番外編_魔法の繭(マギ・コクーン) リオンside
公爵邸の主寝室。
そこは今や、王国最強の魔導師である父上が編み上げた黄金の『魔法の繭』によって、外界から完全に遮断された「禁域」となっていた。
中にいるのは三つ子を出産し神々しいまでの美しさを放つ母上と、彼女を一分一秒たりとも離したくない父上だ。
しかし、この父上の勝手な「二人だけの聖域」に異を唱えるべく、僕たち兄弟はついに実力行使に出ることにした。
「……作戦開始だ。みんな、準備はいいかい?」
薄暗い廊下に集まったのは、長男である僕を筆頭とする五人の兄姉たちだ(まだ赤ん坊の三つ子たちはメイドの見守りのもと別室でスヤスヤと眠っている)。
「お父様、ひどいわ。休息を理由にもう二週間もお母様を隠しているんだもの!」
双子の妹、アルテミスが指先から炎の火花を散らして憤る。
「ぼくたちが顔を見に行こうとしても結界が弾き返すんだ。あれはもう『保護』じゃなくて『監禁』だよ」
同じく双子の弟、サリエスも小さな拳を握りしめた。
次女のリリアンも力強く頷いて兄妹たちを激励する。
「みんなで協力すればお母様を取り返せるよ!」
「ママ、あいたい……。パパ、いじわる……」
そして三歳になるイリスが目に涙を浮かべて僕の服の裾を掴んだ。
この幼い妹の涙こそが、今回の「反乱」における最大の武器であることを僕は熟知していた。
「大丈夫だよ、イリス」
僕は妹の頭を撫でて立ち上がった。
「父上の術式は完璧だ。だが、十歳の誕生日に父上から贈られたあの古文書……そこに記された『位相相殺』の術理を使えば、僕なら一瞬だけ穴を開けられる」
僕の瞳に金色の魔力が集い、発光するのを感じた。
主寝室の重厚な扉の前に立ち、合図を送ると、アルテミスとサリエスがしっかりと手を繋いだ。
「「共鳴魔法、焦熱の氷嵐!」」
狙いは扉を直接壊すことではない。
周囲の魔力密度を急激に乱すことで、父上の結界の「呼吸」を乱す陽動作戦だ。
バチバチと火花が散り、邸全体が微かに震えるほどの魔圧が発生したその瞬間、僕は一歩踏み出した。
「……見えた。ここだ!」
脳内で構築した禁書の術式を指先で描き、黄金の繭の表面に強制的に「無」の領域を作り出す。
――パリン!
ガラスが割れるような美しい音と共に、絶対不可侵だった繭に小さな亀裂が入った。
「……随分と賑やかだね。リオン、アルテミス、サリエス。そしてリリアンにイリスもか」
亀裂から室内に踏み込んだ僕たちを待っていたのは、ベッドの上で母上を抱きかかえたまま、冷徹なまでの静寂を纏った父上だった。
その金色の瞳は結界を破った僕たちを誇らしく思いつつも、「僕とシャルの時間を邪魔する者は許さない」という狂気的な独占欲でギラギラと濁っている。
「父上! 母上を返してください! その人は僕たちの母上であって、父上の『所有物』ではありません!」
僕は杖を構え、恐ろしい魔圧を放つ父上を正面から見据えた。
「ふふ、よく言った。だがリオン、君だって気づいているだろう? 三つ子を出産した今の母上はあまりにも脆く、そして美しい。……僕がこうして僕の魔力で直接満たし続けなければ、この神々しさは維持できないんだよ」
父上が軽く指先を振ると、僕たちが展開していた魔法が霧のようにあっさりと消散してしまった。
これが、王国最強の魔導師との圧倒的な力の差だ。
しかし、僕の口角は自然と上がっていた。
「……ええ、魔法では勝てないことは分かっています。だから、この子を連れてきました。……イリス、今だよ!」
「パパの……バカ――――ッ!! うわぁぁぁん!!」
僕に促され、イリスが全力の「泣き落とし」を発動した。
ただの泣き声ではない。
イリスが持つ天性の生命魔力が、悲しみによって周囲の空気を震わせ、父上の編み上げた『魔法の繭』に直接ダメージを与えていく。
「っ……! イリス、泣かないでくれ。パパは、ただママを守って……」
「パパ、きらい! ママを、ひとりじめ、ダメ!」
さすがの最強の魔導師も、愛娘の涙と直球の拒絶には勝てないらしい。
父上が目に見えて狼狽したその時、繭の中から母上の優しい声が響いた。
「……ふふ。レインハルト様、もういい加減にしてくださいまし。わたしも子どもたちの顔が見たくて堪りませんでしたのよ?」
「シャル……。君まで……」
父上がついに観念したように指を引くと、あれほど強固だった黄金の繭がキラキラとした光の粒となって霧散していった。
「ママ!!」
結界が消えるなり、アルテミスたちが一斉にベッドの上の母上へと駆け寄る。
母上は僕たち子ども一人一人を愛おしそうに抱きしめ、その頬にキスを贈っていた。
「ごめんなさいね、みんな。……お父様が少し、寂しがり屋なものだから」
「寂しがり屋なんてレベルじゃないよ、母上」
僕は深くため息をつき、ひどく不満そうな顔をしている父上を睨みつけた。
「父上、せめて夕食はみんなで摂りましょう。そして、週に三日は家族全員で過ごす時間を設けてください。さもなければ、僕が邸中の防音結界をすべて『拡声結界』に書き換えて、父上の夜の声を王都中に響かせますよ」
「……リオン、君、それは本気か?」
父上は顔を引き攣らせたが、僕たち子供の団結と母上の穏やかな笑顔の前に、ついに白旗を上げた。
三つ子を迎えたこの「黄金の檻」での生活は、こうして少しだけ開放的なものになった。
けれど、父上の瞳の奥には、「今夜は倍にして愛でてやる」という、より一層深い独占欲が静かに燃え盛っているのを、僕は見逃さなかった。
この賑やかでひどく歪な家族の絆が、ヴァルテンベルク公爵邸をこれからも明るく染め上げていくのだろう。




