番外編_禁忌の覗き見 リオンside
穏やかな午後の陽光が、公爵邸のサンルームを黄金色に染めている。
十歳になった僕、リオンは父上から譲り受けた難解な古文書を片手に、ソファでくつろぐ家族の光景を眺めていた。
そこには、公爵家の跡継ぎとしての重圧を一時だけ忘れるような、幸福の結晶が散りばめられている。
ソファーの中央では母上が生まれたばかりの三つ子たちに乳を飲ませていた。
八人を産んだとは到底信じられないほど、母上の横顔は若々しく、聖母のような慈愛に満ちている。
しかし、その平穏を破ったのは、乳を飲み終えたはずの、末っ子だった。
「やんっ……もう! ヴァレリアン、あなたはもう飲み終わったでしょう?」
ヴァレリアンは、姉二人に独占されている母上の胸が羨ましくて仕方がなかったのだろう。
カトレアとヴィオラを押しのけて母に甘えようと暴れている。
「レインハルト様、ちょっと手伝ってくださいまし!」
母上は困ったように笑いながら、父上に視線を送った。
その時、僕の隣で静かに本を読んでいた父上の空気が一変したのを見逃さなかった。
父上の金色の瞳が獲物を狙う猛禽のように鋭く、そして熱く濁ったのだ。
「……そうだね。ヴァレリアンも、みんな少し元気すぎるようだ」
父上は立ち上がると、憑かれたような足取りで母上に近づき、三つ子をひょいと抱き上げた。
「父上……?」
「リオン、アルテミス、サリエス。下の子たちを連れて隣の部屋へ行きなさい。母上には休息が必要だ。……少し、二人きりで『癒やしの魔術』を施してくるよ」
父上は完璧な紳士の微笑みを浮かべながら母上だけを隣室に連れていき、魔法でドアをガチャリと閉めてしまった。
「母上を休ませる」と言った父上の言葉を、幼い弟妹たちは信じて遊び始める。
けれど、僕の耳には届いてしまったのだ。
ドアの向こうから漏れ聞こえる、母上の聞いたこともないような艶めかしい声と、父上の重く情熱を孕んだ吐息が。
(休息……? いえ、あれは……)
僕は抑えきれない好奇心と、母上を独占する父上への微かな対抗心から、無意識に指を動かしていた。
父上が施した防音結界の僅かな隙間を突き、視覚情報を転送する高度な干渉術式を展開したのだ。
空間の歪みを補正し、僕の網膜に映し出されたのはあまりに衝撃的な「真実」だった。
そこには、「聖母」でも「公爵夫人」でもない、一人の女として父上に溺愛される母上の姿があった。
父上は、さっきまで幼い妹たちが独占していた母上の温もりを奪い取るように深く抱きしめ、母上はその抗えない熱に当てられたように、父上の漆黒の髪をかき乱していた。
「……あ、あぁっ! ……もう、や……っ!」
「シャル……。子供たちに分けてあげるのは終わりだ。……君のすべては、本来は僕だけのものであるべきだ」
父上の纏う空気は、僕が知る「威厳ある公爵」のそれではなく、ただひたすらに愛しい女を貪る飢えた獣そのものだった。
母上は甘く蕩けたような声を上げ、父上がもたらす圧倒的な熱量と魔力の奔流にただ翻弄され、溺れきっている。
僕は顔が火を噴くほど熱くなるのを感じた。
普段の冷静な父上からは想像もつかないような、剥き出しの独占欲と、底なしの情念。
(これが……父上と母上の、愛情表現……)
感情が限界に達したような母上の甘い声と共に、僕の未熟な術式が限界を迎え、ふつりと霧散した。
僕は真っ赤な顔のまま、心臓の鼓動が耳元で鳴り響くのを感じながら、その場に立ち尽くしていた。
――数分後。
ドアが静かに開いた。
そこから現れたのは、さっきまでの獣じみた気配を微塵も感じさせない、憑き物が落ちたようにサッパリとした、晴れやかな笑顔の父上だった。
「…………っ!」
「おや、リオン。そんなところでどうしたんだい? 顔が赤いよ。知恵熱かな?」
父上は僕の目の前で足を止め、優しく僕の頭を撫でた。
その手からはまだ母上の甘い香りが微かに漂ってくる。
父上の金色の瞳はすべてを見透かしたように細められ、彼は僕の耳元で小さく囁いた。
「……覗き見はあまり感心しないね。淑女のプライバシーは守るものだよ、リオン」
「……っ、申し訳、ありません……」
怒られる、と身を硬くした僕だったが、父上の声に棘はなかった。
むしろ、同じ秘密を共有した共犯者を見るような、奇妙な親愛の情さえ感じられたのだ。
「まあいいさ。君もいつか、自分だけの愛しい女性を見つけた時には、僕の気持ちがわかるはずだ。……さあ、そろそろお茶の時間だろう。おやつにしようか」
父上は上機嫌に、遊び疲れた妹たちを呼びに行った。
部屋の中では髪を少し乱した母上が、幸せそうにヴァレリアンを再び抱き上げていた。
僕は父上の背中を見つめながら、自分がいつか超えなければならない「壁」の高さと、この家に満ちる、魔法よりも強固で歪んだ愛の形を改めて思い知らされるのだった。




