8_夜会の華 シャルロットside
夜の帳がすっかり下りる頃。
王宮の大広間は眩いばかりの光と華やかな音楽に包まれていました。
巨大なクリスタルのシャンデリアが放つ輝きの下、美しいドレスや豪奢な礼服に身を包んだ貴族たちが談笑しています。
先ほどまでの情事の甘い余韻がまだ身体の奥に燻っていて、わたしの頬は自分でも分かるほど熱を帯びていました。
レインハルト様が魔法で瞬時に整えてくださった夜会用のドレスは、わたしの薄紫色の髪によく似合う、星屑を散りばめたような意匠の素晴らしいものでした。
激しく乱れていたはずの髪も、彼の指先が触れただけで完璧な夜会巻きへと形を変え。
本当に彼の魔法は年月を追うごとにできる幅が増えて感心してしまいます。
「シャル、顔がまだ少し赤いよ。……本当なら、誰にも見せたくないくらい、色っぽくて綺麗だ」
「もう……っ、誰のせいだと思っているのですか」
エスコートのために差し出された彼の腕にそっと手を添えながら、わたしは小さく上目遣いで睨みました。
けれど、彼が優しく甘い微笑みを返すだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられてしまいます。
わたしの肩にはレインハルト様の認識阻害魔法によって「髪飾り」に見せかけられたキールが、大人しく張り付いていました。
広間に入ると、五か国魔導親善試合でのシルバード王国の圧倒的な勝利を祝う声が、あちこちから上がりました。
特に、すべての試合を完璧な采配で制し、伝説の飛行魔法まで披露したレインハルト様の姿が見えると、招待客たちの視線が一斉にこちらに集まります。
「ヴァルテンベルク公爵閣下! 素晴らしい戦いぶりでした!」
「奥様も今夜は一段とお美しいですね」
次々とかけられる称賛の言葉。
レインハルト様は淀みない貴族の笑みで応じながら、わたしを庇うようにしっかりと腰を抱き寄せて歩を進めます。
「やあ、レインハルト。相変わらず完璧なエスコートぶりじゃないか」
不意に、朗らかな声が響きました。
振り返ると、そこには豪奢な王族の衣装に身を包んだ、隣国シーランド王国のエルネスト国王陛下と、セリア王妃殿下の姿がありました。
「エルネスト。……君も、相変わらず騒々しい登場だね」
レインハルト様は少しだけ口元を緩め、旧友に向ける親しげな表情を浮かべました。
エルネスト陛下はギルオール様と同じく、レインハルト様と共に魔導を学んでいた学友だった方です。
シーランドからの留学生だったこの方は、当初分厚いビン底眼鏡をかけておられ、頭髪も鳥の巣のような方で。
一度だけ、レインハルト様からの伝言を伝えに来てくれたことがありましたけれど。
当時、わたしを含め周りは誰も王族などとは気付いていませんでした。
「ははっ、冷たい挨拶だな。それにしても驚いたよ。学生時代は魔導にしか興味がなく、女性なんて視界にも入れていなかったあの『孤高の天才』が、今や八人の子どもの父親だなんてな!」
エルネスト陛下が豪快にからかうように言うと、レインハルト様は全く悪びれる様子もなく、わたしの肩を抱く手に力を込めました。
「僕はただ、この愛しい妻に夢中なだけさ。シャルロットのためなら、魔導の探求すら後回しにしてもいいと思っているくらいだからね。君こそ、王としての職務はきちんとこなしているのかい?」
「お、おいおい、ごちそうさま。相変わらず極端な奴だ」
エルネスト陛下が苦笑する横で、セリア王妃殿下がふわりと花が咲くような明るい笑顔を見せました。
銀髪に紫の瞳を輝かせて。
「ふふっ、本当に仲がよろしいのね。初めまして、シャルロット夫人。セリアですわ」
「初めまして、セリア王妃殿下。お会いできて光栄です」
わたしが丁寧にカーテシーをすると、セリア様は親しげにわたしの手を取りました。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。わたしも四人の子どもの母親ですもの。八人も育てていらっしゃるなんて、本当に尊敬してしまいますわ。一番上のお子様は、もう随分と大きくなられたのでしょう?」
「はい。長男のリオンは十四歳になりまして、最近は父親に似て魔導書ばかり読んでいますわ。生意気な盛りですが、弟や妹たちの面倒をよく見てくれる優しい子なのです」
明るく気さくなセリア様に、わたしも自然と心が解けていくのを感じました。
四人の子育ての話や、子どもたちの可愛らしい悪戯の話などですぐに打ち解け、笑い合います。
ただ、談笑の合間にセリア様がふと、わたしの顔立ちと、肩に乗っているキールへと柔らかな視線を向ける瞬間がありました。
その視線は決して不躾なものではありませんでしたが、どこか思案するような、深い観察眼を秘めたものでした。
(……そういえばセリア様は稀有な光属性の魔導師だと聞いたことがありますわ。キールがただの飾りではないことに気づかれているのかしら……?)
