番外編_気まずい騎士と滋養強壮ドリンク レインハルトside
王宮の魔法省長官執務室。
僕が書類に目を通していると、ノックの音と共にかつての部下であるクラリス・ヴァレンティーヌ(降嫁して家名は変わったそうだが)が顔を出した。
「失礼いたします、レインハルト様。……ほら、あんたも早く入りなさい!」
彼女の背後からズルズルと引きずり込まれるようにして入室してきたのは、赤毛と青の瞳を持つ王国騎士団部隊長――クラリスの弟であり、シャルの学生時代の同級生でもあるリオネルだった。
彼は僕と目が合った瞬間、ビクッと肩を跳ねさせ、顔面を蒼白にして直立不動の姿勢をとった。
その怯えきった様子を見て、僕は内心でひっそりとため息をついた。
一年前のことだ。
僕が戦線へ出征して家を空けていた時のこと。
極度の魔力不足(精気切れ)に陥っていたシャルを心配し、運悪く見舞いに訪れたこの男はシャルが無意識に放った『誘惑の香り』にあてられてしまった。
理性を失った彼はあろうことか僕の妻の唇を奪い――その直後、文字通り「精気を吸い尽くされて」卒倒したのである。
シャルの正体が、男の精気と魔力を糧とする淫魔であることは、この世で僕しか知らない。
リオネル本人は「自分がシャルの魅力に抗えずに不敬を働き、そのショックや過度の緊張で貧血を起こして倒れた」と完全に勘違いしているようだった。
以来、彼は僕に暗殺されると本気で恐れ、姉のクラリスに泣きつき、王宮内で僕を見かけるたびにコソコソと逃げ回っていたのだ。
「……ヴァルテンベルク公爵閣下。この馬鹿弟が、一年前の先輩のご出征時に奥様にとんでもない無礼を働いたと泣きついてきまして。今日は私が首根っこを引っ張って、謝罪に連れてまいりました」
数年前に他家に降嫁したとはいえ、かつて一、二年の間、僕の直属の部下としてこき使ってやったクラリスの度胸はなかなかのものだ。
「か、閣下……ッ! あ、あの日のことは、魔が差したとしか言いようがなく……! 決して奥様に邪な気持ちがあったわけでは……どうか、命だけは……っ」
精悍な身体を縮こまらせ、土下座して叩頭し震えるリオネル。
僕は羽ペンを置き、優雅に脚を組み替えた。
実のところ、僕は彼を殺す気など毛頭なかった。
もちろん、帰還後に邸の者から顛末を聞かされた時は、想像上、おそらくそんなことにでもなったのではないかと殺意が沸いたのは確かだが。
あの時、同時にシャルに暗示をかけたせいで、彼女もなんとなくでしか語れない部分もあった。
そして、後悔のあまりリオネルに申し訳ないと泣き崩れていた姿を見ていては。
あれは飢餓状態だったシャルの不可抗力であり、むしろ「一般の屈強な騎士がシャルの吸収を食らうと、数分で気絶する」という、僕の耐久力の異常さを証明する素晴らしい比較データサンプルにもなった。
「……あぁ。その件か。……確かに、当初殺意が無かったとは言い切れないが。命乞いなど大袈裟な、リオネル殿」
「ほ、本当ですか……!?」
「ああ。だが、一つだけ言わせてもらおう」
僕はわざと声を低くし、哀れな騎士を冷ややかに見下ろした。
「たかが数分、妻の唇に触れた程度で白目を剥いて卒倒するとは……騎士団の部隊長殿は、随分と『体力』がないようだな」
「えっ……?」
「僕は毎晩、彼女を相手に骨の髄まで搾り取られるような激しい夜を過ごしているが、こうしてピンピンしており、公務にも一切の支障をきたしていない。君は本当に軟弱だな」
その瞬間、執務室の空気がピシリと凍りついた。
シャルの秘密を知らない姉弟からすれば、今の僕の発言は完全に『僕の方が夜の営みが激しいし体力がある』という、謎の夜の生活マウントにしか聞こえないだろう。
「せ、先輩……ッ!?」
クラリスが顔を真っ赤にして叫んだ。
「うちの弟もこれでも新婚なんですよ!? わざわざ『自分の方が妻と激しく愛し合っている』なんて、男としてのプライドをへし折るようなマウントをとらないでやってください!」
「事実を述べたまでだ。……リオネル殿、君も妻帯者だろう。ならば、もう少し夜の鍛錬も積むべきだな」
僕は引き出しを開け、魔法省の錬金術部門に極秘で作らせている黄金色に輝く小瓶を一つ取り出し、机の上に置いた。
それは僕がシャルの度重なる「捕食」に耐えうるよう、特別に調合させている超高濃度の『特製・滋養強壮魔力ドリンク』である。
「これをやろう。新婚の君に役立つはずだ」
「か、閣下……」
リオネルは震える手で小瓶を受け取った。
彼の顔には「命拾いした安堵」と、「公爵閣下に夜の体力の無さを憐れまれた屈辱」が入り混じり、なんとも言えない情けない表情が浮かんでいた。
「もったいなきお言葉と、お心遣い……痛み入ります……っ」
「うう、情けない……。レインハルト様、お忙しいところお騒がせいたしました!」
男としての尊厳を粉々に砕かれた弟を回収し、クラリスはそそくさと執務室を後にした。
バタン、と扉が閉まる音を聞きながら、僕はふっと口角を上げた。
「やれやれ。一般人には、うちの妻は刺激が強すぎるようだ」
あの劇薬のような愛らしさも、命を吸い尽くすほどの甘い快楽も、すべてはこの僕のものだ。
絶対的な優越感と妻への底なしの愛おしさを噛み締めながら、僕は早くシャルに会いたい一心で、残りの書類仕事を超特急で片付け始めた。




