されて記載されている。
イザベラの名を含む、三十八名の氏名が記載されていた。
「国内の影魔法使いの大まかな洗い出しは事件翌日午前には完了していました。影を扱える人材は少な
いですし。しかし照合に使える魔力波形だけが足りなかったのです。その最後のピースがやっと……」
「気に病むことはありませんわ、室長。あなた方が最善を尽くされたことは、この羊皮紙を見ればわかります」
わたくしは努めて穏やかな声を出し、手の中にあった試験管を机の中央に置いた。
透き通った水球が試験管の中で微かに揺れる。
「イザベラが残されたわずかな歪みから発動点を正確に特定してくれました。あとはこの水が記憶している時間を当夜まで遡らせ、波形を抽出するだけです」
わたくしの言葉に、アルヴィン室長の目に再び理知的な光が宿った。
彼はすぐさま立ち上がり、部屋の奥の厳重な保管庫から二つの重厚な魔導具を運んできた。
「わかりました。是非、お手伝いさせてください」
一つは対象の時間を巻き戻す「遡行の魔導具」。
もう一つは魔力波形をデータ化して個人レベルまで割り出す「演算機」である。
室長が魔導具の術式を起動すると、室内の空気が僅かに震え、微弱な魔力場が形成された。
「では、始めますわよ」
わたくしは試験管の蓋を開け、遡行の魔導具から放たれる光を当てた。
青白い光が水を包み込み、四日分の時間をゆっくりと巻き戻していく。
事件が起きた、あの惨劇の夜。
シャルロット様が影に飲まれたその瞬間の状態へと、水が記憶を回帰させていく。
「記憶の抽出を演算機へ」
水が淡く発光し始めたのを見計らい、演算機の処理を接続する。
ギチギチと精巧な歯車が回るような音とともに、演算機の先に取り付けられた魔導針が真っ白な羊皮紙の上を動き始めた。
まるで見えない黒インクがじわじわとにじみ出るように、紙の上に複雑な紋様が焼き付けられていく。
それは火や水の魔法が持つ、規則正しく美しい波形とは全く異なるものだった。
冷たく、暗く、極めて異質な波形。
影魔法特有の深く沈み込むような魔力の形が、視覚化されてくっきりと浮かび上がった。
「……これが、犯人の魔力波形」
「なんと精緻で、そして高度な術式構造だ……」
リオネルが息を呑み、室長が驚嘆の声を漏らす。
元魔法省勤務のわたくしから見ても、これほど緻密で特徴的な影魔法の波形は見たことがなかった。
「これなら個人の特定は可能です。室長、王宮勤務歴のある魔導師の登録データを出していただけますか?」
王宮に勤務する魔導師は犯罪防止のため、招請時に自身の魔力波形データを提出する決まりになっている。
室長はすぐに過去十数年間分の登録データが収められた水晶板を持ち出してきた。
「死去された方を除く、二十名分の全データになります。残り十八名は王国内の各地に散っているので、根気よく一人ずつあたるしかありません」
「時間はかかりますが、それが確実です。まずは私のデータから照合してください」
ずっと無言で控えていたイザベラが、フードの奥から静かな声を上げた。
影魔法の総本家である彼女も元魔法省勤務である。
当然、過去の波形データは残っている。
自分から申し出るのは疑いを晴らすための、彼女なりの筋の通し方なのだろう。
室長がイザベラの名が書かれた水晶板と、先ほど影魔法の残滓から抽出した波形が描かれた羊皮紙を見比べる。
羊皮紙に浮かんだ犯人の波形と、イザベラの波形は、全く重ならなかった。
これで、イザベラの潔白は完全に証明されたことになる。
「次はこの者です。現在、魔法省に所属している唯一の影魔法使いマイローですが……」
「ああ、彼ですか」
室長が別の水晶板を見て、イザベラが淡々と補足した。
「彼は我が家の分家出身です。ですが犯人が使ったような、空間の裏側を抉り取って転移させるほどの高度な術は到底習得できていません。話を聞く限り相当高度な古代魔術です」
――不一致。
イザベラの言葉通り、その者の波形も犯人のものとは大きく異なっていた。
室長の手によって次々と国内の影魔法使いのデータが照合されていく。
カチャカチャと、水晶板が机に置かれる無機質な音だけが、部屋に重く響き渡る。
だが。
何度照合を繰り返しても、波形が重なることはなかった。
一つ、また一つと弾かれていくたびに、室内の緊張感が高まっていく。
「……合わないな。どれもかすりもしない」
リオネルが焦燥に駆られたように呟いた。
三十八名。
国内で影魔法を使える、末端の家系まで含めたすべての登録者。
その照合がすべて終わるまでにはまだ少し時間がかかるでしょうが、わたくしの直感はすでにひとつの明確な結論を導き出していた。
これほど高度で、空間を抉り取るような特殊な波形を持つ影魔法使いがいれば、イザベラたち総本家の人間が把握してないはずはない。
魔法省の監視網はそれほど甘いものではない。
(もし、国内の三十八名すべてが不一致だったとしたら)
わたくしは羊皮紙に焼き付いた冷たく暗い波形を見つめながら、思考を巡らせた。
事件が起きたのは、「五か国魔導親善試合」の夜。
王宮には各国の選りすぐりの魔導師たちが集結していた。
そして彼らの中には、わたくしたちの監視が及ばない、強大で未知の魔法を操る者たちが数多く存在している。
「……犯人が国内の者ではない可能性も考慮して、二軸で動くべきですわ」
わたくしの静かな呟きに、室長とリオネルがハッと顔を上げた。
「姉貴、それはつまり……」
「親善試合の招待客の中に、シャルロット様を攫った犯人がいる可能性が高いということですわ」
他国の要人を疑うことは重大な外交問題に発展しかねない。
一歩間違えれば戦争の火種にもなる危険な推論だ。
それでも、この異質な波形を残した者は、確かにあの夜、あの場所にいたのだ。
シルバード王国の至宝たるレインハルト様の最愛の女性を奪った者。
それがどのような意味を持つのか、知らない人間はこの国にはいないだろう。
わたくしは少しだけ低く、ひんやりとした声で告げた。
「室長。急ぎ招待客達の波形照合を進めましょう。それに加えて人海戦術を駆使して、世界中の影魔法を得意とする家のデータを集めてください。魔導は血筋。それがこの世界の常識ですわ。高度な古の影魔法を使える血筋の者。……ある程度はそれで絞られるはず……!」
重苦しい調査室の空気が、さらなる緊張感にピンと張り詰めるのを肌で感じていた。
いつもご愛読いただき、ありがとうございます!
第五部二幕、ここで終幕になります。
三幕では過酷な監禁に耐えるシャルロット、彼女を救い出したいともがくレインハルトと子どもたち、そしてクラリスたちが大きく動き出します。
どうぞ、引き続きお楽しみください。




