13_公爵家嫡男、リオンとの邂逅 グリオールside
翌朝、王宮内は蜂の巣をつついたような騒動となっていた。
筆頭公爵家夫人の誘拐。
それはシルバード王国にとっての国家的な危機であり、騎士団、魔導師団、さらには隠密部隊までもが動員され、総員あげての捜索が開始されていた。
「グリオール。どうしたんだい、そんなに沈み込んで。慌ただしいようだが」
廊下のざわめきの中、背後から声をかけてきたのはサミュエル・クーパー伯爵。
彼は普段通り完璧に整えられた身なりと、涼しげな微笑みを浮かべていた。
「サミュエル殿。……どうやら、レインハルトの嫁が何者かにかどわかされたようで。……昨夜はひでぇ有様でしたよ」
「ふぅん……。あのシルバード王国最強の魔導師を出し抜くとは、なかなかの手練れがいるものだね」
「俺はあいつのことは気に入らねぇが、あんな死人のような姿を見せられちゃあ流石に気が滅入りますわ。あの様子じゃ、しばらくは使い物にならないでしょうね」
「そうなんだ。彼ほどの男が妻がいなくなった程度で死にそうになっているのか! ハハ、それは面白い冗談だ」
「……笑い事では、ないでしょう」
俺はサミュエルのどこか冷淡な笑い声に微かな違和感を覚えた。
「ごめんごめん、ついね。……さあ私たちはもう昼には帰還するよ。君はまだ残るのかい、グリオール?」
「はっ? 王宮は今封鎖されてるんでしょう」
「ああ。昨夜から私たちの寝所まで近衛兵が来てそこら中をひっくり返して回ってたよ。さすがに王宮にはもういないと判断がつく頃だろう。そう何日も拘束されてはたまらないさ。こっちにも仕事があるんでね」
「ハア……。俺は……。まあ、もう少しあいつの様子を見てからにしますよ。どうにも放っておけねぇ」
「そう。感傷的だね。……じゃあ失礼するよ。国家間での転移魔法陣は国際法上禁止だからね、国境まではまた馬車でのんびり帰るとするよ」
サミュエルは優雅に会釈すると、そのまま迷いのない足取りで去っていった。
その背中を見送りながら、俺は心の中で悪態をついた。
(どいつもこいつも、魔導師ってのは人間味に欠けてやがる……。あいつも、あのスカしたサミュエルもな)
***
サミュエルの背中が見えなくなると、俺は小さく息を吐き出し、足早に王宮を出た。
向かった先は王都の一等地にあるヴァルテンベルク公爵邸だ。
昨夜のあの泥だらけの公爵様が、少しはマシな顔になっているか確かめずにはいられなかったのだ。
「ライバル」を自称する手前、あんな腑抜けた姿のまま放っておくのはどうにも座りが悪い。
白亜の壮麗な門を叩くと、ほどなくして重い扉が開いた。
出てきた老執事の顔には隠しきれない疲労と沈痛な色が浮かんでいた。
邸全体が、まるで主の心に呼応するように重く冷たい静寂に包まれている。
「グリオール・ロドリゲス。ロドリゲス子爵家次男だ。お宅の主人のかつての学友……、というか。顔を見に来たんだが……在宅してるか?」
俺が尋ねると、執事は申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「せっかくお越しいただいたのですが……旦那様は昨夜戻られてから、奥様の私室に籠もられたきりで。お食事はおろか水一滴すら口にせず、誰の声掛けにも応じていただけない状態なのです」
(……マジかよ)
俺は思わず天を仰いだ。
王国最強と謳われる男が、まるでお気に入りの玩具をなくした子供のように部屋に引きこもっているというのか。
「……そうか。なら無理にとは言わねぇ。出直すわ」
舌打ちを飲み込んで踵を返そうとした、その時だった。
「お待ちください、ロドリゲス様」
凜とした、まだ声変わりしきっていない少年の声が俺を呼び止めた。
振り返ると、玄関ホールの奥から仕立ての良い服を纏った一人の少年が歩み寄ってくるところだった。
昨日、コロシアムの観客席で分厚い魔導書を読んでいたレインハルトの長男――?
