20_沈黙の公爵 リオンside
「ママーッ! ママぁっ、どこぉ……? あいたいよぉ……っ!」
「うわぁぁぁんっ、ママぁっ!」
夜の公爵邸に、四歳の三つ子であるカトレア、ヴィオラ、ヴァレリアンの泣き叫ぶ声が響き渡る。
母上が忽然と姿を消し、誘拐から四日が経過した。
邸は重く冷たい沈黙と、幼い弟妹たちの悲痛な泣き声に支配されている。
母親という絶対的な安心を突然奪われた子どもたちの不安は計り知れず、邸全体が深い絶望の底に沈んでいた。
「泣かないで……お兄様たちが、きっとお母様を見つけてくれるから。ね?」
十歳のリリアンが、自分も目を真っ赤に腫らしながら三つ子たちを必死に抱きしめてあやしていた。
七歳のイリスも、しゃくりあげながら僕の服の裾をぎゅっと握りしめている。
「大丈夫だ。僕とサリエス、アルテミスで、必ず母上の居場所を見つけ出す。だから君たちは少しでもご飯を食べて休むんだ。母上が帰ってきた時、君たちが倒れていたら悲しむだろう?」
僕はイリスの頭を撫で、リリアンたちを気丈に慰めた。
サリエスとアルテミスに下の子たちを任せ、僕は一人、重い足取りで邸の地下へと向かった。
向かった先は膨大な魔導書が所蔵されている公爵邸の地下大書庫だ。
分厚い扉を開けると、むせ返るような古い紙と埃の匂い、そしてひどく淀んだ魔力の気配が押し寄せてきた。
広い書庫の床には『空間魔導理論』『影属性の特異性』といった難解な専門書や、古の転移魔法に関する古文書が、足の踏み場もないほど散乱している。
その奥の豪奢なソファーに、この邸の主であるはずの父――レインハルト・イル・ヴァルテンベルクの姿があった。
「……父上」
はだけた白シャツに黒ズボンというだらしない格好のまま、父上は大量の魔導書を胸に抱え込むようにして眠っていた。
目の下には濃く酷いクマが刻まれ、かつての輝かしいまでの美貌と威厳は嘘のように削ぎ落とされている。
サイドテーブルに置かれた使用人の差し入れの食事――パンやスープは完全に冷めきって乾燥し、全く手がつけられていない。
ただ、横に置かれた紅茶のカップだけが空になっていた。
食事もろくにとらず母上の手がかりを求めて空間魔法の文献を読み漁り、限界を迎えて気絶するように眠る。
誘拐された日から食事も会話も拒み、こんな廃人同然の生活を四日間続けているのだ。
僕は呆れと苛立ちを胸の奥に押し込みながら歩み寄った。
「父上。起きてください」
僕が冷たい声で呼びかけ、肩を揺さぶると、父上は弾かれたように身を起こした。
バサバサと胸から何冊もの本が滑り落ちる。
「……シャル……っ、シャルの居場所が分かったのか……!?」
血走った目で僕を睨みつけ、すがりつくように両肩を掴んでくる。
「それを皆で探すのです! 父上!!」
僕は苛立ちを隠さずに怒鳴り、懐からハンカチを取り出して差し出した。
中には王宮の地下から拾い集めたイエローダイヤモンドの指輪の欠片が包まれている。
無言で父上はその欠片を手に取った。
長い指先が微小なダイヤモンドの断面をなぞる。
「リオンおまえ、術式を書き換えたな? 共鳴の術式に書き換わっている」
覇気のない声だが。
指先に触れただけで僕の施した複雑な術式改変を瞬時に読み解くあたり、腐っても天才魔導師ということか。
「元の個体を呼び合うように組み替えました。それで反応があったのです」
僕は真っ直ぐに父上の目を見据えて答えた。
「その場の細かい破片はそれで全部かき集めましたが、まだ外に向かって反応があります。……おそらくは母上側に」
「……」
欠片を見つめたまま、父上は押し黙った。
「父上!!」
たまらず僕が声を荒らげると、父上は虚ろな目のまま、ポツリとこぼした。
「そんな破片になってしまっては、万が一彼女が所持していたとしても……よほど近付かない限りはなにも感じることはできない……」
「……!」
僕は息を呑んだ。
魔力のパスが細すぎるため、大まかな方角や距離すら特定するには至らないということか。
最強の探知能力を持つ父上でさえ追えないほどの、絶望的な距離と分断。
「いや、そうだな、いっそのこと世界中を這ってでも……」
不意に父上の言葉のトーンが変わった。
濁りきっていた金色の瞳孔が異常なまでに大きく開き、どろりとした漆黒の狂気が溢れ出す。
空気がひしゃげ、肌を突き刺すような濃密で暴力的な魔力がソファーを中心に渦を巻き始めた。
僕は全身に粟が立ち、戦慄した。
背筋をじっとりと冷や汗が流れ落ちる。
このままでは父上の魔力が暴走する。
理性を失った父が世界中を這い回って母上を探し始めれば、文字通り物理的に大陸を破壊して回りかねない。
僕は必死に動揺を隠し、努めて冷静に、猛獣を窘めるように言った。
「……いけません。……そうですね、僕が間違っていました。今、犯人の痕跡が追えそうかもしれない局面なのです。せめて方角だけでも確定させましょう」
「リオン? それは本当なのか」
瞳孔が開いたまま、父上がすがりつくように僕を見る。
圧倒的なプレッシャーに膝が震えそうになるのを僕は奥歯を噛み締めて耐えた。
「数日お待ちください。父上の部下だったクラリスさんたちが動いてくれているようです。魔力波形が特定できれば、少なからず道は開けます」
「!……そ、そうなのか……。僕は……僕も何か」
ふらふらと立ち上がろうとする父上を僕は冷たく見下ろした。
「……父上は来るべき日のために身体を休め、食事を摂ること。それだけです。そんな状態で母上を救うことができるとでも?」
「……リオン、……」
僕の言葉に父上の目から狂気の光が引き、再び深い絶望の色が戻ってきた。
糸が切れたようにソファーへと沈み込み、また抱えていた魔導書へ力なく手を伸ばす。
正気を失った父親に僕は重いため息を漏らした。
これ以上この部屋にいても意味はない。
書庫を出ると、心配そうに様子を窺っていた双子のサリエスとアルテミスが駆け寄ってきた。
「どうだった……? お父様、何か分かったの?」
僕は首を横に振り、双子に今のやり取りをかいつまんで話した。
母の手がかりを求めて狂気に呑まれそうになる情けない父親の姿を。
「父上はダメだ」
僕は冷たく言い捨て、廊下の窓から広がる王都の空を見つめた。
「僕たちだけでもできることをやろう。母上を取り戻すために」
クラリスさんたちの調査結果を待ちつつも、僕たち自身が動かなければならないのだと、僕は強く決意を固めていた。




