番外編_子どもたちの反乱
陽光が黄金色の粒子となって降り注ぐ、公爵邸の広大な私有庭園。
三つ子を出産してからもレインハルト様の過保護なほどの魔力のおかげでしょうか、わたしはすっかり体力を取り戻し、ガゼボの長椅子に身を預けて穏やかな午後のひとときを楽しんでいました。
しかし、その静寂は愛しい夫の帰還によって破られました。
「シャル、ただいま。……ああ、一刻も早く君の香りを嗅ぎたかった」
公務から戻られたばかりのレインハルト様は軍服の飾り紐を揺らしながら、迷いのない足取りでまっすぐにこちらへと歩み寄ってこられます。
その金色の瞳は周囲の景色など目に入らないと言わんばかりに、わたしだけを熱く見つめていました。
けれど、彼の行く手を阻む「小さな守護者たち」が、今日ばかりは黙っていませんでした。
「ストップですお父様! 今日の午後は僕たちがママを予約済みなんです!」
快活な声を上げたのは双子の弟サリエスでした。
彼は指先をパチンと鳴らし、レインハルト様とわたしの間に透明な鉄壁の「氷の障壁」を展開します。
「そうよ。お父様はいつもママを独り占めしすぎだわ。リリアンもイリスも、今はお母様と一緒にいたいんですもの」
姉のアルテミスもサリエスの隣に並び、その小さな掌を広げました。
弟の冷気に、彼女の得意とする「炎の魔力」が共鳴し、空間が結晶化するように固まっていきます。
二人の魔力が合わさった<共鳴魔法:水晶の境界>。
それは、並の魔導師なら一生かかっても破れないほど強固な、半透明の美しい壁となってレインハルト様の前に立ちはだかりました。
「……ほう。僕を相手にこれほど精緻な結界を張るとは」
レインハルト様は足を止め、不敵に口角を上げられました。
その金色の瞳が面白がるような、けれど容赦のない「魔導師」の光を宿します。
「いいだろう。だが君たちの父が愛する女性を前にして、この程度の壁で引き下がるとでも思っているのかい?」
「やってみてよ、お父様!」
親子による魔法の追いかけっこの幕開けは、ひどく唐突でした。
レインハルト様が右手を軽く払うと空間そのものが捻じれるような圧力が壁を襲います。
しかし双子も負けてはいません。
「サリエス、右から熱を! 屈折させて!」
「任せて、アルテミス!」
二人が手を繋ぐと、庭園のあちこちにわたしの幻影が幾つも映し出されました。
光学魔法を応用した高度な目くらましです。
本物のわたしはガゼボに座ったまま、「あらあら」と頬に手を当てて微笑ましくこの騒ぎを見守っていました。
「……ふふ、面白い趣向だ。だが、僕が愛妻の『本物の鼓動』を聞き分けられないとでも?」
レインハルト様は幻影などには目もくれず、影を滑るような縮地魔法で本物のわたしの背後へ回り込もうとします。
しかし、そこには長男のリオンがあらかじめ配置しておいた「重力魔法」の罠が仕掛けられていました。
「父上、背後が疎かですよ」
リオンが木陰から姿を現し、優雅に指を動かすと、レインハルト様の足元の重力が一瞬で十倍に膨れ上がりました。
「リオンまで加勢するか!……だが、甘いね」
レインハルト様はご自身の強大な魔力を爆発させ、重力の鎖を力尽くで引き千切ってしまわれました。
美しい黒髪が激しくなびき、周囲のバラの花びらが嵐のように舞い上がります。
「お母様逃げて! お父様が来ちゃうわ!」
アルテミスの叫びに応じ、わたしの座る長椅子が、魔法の絨毯のようにふわりと浮き上がりました。
双子が協力して、わたしを空中の「安全な空域」へと避難させてくれたのです。
「……お父様、顔が怖いですよ。もっとリラックスしてください」
サリエスがニヤリと笑い、庭園の噴水の水を龍の形に変え、レインハルト様の進路を塞ぐように踊らせます。
最強の魔導師である夫と、その血を引く天才児たち。
庭園は今や色とりどりの魔法が飛び交う、幻想的な戦場と化していました。
レインハルト様は子供たちの目覚ましい成長に内心では舌を巻きつつも、わたしへの執着という一点においては、一歩も引く気はないご様子でした。
「みんな、いい加減にしないとお父様が本当に本気を出して、お庭じゅうお化けだらけにしてしまうわよ?」
わたしが少しだけからかうように上空から声をかけると、その言葉を聞いた瞬間、レインハルト様はついに「禁じ手」を使われました。
彼がご自分とわたしの間にある距離を魔法で「ゼロ」に書き換えてしまったのです。
<空間固定:一対の檻>
次の瞬間、宙に浮いていたわたしの腰に見慣れた逞しい腕がしっかりと回されていました。
「……捕まえた。僕のシャル」
「まぁ……。ふふ、レインハルト様。とうとう子供たちを相手に、あんな高度な魔法まで使ってしまわれて」
レインハルト様はわたしを抱きかかえたまま、ゆっくりと地上へと舞い降りました。
悔しそうに地団駄を踏む双子と、やれやれと肩をすくめるリオン。
そして「抱っこ!」とせがむイリスの前で、彼はわたしの額に愛おしげに口づけを落とします。
「お父様のずるです! 今のはずるい!」
サリエスが膨れっ面で駆け寄ってきます。
アルテミスも炎の剣を消しながら、不満げに夫を睨みました。
「『ずる』ではないよ。これは執念の差だ」
レインハルト様は勝ち誇ったような笑みを浮かべましたが、すぐに表情を和らげ、自由な方の手で双子の頭を優しく撫でました。
「だが驚いた。僕の結界をあれほど完璧に中和し連携してみせるとはね。……公爵家の次代は安泰というわけか」
「当たり前じゃないパパ! 私たちがママと赤ちゃんたちを守るんだから!」
アルテミスの力強い言葉にわたしは胸がいっぱいになりました。
レインハルト様の腕の中から、愛しい我が子たちに向かってそっと手を広げます。
「みんな、おいでなさい。レインハルト様も今日はこれで我慢してくださいね? 今日の午後は子どもたちと一緒に過ごす約束ですもの」
「……シャル。君がそう言うなら従うしかないけれど……。その代わり夜は覚悟しておいてほしいな」
レインハルト様は子供たちには聞こえないような低い声でわたしの耳元に囁きました。
その金色の瞳に宿る濃厚な情欲にわたしは顔が熱くなるのを感じながら、そっと愛しい夫の胸に顔を埋めました。
結局、その日の午後は家族全員で庭園にお茶会のテーブルを広げることになりました。
王国最強の魔導師である彼も、ここではただの「子供たちにママを奪われがちな父親」でしかありません。
生まれたばかりの三つ子たちとわたしを囲み、公爵邸には魔法よりも温かな、愛という名の幸福な時間がゆったりと流れていくのでした。