その顔立ちは父親によく似て端正で、金色の瞳には並の大人を凌駕するほどの冷徹な理知が宿っている。
「僕はリオン・イル・ヴァルテンベルクと申します。昨夜は父が世話になったようで。父に肩を貸していただいていたと近衛兵から聞きました。ありがとうございました」
リオンは深々と、非の打ち所のない礼をとった。
「あ、ああ……気にするな。だが、お前の親父さん、かなり参ってるみたいじゃねえか。大丈夫なのか?」
「お恥ずかしい限りです。父は母上のこととなると、昔から冷静さを欠くところがありましたから。今は何を言っても無駄でしょう」
淡々と父親を切り捨てるような物言いに俺は目を丸くした。
だが、リオンの金色の瞳の奥を覗き込んだ瞬間、背筋がゾクリと粟立った。
静かだ。
しかし、その瞳の奥には父親と同じ――いや、それ以上に研ぎ澄まされた絶対零度の怒りが静かに燃えていたのだ。
「本当に、臥せっている場合ではないのですが……」
リオンは俺を真っ直ぐに見据えて言った。
「母上は攫われた。犯人の動機は分かりませんが、身代金目的であればまだ良い。母上自身が目的であった場合でも、すぐ殺されるという可能性は薄いと思います。ですが、あまり猶予もありません。なにより、おなかに赤ちゃんを宿した状態で監禁されていると思うと……」
「そういえばそんなことを言っていたな……。夫人が身重の状態で攫われたとあっちゃ、あいつも心配で気が触れてしまうのも分からんでもない」
「まあ……どうでしょうね、父上は僕たち子どもにはさほど興味が無さそうに思えます。最悪胎児が死亡してても母上さえ生きていればと考えてはいそうですが」
恐ろしいことを淡々と述べるこの長男に、僅かに目を見開いてしまう。
片手で後頭部をかきながら、やれやれと呆れる。
「なんだあいつ、子どもが好きだから山ほどつくったんじゃないのかよ」
「……違いますね。母上を繋ぎとめるためと、……あとは単純に性欲なんじゃないですか」
「おいおい、その歳ですごいこというなぁ。えーと、リオン殿」
「事実ですよ。父は母に狂っているので。……本題に戻します。まずは母の居場所を辿れる犯人の痕跡さえ見つけられれば、僕たち家族の手で必ず取り戻す。そのために」
その言葉の鋭さに、俺は思わず息を呑んだ。
この若さで、すでに昨夜の父親と同じ、あるいはそれ以上の可能性に自力で辿り着いているのか。
「……あぁそうだな。しかし昨日のレインハルトの様子じゃ、痕跡をことごとく抹消されてたって話だぜ。影魔法を使われたってくらいしか分からない」
俺がそう答えると、リオンは小さく頷いた。
「父は最強と言われていますが、全属性の魔法をハイレベルで操れるから、ということです。ですが、各属性を専門で扱う魔導師に比べればその精度は僅かながら落ちます。父が見逃している穴があるのかもしれない。希望はその一点です」
「……あのスカシ野郎のガキとは思えねぇほど、肝が据わってやがるな」
俺は思わずニヤリと笑った。
昨夜から胸の奥に燻っていた胸糞悪さが、この少年の強い眼差しを見て少しだけ晴れた気がした。
最強の魔導師は使い物にならねぇが、この家にはまだ、こんな頼もしい獅子の子供たちがいるじゃないか。
「いいぜ、坊っちゃん。俺も手伝ってやる。あいつの目が覚めるまで、俺ができることならなんだって協力してやるよ」
俺が拳を胸に当てて請け負うと、リオンは僅かに目元を和らげた。
「ありがとうございます。……百人力です」




