11_砕かれた誓い レインハルトside
手に残る彼女の微かな体温と花のような甘い残り香だけが、つい先ほどまでそこに彼女がいたことを虚しく証明している。
「……嘘だろ、シャルッ!!」
僕は狂ったように彼女が立っていた石畳を素手で掻きむしった。
だが、そこにはただの冷たい石があるだけだ。
僕の魔導感覚が、完全に彼女の気配を見失っている。
最強の魔導師が守り抜くと誓った絶対の聖域は、一瞬の「影」によって、あまりにも容易く蹂躙されたのだ。
「シャルロット、どこだ!!!」
僕の喉の奥から、咆哮が迸った。
同時に、僕の内側から制御を失った膨大な魔力が爆発的に吹き荒れた。
王宮の強固な結界が悲鳴を上げ、大気が物理的な重さを持って歪む。
周囲の石柱に亀裂が走り、待機していた馬車の馬たちが恐怖に狂ったように嘶いた。
「閣下!! いかがなされました!!」
異変を察知し、王宮の親衛隊長であるリオネル・ヴァレンティーヌが数名の部下を率いて血相を変えて駆けつけてきた。
だが、今の僕には彼らの顔すらまともに認識できなかった。
僕の瞳は血走り、視界はどろりとした赤黒い殺意に染まっている。
「……封鎖しろ」
地を這うような怨念の籠もった僕の声に、リオネルが息を呑んだ。
「はっ?」
「王宮を完全に封鎖しろ!! 王族だろうが、外交使節だろうが、従者だろうが、ネズミ一匹たりとも外に出すな!! 僕の妻が……シャルロットが攫われたッ!!」
「奥方様が!? し、承知いたしました! 直ちに全門を封鎖します!!」
リオネルの悲痛な返事を最後まで聞くことなく、僕は地を蹴った。
詠唱も魔法陣も不要。
重力を無視した高速の飛行魔法で僕は漆黒の夜空へと舞い上がった。
(シャル、シャル、シャル……!)
彼女の左手薬指には僕が贈った結婚指輪が嵌められている。
あのイエローダイヤモンドは彼女の生命波長と完全に同調させた、世界で唯一の高精度追跡触媒だ。
通常であれば彼女が世界のどこにいようと数秒で座標を特定できる。
僕は魔力を極限まで収束させ、指輪を起点に精神の網を王宮全域から王都、そして国土全てを覆う規模へと解き放った。
だが、返ってきたのは底知れぬ深淵に撥ね返されるような、不気味な拒絶感だけだった。
――阻害されている。
それも、時空の歪みを幾重にも重ねた高度な遮断術式によって。
空から王宮を見下ろしながら、僕は焦燥感で気が狂いそうになっていた。
その時、王宮の庭園を足早に歩く大柄な男の姿が目に入った。
グリオールだ。
彼も夜会から引き上げてきたところらしい。
僕は上空から急降下し、彼の目の前に着地した。
――ズゴォォンッッ!!
衝撃で石畳が粉々に砕け散る。
「おい、グリオール!! 僕の妻を見なかったか!?」
「ああん? 何だてめぇ、急に降ってきやがって。見てねぇよ、そんな――」
文句を言いかけたグリオールは、僕の顔を見て言葉を失った。
そこには昼間の試合で見せた『余裕の最強魔導師』の面影など微塵もなかっただろう。
髪を振り乱し、全身から制御しきれない魔力の火花を撒き散らす、剥き出しの狂気。
「……っ、攫われた。僕の目の前で、影に飲まれたんだ! 一緒に探してくれ!!」
僕は、かつての旧友にすがりつくように頼み込んだ。
「え、ええっ!? まじかよ……あの奥さんが!? おい、冗談じゃねぇぞ……!」
「頼む。犯人は影魔法の使い手だ。心当たりがあればすべて当たってくれ。僕は痕跡を追う!」
「……分かった。チッ。任せろ、俺も探してやる!」
グリオールが駆け出していくのを見送り、僕は再び意識を『探知』の一点に集中させた。
(頼む……シャル、僕の魔力に応えてくれ……!)
その時。
僕の魔導回路の端に、ごく僅かなノイズのような共鳴が引っかかった。
「……指輪の波動……!」
微かすぎる。
だが、間違いなく僕が込めた魔力の残滓だ。
僕は一直線にその波動の源へと飛んだ。
王宮の外壁沿い、人気のない裏通路。
波動は、その石畳の下から漏れ出ている。
「――砕けろ!!」
僕は右手に魔力を集束させ、容赦なく地面に叩きつけた。
轟音と共に強固な石畳が紙細工のように粉砕され、大穴が空く。
その下には僕さえ存在を知らなかった地下通路が隠されていた。
(元々あったのか? いや、あるいは高位の土魔導師がいれば数時間程度で錬成できるかもしれない)
ひんやりとした暗く狭い空間。
僕は大穴に飛び込み、周囲の壁に魔力灯を灯した。
「……転移魔法陣か」
脳内の演算回路が残された術式の断片を解析していく。
誰かがこの場所で高度な転移魔法を発動させ、シャルを連れ去った。
そしてその痕跡を徹底的に消し去ったのだ。
それは一人では成しえない。
少なくとも二人以上の複数犯――……。
巧妙に仕組まれた誘拐。
(いつから準備していた?)
(いつからシャルロットを狙っていた……!?)
僕が感じ取ったダイヤモンドの波動は、その消し去られた魔法陣の付近から微かに放たれていた。
追跡の要であった指輪の繋がりが、ここでプツリと途切れている。
「波動を察知して、転移の間際に指輪を破壊したのか……?」
――もう、追えない。
僕の魔導探知は無効化されてしまったのだ。
王国最強を誇り、彼女を守り抜くと誓いながら。
僕は一瞬の隙を突かれ、最愛の妻を奪われた。
冷たい地下通路の床に、僕は膝をついた。
愛する者の温もりを失った絶望。
自分自身の慢心への怒り。
そして犯人の手がかりさえ掴めないという無力感。
頭の中で何かが決定的に壊れる音がした。
「――アァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
その叫びは地下から地上へと突き抜け、王宮の夜空を黄金の魔力で染め上げた。
僕の世界から、光が消えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第五部一幕、ここで一区切りです。
五ヶ国魔導親善試合から始まり、家族みんなで過ごす穏やかな時間、久しぶりの旧友との再会、そして夜会――。
少し賑やかで平和な幕開けでしたが、最後にその日常が一気に崩れる形となりました。
シャルロットは攫われ、レインハルトの手からついにその姿が消えてしまいました。
これまでどんな時もシャルロットを守ってきたレインハルトにとって、今回の出来事は今までとは少し違う意味を持つことになります。
そして今回から登場した人物たちや、何気なく描かれていた出来事も、この先少しずつ物語に関わってきます。
もちろん、シャルロットの肩に乗っていたあの小さな子も……。
ここから第五部は、シャルロット奪還に向けて動き始めます。
レインハルトはシャルロットを見つけ出せるのか。
そして彼女を攫った者たちの目的とは何なのか。
次幕も楽しんでいただけたら嬉しいです。
引き続き『黄金の檻』をよろしくお願いいたします。




