16_暴かれる肉体 シャルロットside
サミュエルは部下らしき男を下がらせ、この石牢にふたりきり。
青白い魔法灯の光に照らされた彼の顔は、夜会で見せたような整えられた貴族的な仮面を完全に脱ぎ捨てていました。
右目を覆う黒い眼帯が、彼の歪んだ内面を象徴しているかのように深い影を落としています。
「夜会ぶりですね、夫人。いや、この空間においてその敬称は相応しくないかもしれませんね。……名もなき美しい実験体、とでもお呼びしましょうか」
サミュエルはわたしの顎を冷たい指先で乱暴に掴み、無理やり上を向かせました。
逃げ場を奪うようにして覗き込んでくる彼の残された左目。
それは爬虫類のように無機質で、背筋が凍るような粘着質な光を帯びていました。
手枷と足枷で冷たい石の床に縫い付けられている状態では、その不快な手から逃れることすらできません。
「……何が目的ですか。シルバード王国の……ヴァルテンベルク公爵の妻であるわたしを攫って、ただで済むと思っているのですか……!」
恐怖を必死に押し殺し、わたしは精一杯の強がりで彼を睨みつけました。
レインハルト様の名前を出せば、少しは怯むのではないかという淡い期待もありました。
しかし、サミュエルは鼻で笑うだけだったのです。
「ただで済む? フフ、それは彼らがこの場所を把握できたらの話でしょう。あの男――ヴァルテンベルク公が今頃、王宮近辺の地下を狂ったように掘り返している姿が目に浮かびますよ。だが無駄だ。この場所は『虚数空間』の断層に位置している。助けが来るなんて虚しい期待はしないことですね」
絶望的な宣告にわたしの呼吸が浅くなります。
サミュエルはわたしの顎から手を離すと、魔導記録の羊皮紙をパラパラと眺め始めました。
「それにしても……」
彼は羊皮紙から目を離し、再びわたしを舐め回すように見つめました。
「君のこの特異な生命力には本当に驚かされる。先ほどから計測している魔力波形と細胞の活動記録ですがね……明らかに人間ではないデータばかりが出ているというのに。不思議だ」
わたしの心臓が、ドクン、と大きく跳ねました。
「ヴァルテンベルク公は由緒正しき公爵家の人間で間違いない」
サミュエルは羊皮紙を無造作に懐にしまい、わたしの顔のすぐ近くにまで身を屈めました。
「王家にも連なる高潔なるレインハルト貴公子。本来ならば魔を滅す国のための守護者であるべき立場の男。それがどうだ。魔物と婚姻したばかりか数多の子を成すとは。知ってか知らずか……。もし知ったうえでと言うのなら、あの男の頭のネジは飛んでしまっているのだろうか?……ククッ」
「……っ! レインハルト様を、愚弄しないで……!」
喉の奥から絞り出すような声が出ました。
わたし自身のことを化物扱いされるのは我慢できても、愛する夫を狂人呼ばわりし侮辱されることだけは、どうしても許せなかったのです。
「愚弄? 事実を言ったまでです。魔物と交わり、その腹に人間の、しかも高貴な公爵家の血を引く子どもを宿させるなど狂気の沙汰だ。……まあいい。彼がどんな異常な性癖を持っていようと私には関係のないことだ。私が知りたいのは貴女のその肉体の構造だけですからね」
サミュエルはそう言うと、右手をふわりと持ち上げました。
彼の指先から石油のようにどろりとした真っ黒な『影』が滴り落ちます。
その影はまるで意思を持った蛇のように床を這い、わたしの足元へと絡みついてきました。
「な……っ、なにを……!」
「知的好奇心というところかな。あの涼しい顔をしたレインハルトが溺れ切っているというその身体を検分してあげましょうか」
サミュエルの指先が微かに動いた瞬間、床を這っていた影が鋭い刃のように変質しました。
