12_最強の崩壊 グリオールside
夜の王宮を揺るがしたレインハルトの絶叫は、ただの声などではなかった。
物理的な質量を伴った魔力の暴風だ。
空気が軋み、王宮に張り巡らされた強固な結界が悲鳴を上げているのが肌を刺すような圧力としてビリビリと伝わってきた。
「なんだ……!? 何が起きてやがる!」
王宮の近衛兵たちが血相を変えて走り回っている。
どうやら「王宮を完全封鎖しろ」という厳命が下ったらしい。
他国の要人が集まる親善試合の夜に完全封鎖など、前代未聞の異常事態だ。
俺は魔力の発生源である王宮の外壁沿い、人気のない裏通路へと辿り着いた。
そこにはまるで巨大な隕石でも落ちたかのように、強固な石畳が広範囲にわたって粉砕され、ぽっかりと大穴が空いていた。
「……おい、嘘だろ」
すり鉢状になったその大穴の底に、一人の男が膝をついていた。
高位貴族としての豪奢な金装飾が施された正装。
見間違えるはずもない男。
つい昼頃まで涼しい顔で俺たちの魔法をあしらい、美しい嫁の腰を抱いて勝ち誇っていた最強の魔導公爵が。
「おい! レインハルト!」
俺は穴の底へと飛び降り、声をかけた。
だがヤツは振り向きもしない。
土と瓦礫に塗れ、膝をついたまま、空っぽになった手の中を虚ろに見つめている。
その指先からは制御を失った黄金の魔力が火花のようにバチバチと無秩序に漏れ出していた。
「シャル……シャル……」
ヤツの口からは、ただひたすらに奪われた妻の名前だけが呪文のように繰り返されている。
その姿を見た瞬間、俺の背筋を強烈な悪寒が駆け上がった。
学生時代のこいつは俺から見れば「感情の欠落した機械」のような奴だった。
どれだけ俺が突っかかっても、どれだけ周囲の人間が彼を妬み、あるいは称賛しても。
あいつは常に涼しい顔をして、ただ魔導の深淵だけを見つめていた。
他人に興味がなく、執着を持たず、ただ圧倒的な才能だけでそこに君臨している高潔な天才。
それが俺の知るレインハルト・イル・ヴァルテンベルクだった。
だが、目の前にいる男はどうだ。
髪を振り乱し、漆黒の夜会服は泥と魔力の余波で裂け、瞳からは知性の光が完全に消え失せている。
ただ唯一の拠り所を奪われた迷子の子供のように、あるいは世界すべてを焼き尽くさんとする破壊神のように、どろりとした狂気と絶望だけを撒き散らしている。
「おい、しっかりしろ! 何があったんだ!?」
俺はたまらずレインハルトの肩を力任せに掴んで揺さぶった。
「……消えた」
「はあ?」
「僕の目の前で……影に飲まれて、消えたんだ……。シャルが、僕の半身が……」
濁った黄金の瞳が、ふらりと俺に向けられる。
だが、その目は俺の顔など見てはいなかった。
「……僕は、彼女がいないと生きていけないのに」
「チッ……情けねぇツラすんじゃねぇよ。立て」
ボロボロと、最強の魔導師の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「シャル……シャルロット……。僕は、君を守り抜くと誓ったのに……」
俺は言葉を失った。
あのレインハルトが。
他人の前で、なりふり構わず泣いている。
「おい、しっかりしろって……」
「辿れない……、どうしたら……」
俺の言葉など全く耳に入っていないのか、一方的にしゃべり続けている。
瞳孔は開きっぱなしで、およそ理性が残っているのかすら怪しい。
愛という感情がこれほどまでに人間を無惨に作り変えてしまうものなのか。
俺には理解できないほどの激しすぎる情念と執着。
(なんなんだこいつは……完全に壊れちまった)
俺はそれ以上レインハルトにかける言葉を見つけられず、ただ近衛が駆けつけてくるまでその場に立ち尽くすことしかできなかった。
***
その日の深夜。
王宮内に用意されたベルツ王国使節団の客室に戻った俺は、豪華なベッドに横たわることもなく窓枠に寄りかかって夜空を睨んでいた。
レインハルトは近衛兵によって公爵邸へと送り返された。
あの様子ではまともな捜索の指揮など執れないだろう。
『犯人は影魔法の使い手だ。一緒に探してくれ』
あいつが俺にすがりつくように残した言葉が耳にこびりついて離れない。
「影魔法、ねぇ……」
俺は腕を組み、記憶を辿った。
あいつの嫁――シャルロットとかいう女。
確かにただの人間とは思えないほど異常な美しさを放っていた。
あの神々しいまでの存在感は高位の魔導師であればあるほど、何らかの特異性を感じ取らずにはいられないほどだった。
そして全身から迸るほどの魔力の奔流。
あいつの嫁なのだから魔導を扱えるのかもしれないが、それにしても。
最強と謳われる旦那のレインハルトに匹敵するほどのエネルギーを感じた。
もし、あの女の『価値』に目をつけた連中がいるとすれば。
(……うちの国にも、影魔法を扱える奴はいないわけじゃねぇが)
ベルツ王国は実利を重んじる。
他国の至宝を攫ってでも手に入れたいと考える狂人がいてもおかしくはない。
だが、まさか親善試合のこのタイミングで、そんな真似をするか?
「いや、ねぇだろう。現公爵の妻を攫うなんて宣戦布告と同じ。貴族階級とはいえ一介の魔導師程度が決断できるようなことじゃない」
俺は深いため息を漏らした。
「……やっぱり、もともと狙われてたんじゃないか? 滅多に外に出さないという噂だし、……犯人はすでに転移門を使って消えたというのなら尚更、王宮内に実行犯がいるとは考えづらい……」
考えがまとまらないまま、もう空は白み始めていた。
「……この十数年で、一体何があったんだよ、お前は……」
学生時代、あんなに涼しい顔をしていた男が。
恐ろしいほどに美しい妻を迎え、八人の子を成し、絵に描いたような幸せを掴んだと言っていた。
しかしその実態はどうだ。
妻を見失っただけでこれほどまでになりふり構わず狂気を宿し、この世の終わりのように絶望する。
俺には理解しがたい、激しすぎる情念。
「愛ってやつかねぇ……。それにしては重すぎる。呪いじゃねえか、ありゃあ」
独り言は窓から入り込む冷たい夜風に吸い込まれていった。




