1_狂騒の幕開け レインハルトside
第四部の戦火から、四年――。
長く続いた大陸内の戦乱を越え、シルバード王国にはようやく穏やかな日々が戻っていた。
かつて“最強の魔導師”として幾度も国を救ったレインハルト・イル・ヴァルテンベルクは三十四歳。
その妻、シャルロット・イル・ヴァルテンベルクは三十一歳となり、二人の間には八人の子どもたちがいる。
十四歳となった長男リオンを筆頭に、アルテミス、サリエス、の双子。
リリアン、イリス、そして三つ子のカトレア、ヴィオラ、ヴァレリアン。
騒がしくも幸福な家族に囲まれ、レインハルトとシャルロットは、かつて望んでいた穏やかな日常を手にしていた。
さらに数か月前からは、公爵邸の庭へ迷い込んできた不思議な小動物――キールも、いつの間にかシャルロットの肩の上を定位置にしている。
戦争は終わった。
国境も落ち着き、家族は皆そばにいる。
少なくとも、この時の二人はそう信じていた。
そんなある日、王都では平和を祝祭する魔導の祭典――
「五ヶ国魔導親善試合」が開催される。
各国から集められた精鋭の魔導師たち。
旧友との再会。
賑やかな家族の応援。
華やかな夜会。
それはヴァルテンベルク家にとっても喜ばしい、何の憂いもない一日になるはずだった。
――けれど。
この日を境に、レインハルトは再び知ることになる。
世界中の何を手に入れても、
たった一人を失うだけで、自分の世界は簡単に崩れ落ちるのだと。
そしてこれは――
最愛の妻を奪われた“最強の魔導師”が、
一国を敵に回してでも彼女を取り戻そうとする、最後の戦いの物語である。
大陸最大の国土を誇るシルバード王国。
その王宮のほど近くに位置する巨大なコロシアムは、今まさに熱狂の坩堝と化していた。
『五ヶ国魔導親善試合』
かねてより燻っていた戦火が落ち着き、名目上の平和の祭典というわけだ。
五つの国の国旗が秋風にたなびき、数万の観衆が放つ興奮と熱気が、物理的なうねりとなって空気を震わせている。
魔導研究が最も活発なこの国に大陸中の精鋭たちが集い、その威信を懸けて競い合う、魔導師にとっての聖典とも呼べる日。
「……凄い熱気だな。他国との親善試合なんて初めてだ。気を引き締めねば」
コロシアムのフィールド内。
自陣の防衛クリスタルが鎮座する待機エリアで、僕は低く呟いた。
白を基調とした特注魔導衣を纏い、背中にはヴァルテンベルク公爵家の黄金の紋章を背負っている。
「何を仰いますか、閣下! レインハルト様のお力なら、他国の魔導師など赤子の手をひねるようなものです!」
「そうです! 俺たち、マジで公爵閣下のチームに選ばれて光栄ッス!」
「足手まといにならないよう死ぬ気でやります!」
「レインハルト様のお名前は、最早大陸で知らぬ者はおりません!」
後ろに控える四人の部下たちが、拳を握りしめて熱狂的に語りかけてくる。
彼らも王国魔導軍の中でも選りすぐられた優秀な魔導師たちなのだが、僕を前にするとどうも憧れの英雄を見る少年のようになってしまう。
「え、そ、そうなのか? 僕はただ、研究と家族の時間を優先してきただけなのだが」
「閣下、ご謙遜を! 新聞には王家一族に次いで、毎日のように閣下の動向が取り上げられてますし!」
「本だって出版されてますよ! 『最強魔導師の孤独と情愛』、あれは名著です!」
そういえばそうだったか、と顎に手をあてながら思い出す。
「……そういえば何冊か書いた記憶があるな。内容の八割は、シャルの素晴らしさについての考察だったはずだが」
「城下の絵画店では閣下のブロマイドが飛ぶように売れているそうです! 速筆で描かれたらしき『子煩悩なパパ姿』が特に貴婦人方に人気で……」
「ブ、ブロマイド……? 僕の顔が売られているのか?」
僕は指先で額を押さえた。
もう34歳にもなって、自分が人気演劇俳優のような扱いを受けていることに頭を抱える。
しかしすぐに表情を引き締め、鋭い金色の瞳をフィールドへと向けた。
「いや、未知の相手に対して決して気を抜くことは許されない。グループリーグ戦とはいえ、他国の高位魔導師の実力は未知数だ。何が起きるか分からないからね。一つ一つ、着実にこなしていこう、みんな」