シュガッ、という不気味な音と共に、影の刃がわたしのドレスを容赦なく切り裂いていきます。
「ああっ……!」
夜会のためにレインハルト様が魔法で仕立ててくれた、星屑のような美しいドレス。
布が裂ける無惨な音が冷たい岩牢に響き渡ります。
上質なシルクの生地が紙切れのように剥ぎ取られ、宙を舞っていく。
瞬く間に、わたしの身体を覆っていたドレスはズタズタに引き裂かれ、床に散らばりました。
辛うじて残っているのは薄く儚い下着のみ。
ほとんど裸も同然の姿で、冷え切った空気に晒されます。
「ひぅっ……」
冷たい空気が露わになった柔肌を容赦なく撫で、わたしは寒さと羞恥で身体を丸めようとしました。
しかし、手足に嵌められた重厚な枷がそれを許さず、わたしは無防備な姿のまま石の床に縫い付けられていました。
「やはりな」
サミュエルの左目が剥き出しにされたわたしの身体を、じっくりと観察するように細められました。
「報告によると三十一歳ということだが。実年齢に対しての顔の若々しさもさることながら、その肉体、とてもではないが子を産み落としたとは思えんな」
「……!? それは、レインハルト様の魔法のおかげで……!!」
「ハハッ。治療や癒しの魔法と、若返りの魔法を混同されては困る。そして、若返りの魔法には代償が大きすぎるしあの男がそれを最愛の妻に施すとも思えない」
「どういうことです……?」
「ハア。説明する義理もありませんがね。あの男の魔導の力ではないところの力学が働いているのは、我々から見れば明らかということです。――まあ結論付ける前に、まだデータが足りない」
まるで珍しい昆虫の標本でも眺めるように、彼はゆっくりとわたしに歩み寄ってきました。
産後のたるみも、崩れも傷跡もない。
レインハルト様の魔力によって保たれた真珠のような肌が、青白い魔法灯の光の下で残酷なまでに晒されます。
「い、いや……! 近づかないで!!」
わたしは必死に身をよじり、彼から逃れようとしました。
しかし、枷の鎖がジャラジャラと虚しい音を立てるだけで、彼から遠ざかることはできません。
お腹の中の小さな命を守ろうと、せめて腕で隠そうとしますが、それすらも封じられていました。
サミュエルがわたしのすぐ傍に片膝をつきました。
彼は影の刃を収めると、今度は直接、その素手をわたしへと伸ばしてきたのです。
「やめ……っ、触らないで……!」
冷え切った彼の指先が、わたしの太ももに触れました。
それだけでもゾッとするような嫌悪感が走ったのに、彼はさらに、その鋭く伸びた爪をわたしの柔らかな肌にギリリと食い込ませたのです。
「いたっ……!」
白い肌に容赦なく爪が沈み込みます。
血が滲むすれすれの痛みに、わたしの喉から悲鳴が漏れました。
彼は痛めつけることを楽しむでもなく、ただ肉の弾力や皮膚の強度を確かめるように、無機質な力で爪を立て続けています。
涙が頬を伝い、冷たい石の床に吸い込まれていきます。
そんなわたしの怯える顔を至近距離で覗き込みながら、サミュエルは酷薄な笑みを浮かべました。
「安心してくれ。女としては全く興味はない。ただ、あの男の妻であること。人外であること。そして、高潔を気取っている奴が溺れるように愛しているその肉体を調べたいだけだ――」
男の執念深く狂気じみた宣告が、太ももの痛みと共にわたしの耳の奥に突き刺さります。
「夫が憎いのですか?……なぜ」
「……ふ。頭は悪くないようだが。今はどうでもいい」
お腹の子どもへの不安と、レインハルト様に会えない絶望が飽和し、わたしの精神は限界を迎えていました。
(レインハルト様……、わたし、わたしは……!)
心の中で愛する人の名前を呼ぶ声は誰にも届くことなく。
わたしの身体は残酷にも蹂躙され。
思考は深い闇の中へと沈んでいきました。




