15_クラリス、大混乱!
クラス単位での移動教室の時間。
混み合う廊下をわたしは周囲の視線から逃げるように歩いていました。
すると前方から鋭い魔力を纏った一団が近づいてきます。
先頭にいたのは魔法専科の才女、クラリス・ヴァレンティーヌ様でした。
「な……な……な……っ!?」
わたしとすれ違った瞬間、クラリス様は幽霊でも見たかのように絶句し、その場で硬直しました。
彼女の視線はわたしの頭半分ほど高くなった身長と、明らかに「淑女の枠」を逸脱した官能的な曲線を描く胸元、そして何より、内側から輝くような肌を捉えていました。
無遠慮なほどの視線を浴びながら、わたしは自分の手のひらをそっと握り込みました。
(これが、淫魔の末裔としての、本当のわたしの姿……)
恐ろしくもありましたが、同時に昨日までの無力な自分から脱皮したような、不思議な静けさが胸の奥にありました。
そこへ、背後から悠然とした足取りでレインハルト様が現れました。
「シャル。やはり心配だ。今日は帰り、教室に迎えに行くから。そこで待っているように」
「あ、ありがとうございます、レインハルト様……」
レインハルト様が周囲の目も憚らずわたしの頬にそっと触れ、愛おしげに微笑みかけます。
そのあまりに甘い光景に、周囲の女生徒たちは息を飲み、どよめきが広がりました。
「まあ、どうなさったのかしら……」
「婚約破棄の噂まで流れていたのに、あんなに熱烈に……」
「――レ、レインハルト様……っ!!」
我に返ったクラリス様が、震える指をわたしに向けて叫びました。
「エリュシオン嬢のその姿は、い、一体何なんですの!? 一週間前までは、も、もっとこう、慎ましかったはずですわ! その……その、不埒なほどに育った身体は……っ!」
「あ、あぁ……ヴァレンティーヌ伯爵令嬢か。しばらく会っていなかったら、女性はこれくらい変化するものじゃないか?」
レインハルト様は、一切の表情を変えず、淡々と言い放ちました。
「演舞場での実習でお会いしてから一週間ほどですが!? い、色々……色々とおかしいですわ! し、し、し、身長だって、こんなに高くなかったはずですわよ!?」
「……成長期だろう。我が婚約者は伸びしろがあったということだ。他人が口を挟むことではないな」
「伸びしろのレベルが違いますわぁぁ!!」
押し問答の末、レインハルト様の黄金の瞳が一瞬で温度を失い、クラリス様を射抜きました。
――けれど。
いつもなら完璧に制御されているはずの彼の魔力が、その瞬間不自然に膨れ上がり、ピキッ、と傍らの窓ガラスに細かいヒビを走らせたのです。
彼自身もそれに気づいたのか、一瞬だけ苦しげに眉根を寄せ、浅く息を吐きました。
昨夜わたしに奪われた生命力による消耗が、まだ確かな代償として彼の内側を蝕んでいる証拠でした。
「……これ以上、僕のシャルの身体を吟味するつもりか?……不快だな」
「っ……ひ、ぅ……」
クラリス様は反論しようと口を開きかけ、ハッと息を呑みました。
ただの威圧ではない、死の淵を覗き込むような不安定な魔力の圧と、わたしの身体から無意識に漂う『人間離れした気配』を感じ取ったのでしょうか。
彼女の整った顔に、一瞬だけ本気の恐怖がよぎりました。
クラリス様の影に隠れるようにしていたイザベラ様が異変を察知し、二人の間に割って入ります。
「…クラリス、大きい声出さないで。成長期だって言うんだから、そっとしといてあげましょう」
「し、しかし明らかに……あ、あの気配は異常ですわ……ッ!」
「明らかに、じゃないわよ。……明らかにしてどうするのよ、さあ、もう行くわよ」
「ま、待ちなさい、イザベラ! わたくしは――むぐっ!?」
イザベラ様は半泣きのクラリス様の口を塞ぎ、無理やり引きずっていきました。
「ごめんなさいね、レインハルト様。クラリスはちょっと、計算ドリルをやりすぎて頭が疲れてるんです。それでは、ごめんあそばせ」
イザベラ様の必死の撤退劇により、廊下には再び重苦しいほどに甘い沈黙が戻りました。
「……ホントは一週間どころか昨日の今日の話だが、ややこしくなるから黙っとこう…」
すぐ後ろを歩いていたリオネルの引きつった呟きが聞こえましたが、ええ、ええ、そうしてくださいまし。
張り詰めた氷の上を歩くようなギリギリの均衡だったのですから。
わたしは終始心臓がばくばくしていましたが、レインハルト様の飄々とした切り抜け方はさすがでございましたわ。
レインハルト様は逃げるように去るクラリス様方を一瞥した後、小さく息を整え、再びわたしに向き直りました。
そして、その耳元で熱い吐息を漏らします。
「……続きは、今夜の『研究』で。まだ伸びしろがあるか、僕が確かめてあげるよ」
「!……っ!!…………」
余裕ぶったその甘い声の裏に、どれほどの無理と代償が隠されているかを知っているからこそ。
わたしの「成長期」も、彼との危険な共犯関係も、どうやらまだまだ終わりそうにありませんでした。
物語が大きく動いた激動の第二幕、これにて終幕となります。
次回、第三幕の幕開け、苦悩と羞恥の板挟みになるレインハルト、お楽しみに。