シーランド王国もまた、魔導の技術に優れた国であり、今回の親善試合でもベルツに次ぐ三位で終えていました。
けれど、セリア様はそれ以上深くは追求せず、ただ優しく微笑んで話題を変えてくれました。
「レインハルトお兄様、シャルロット様!」
そこへ、華やかなドレスを身に纏ったシルバード王国の第六王女、ナタリア様が歩み寄ってきました。
隣には、彼女の夫である辺境伯様もいらっしゃいます。
「ナタリア殿下。今夜の夜会も素晴らしいですね。ごきげん麗しく……」
レインハルト様が優雅に挨拶を交わすと、エルネスト陛下やセリア王妃殿下も交えて、和やかな歓談が続きました。
しかし、その会話の中で、ふと国際的な政治情勢の話になったとき、ナタリア様の夫である辺境伯様が少しだけ声を潜めました。
「……ここだけの話ですが。最近、ベルツ王国の動向が少し不気味なのです」
「不気味、とは?」
レインハルト様が鋭い視線を向けると、エルネスト陛下も同意するように重々しく頷きました。
「ああ、我がシーランドの交易記録にも上がっているんだがね。近年、ベルツ王国は異常な量の『魔導薬液』や、生体保存用の『特殊な魔導容器』を大量に輸入しているんだよ」
「魔導薬液に、生体保存容器……ですか?」
わたしが首を傾げると、ナタリア様が不安そうに眉をひそめました。
「ええ。医療研究のためだと主張しているそうなのですが、輸入の規模が研究用としてはあまりにも多すぎるのです。まるで……何か大規模な、人体実験や長期保存の施設でも稼働させているかのような量なのです」
「……ベルツが、人体実験を?」
レインハルト様の声が一段低く冷たいものに変わりました。
「確たる証拠はありません。ですが、彼らの魔法は過酷な自然環境を生き抜くための、手段を選ばない実戦的なものですからね。……このような親善交流の名目の場で言うべきではないとは思うのですが」
辺境伯様が深いため息をつきました。
その会話を聞いていたわたしは、ふと、昼間のコロシアムで感じたあの冷たい視線を思い出していました。
自陣から執拗にこちらを見つめていた、右眼帯の魔導師。
彼が所属しているというベルツ王国。
生体保存。
人体実験。
その言葉が頭をよぎった瞬間、背筋にぞくりと氷を押し当てられたような冷たいものが走りました。
華やかな音楽と美味しいお酒。
笑顔に溢れた夜会の喧騒の中にいるはずなのに。
足元からじわじわと薄暗い影が這い上がってくるような、得体の知れない不安感に襲われます。
「シャル? どうかしたかい。少し顔色が悪いよ」
レインハルト様がすぐにわたしの異変に気づき、心配そうに頬に手を当ててくれました。
「い、いえ……なんでもありません。少しだけ、冷たい風に当たったのかもしれませんわ」
「そうか。無理はさせられないな。……挨拶が済んだら、早めに帰ろうか」
彼の温かい手のひらに触れ、わたしは無理に笑顔を作って頷きました。
この嫌な予感がただの気のせいであればいい。
愛する家族の待つ、あの安全で温かい公爵邸に帰れば、この不安も嘘のように消えてなくなるはず。
わたしはそう自分に言い聞かせながら、夫の腕にぎゅっとしがみついていました。