「押忍!!」
頼もしいような、少し暑苦しいような返事を聞き流しながら、僕はふと視線を上げた。
数万の観衆がひしめく中で、僕の目は迷うことなく『世界で一番愛しい存在』を見つけ出していた。
スタジアムの一角、最も見晴らしの良い貴賓席。
そこに、滅多に表舞台に出ない僕の妻、シャルロットが座っている。
白磁のような肌は内側から発光しているかのように瑞々しく、薄紫色の髪が太陽の光を反射して神々しいまでの美しさを放っていた。
「レインハルト様、頑張って!」
シャルが両手を胸の前で組み、祈るようにこちらを見つめている。
その周りには、僕たちの八人の子どもたちが賑やかに取り囲んでいた。
十四歳になった長男のリオンは、周囲の熱狂に合わせるのを気恥ずかしがるように、分厚い魔導書に目を落としている。
だが、その金色の瞳がチラチラとこちらを窺っているのを僕は知っている。
十二歳の双子、アルテミスとサリエスが身を乗り出して僕に向かって手を振り、十歳のリリアン、七歳のイリス、そして四歳の三つ子、カトレア、ヴィオラ、ヴァレリアンたちが何事かと目をパチパチさせている。
金色の瞳と薄紫の髪が入り混じるその一角は、王城の壁画よりも美しく華やかな空間を形成していた。
ふと、シャルの華奢な肩に小さな毛玉のような生き物が乗っているのが見えた。
数か月前、公爵邸の中庭でシャルが拾ってきた不思議な生き物――「キール」だ。
フクロウにも似たその生き物は、すっかりシャルに懐いて片時も離れようとしない。
しかしその内側に秘められた魔力。
おそらく魔獣なのだろう。
だが、シャルが「可愛い」と微笑むものだから、無下に追い出すこともできず黙認している状態だった。
今もちょこんとシャルのドレスの肩口に収まり、スタジアムの熱気など意に介さない様子で目を細めている。
少し思案していると、僕の聴覚が観客席から波のように押し寄せるざわめきを拾い上げた。
『お、おい、すげえ美女がいるぜ……!?』
『嘘だろ、あんな髪の毛がガラス細工のような女、人間かよ……女神じゃねえのか?』
『バカ、どこかの高位貴族様の夫人に決まってるだろ。あんまりジロジロ見ると不敬罪でやべえよ。目ェ逸らせ』
平民や、他国から来た魔導師たちが、シャルを見てどよめいている。
……ハァ。
僕は無意識のうちに深いため息を漏らしていた。
(やはり、シャルの人外の美しさは目立ちすぎる……)
淫魔の血を引く彼女の美貌は、ただ整っているという次元を超えている。
見つめた者の理性を溶かし、本能を狂わせるような、圧倒的な魔性。
僕の魔力でいくら浄化し、誘惑の香りを中和しているとはいえ、隠しきれるものではない。
僕の妻だ。
僕だけの女神だ。
誰の目にも触れさせたくない。
普段なら絶対にこんな人目に付く場所には連れ出さないのだが、シャルが「どうしてもレインハルト様の試合を家族みんなで見たい」とせがんだため、折れてしまったのだ。
(こんなに人が多い場所に連れてくるんじゃなかったな……。早く終わらせて、シャルを公爵邸という安全な檻の中に連れ帰らなくては)
心の底から湧き上がるどろりとした独占欲と嫉妬を、僕は深呼吸をして強引に腹の底へと押し込んだ。
「みんなで応援していますからね!」
シャルロットの鈴を転がすような声が、喧騒を縫って僕の耳にだけ届いた。
その瞳に僕以外の男が映ることはない。
(彼女の心も体も、すべて僕のものだ)
そう再確認するだけで、胸の奥で荒れ狂っていた嫉妬が、凄まじい熱量を持った魔力へと変換されていくのを感じた。
「……いいだろう。シャルに、僕の最高に格好いいところを見せなくてはね」
その時、スタジアムの空気を引き裂くように、開戦を告げる魔導号砲が轟いた。
地鳴りのような歓声が巻き起こる。
「行くぞ」
僕の声に応えるように空間そのものを震わせる黄金の術式が、僕の足元から幾重にも重なって展開され始めた。
波乱に満ちた五ヶ国魔導親善試合――その狂騒の幕が、今切って落とされたのだ。
お待たせいたしました!
黄金の檻最終章、いよいよ開幕です。
最後の物語をどうぞお楽しみください。
今まで紡いてきたキャラクター達が一堂に介し、終局に向かって走ります。




