17_空無の痕跡 クラリスside
清涼な朝の空気を吸い込みながら、弟のリオネルと一緒に王宮の馬車留め付近に立っていると、見知った女性が近寄ってくるのが見えた。
わたくしの急な呼び出しにも関わらず、かつての同期であるイザベラが駆けつけてくれたのだ。
「ありがとう、イザベラ。子どもも小さいのにごめんなさいね」
「いいのよ。まさかシャルロット様が攫われるなんてね。娘さんたちはさぞ悲しんでおられるでしょう」
「本当に。ヴァルテンベルク家ならず、この国家としても一大事ですわ」
小柄で黒いローブを目深に被っている彼女は相変わらず口数は少ないが、その影魔法の腕は随一だ。
イザベラの家はシルバード王国においての影魔法の総本家とも聞き及んだことがある。
「イザベラ様、ご足労いただき申し訳ありません」
「リオネルくん。久しぶりね。王宮の人間だけでは犯人の追跡は難しそうだったのね?」
「うっ……、は、ハイ……。面目もありません……」
「いいのよ。レインハルト様が見失うくらいなのだから。……さて、私は何をすればよいのかしら?」
向かったのはシャルロット様が攫われたという王宮の馬車留め付近。
事件発生からすでに三日の時間が経過し、親衛隊の大捜索で大勢の人間が踏み荒らした後である。
魔力の痕跡は絶望的なまでに薄くなっているはずだった。
「イザベラ、お願いできるかしら。まずは影魔法が発動した位置を特定したいの」
「わかったわ」
イザベラは石畳の上に静かに膝をつき、ローブの下からほっそりとした腕を伸ばした。
彼女の指先から霧のような黒い影が這い出し、石畳の隙間を縫うようになぞっていく。
それは物理的な影ではなく魔導の網。
薄くなってしまった影魔法の痕跡を同じ属性の魔法で探り当てるのだ。
「……微かですが。この一点に影魔法の残滓があります」
イザベラが指差した場所は一見すると何の変哲もない石畳の窪みだった。
しかし彼女が特定したその僅かな波動の位置こそが、事件の重要な手がかりとなる。
「そこね。下がってちょうだい」
わたくしはイザベラと入れ替わるようにして、その窪みに手をかざした。
わたくしの得意とする水魔法。
水は、あらゆる物質の中で最も『記憶』を保持する性質を持っている。
――キィィィン……。
地面に深く沁み込んでいた朝露と、空気中の僅かな水分を魔力で絡め取り、ひとつの水球を形成する。
私はその水球をあらかじめ用意しておいた特殊な試験管の中へと慎重に閉じ込めた。
「よし。何らかの魔力波形は取れたはずよ」
わたくしは試験管を光に透かしながら言った。
「あとはこの水分が保持している時間の記憶を、事件が起きた『四日前』に戻す魔導具と、魔力波形をデータ化して個人レベルまで割り出す演算機の魔導具が必要ね」
「となると、王宮の魔法省へ行くしかないわね」
イザベラが頷く。
「ええ。魔法省内の魔道具研究倉庫へ借りにいきましょう。……でも、その前に」
わたくしは視線を王宮の外壁沿いへと向けた。
「レインハルト様が大穴を空けたという、地下の転移門跡。あそこも調査のために寄っておきたいわ。犯人が逃走経路に使った場所なら、何か別の手がかりが残っているかもしれない」
***
わたくしたちは馬車留めを離れ、王宮の外壁沿いにあるという大穴の底――破壊された地下通路へと足を踏み入れた。
しかし、そこには先客がいた。
ひとりは、昨日の魔導試合で見かけた大柄な男。
そしてもう数人は、まだ幼さの残る少年少女たちだった。
金色の瞳や黒髪、銀髪を持つ彼らは、瓦礫の山を必死にひっくり返して何かを捜している。
親衛隊長であるリオネルが、警戒を解かないまま大柄な男に声をかけた。
「貴殿はベルツ国の魔導師の方ですね? ここで何を……」
声をかけられた赤髪の男は少し気まずそうに頭を掻きながら状況を説明した。
「え? えーと、レインハルトのお子様たちに頼まれたのもあって。許可を取って調べさせてもらってたんだよ」
レインハルト様のご子息たち。
わたくしは彼らの顔をまじまじと見つめた。
退役したわたくしは公爵邸を訪れる機会もなく、彼らとは初対面だった。
けれど言われてみれば、あの涼やかな目元や整った顔立ちはレインハルト様によく似ている。
(あの子たちがそうなのね……)
「失礼ですが、閣下とどういったご関係で……?」
リオネルがさらに問いただすと、彼は腕を組んで唸った。
「あぁ、俺はう~~~~~ん……。……ッ昔の学友だ!! 王立ラピスラズリ学園の。名前はグリオール・ロドリゲス。ベルツ国に所属してるが生まれはシルバードだしな。それと、何らかの属性を極めた高位魔導師の知り合いがいれば協力を願いたいのだが」
「そうだったのですか」
リオネルは納得したように頷き、警戒を解いた。
どうやら彼らも、純粋に奥方様を探し出そうとしているらしい。
「姉貴。オレは魔導のことは分からない。属性を極めた高位魔導師の心当たりは?」
「そうねぇ、何名かいると思うけれど、影魔法に関してはイザベラかしら……」
その時だった。
瓦礫の隙間を探っていた一番年長の少年――長男らしき彼が、弾かれたように声を上げた。
「……あった!!」
少年の泥だらけの手には、キラキラと鈍く光る小さな破片が握られていた。




