番外編_公爵邸のハマム① レインハルトside
僕の愛する妻シャルロットに、至高の癒やしを提供したい。
その一心で、僕は異国の商人から聞きかじった知識をもとに公爵邸の地下に『ハマム(大理石の蒸し風呂)』と呼ばれる入浴施設を魔法で完全再現した。
「さあシャル。今日は僕が君の隅々まで洗って日頃の疲れを癒やしてあげよう」
「まあ……! なんだか神殿みたいに広くて立派なお風呂ですわね」
薄手の湯浴み着を纏ったシャルは、白大理石と黄金の装飾で彩られた空間を見渡して目を輝かせた。
僕の完璧なエスコートに抜かりはない。……はずだった。
「では、中へ……って、シャ、シャル!? どこだ、どこにいるんだ!?」
「レインハルト様? すぐ隣におりますわよ?」
扉を開けた瞬間、異国の仕様を忠実に(そして僕の過剰な魔力で)再現しすぎたせいで、室内は一寸先も見えないほどの猛烈な高温スチームに満たされていた。
視界が真っ白に染まり、ほんの数十センチ先にいるはずの愛しい妻を見失った僕は密室の風呂場であるにもかかわらず、本気で焦って広域索敵魔法を展開しそうになってしまった。
「ふぅ……すごく温かくて、気持ちいいですわ」
「っ……!」
真っ白な視界の向こうから、熱気にあてられたシャルの色っぽい吐息が聞こえてくる。
姿が見えないからこそ、その甘い声と水音だけが聴覚を直接刺激してきて、僕は癒やしを提供する側だというのに早くも理性が試される羽目になった。
「こ、こっちだシャル。この温かい大理石の上に横たわっておくれ。今からたっぷりの泡で君をマッサージしよう」
僕は手探りでシャルを大理石の台へと導いた。
ハマムの醍醐味は布袋を使って大量のきめ細かい泡を作り、全身を包み込むように洗うことだという。
僕は石鹸の入った袋を手に取ると、より極上の泡を作り出すために密かに水と風の魔法を練り上げた。
(僕の緻密な魔力操作をもってすれば、雲のようにふんわりとした泡が……)
順調に泡が膨らみ始めたその時だった。
ふとスチームが晴れた瞬間に見えた、シャルの姿。
熱を帯びて艶やかに光る桜色の肌と、とろんと潤んだ紅水晶の瞳が無防備に僕を見上げていた。
(……ああ、なんて美しいんだ。このまま風呂ごと僕の結界で覆ってしまいたい……)
最強の魔導師らしからぬ致命的なミスだった。
全裸の(正確には湯浴み着を着ているが)妻の美しさに見惚れて一瞬集中が途切れた結果、指先から溢れ出た風と水の魔法が暴走してしまったのだ。
ボフゥゥゥンッ!!
「きゃあっ!?」
「うわっ……!?」
大爆発のような音と共に、大量の泡が室内に猛烈な勢いで増殖した。
雲のようにふんわりとした泡、などという可愛らしいものではない。
風呂場全体を一瞬にして埋め尽くすほどの『泡の雪崩』である。
「レ、レインハルト様!? 前が見えませんわ!」
「シャルすまない、今すぐ風魔法で吹き飛ばすから動かないで……!」
腰の高さまで泡に埋もれてしまったシャルが、クスクスと笑いながら立ち上がろうとした。
「ふふっ、なんだか雲の上にいるみたいで……あっ」
――ツルッ。
ただでさえ滑りやすい大理石の床に、大量の石鹸の泡。
それは最悪の摩擦係数を生み出していた。
シャルの足が滑り、その身体が宙に浮く。
「危ないッ!!」
僕は咄嗟に床を蹴り、シャルを抱きとめるためにダイブした。
無事に彼女の細い腰を空中でキャッチしたまでは良かった。
しかし、勢いよく大理石の床に着地した僕たちは泡という名の極上の潤滑油に乗って、そのまま猛スピードで滑り出したのだ。
「うわあああああっ!?」
「きゃあああああっ!?」
ズザアアァァァッ!!
まるで氷の上を滑るソリのように、僕とシャルは抱き合ったまま無駄に広く作った大理石の床を一直線に滑っていく。
(大理石の壁に激突する……ッ!)
僕は歯を食いしばり、壁にぶつかる数センチ手前でギリギリ『衝撃吸収結界』を展開した。
ぼよんっ!
という情けない音と共に結界に弾き返され、僕たちは泡の海の中へとドサリと倒れ込んだ。
「……」
「……」
静まり返るハマム。
僕は全身泡だらけで、頭の上にもこもことした泡の帽子を乗せ、まるで不格好な雪だるまのような姿になっていた。
公爵としての威厳も、最強の魔導師としての面影も、今や見る影もない。
「……すまない、シャル。完璧な癒やしをプレゼントするつもりが、散々な目に……」
「ふふっ……あはははっ!」
僕が項垂れていると、腕の中にいるシャルが突然お腹を抱えて大爆笑し始めた。
「あはは! だってレインハルト様、お顔が泡だらけで……っ、お髭みたいになっていますわ!」
「……っ」
涙目になって笑う彼女の顔は、僕が今まで見てきたどんな高価な宝石よりも輝いていた。
完璧なエスコートは台無しになったが、君がそんなに楽しそうに笑ってくれるのなら、この珍妙な設備を作った甲斐があったというものだ。
「やれやれ。君には敵わないな」
僕はため息をつきつつ、彼女の頬についた泡を優しく拭ってやった。
「たまにはこういうお風呂も楽しいですわね。……今度は、わたしがレインハルト様の背中を流してさしあげますわ」
「……それは、非常に魅力的な提案だ」
至高のリラクゼーションとは少し(いや、かなり)違った形になってしまったが、心身ともにこれ以上ないほど満たされた、幸せなバスタイムになったのだった。




