41_父の欺瞞 リオンside
声音は静かだったが、そこには絶対零度の怒りが込められていた。
「たとえ僕とシャルの愛する我が子であっても、君がシャルを……僕の妻を侮辱することは許さない。彼女はこの世の何よりも美しく、清らかな存在だ」
「で、でも……っ! あんな可視化できるほどの魔力と精気が吸い込まれていく恐ろしい光景……! 一歩間違えれば、父上の方が殺されていたかもしれないのに!」
僕が涙声で叫ぶと、父上はふっと殺気を収め、またいつもの優雅で余裕に満ちた笑みを浮かべた。
「殺される? ああ……いいとも。彼女にならこの命の最後の一滴まで、骨の髄まで吸い尽くされても構わないさ。むしろそれが僕の望みだ」
「な……っ」
父上の瞳の奥には、母上に命を喰われることを至上の悦びとしているような、常軌を逸した狂気がはっきりと渦巻いていた。
母上が人ではないかもしれないという恐怖よりも、そんな異常な関係性を「至上の愛」として受け入れ、完璧に支配しようとしているこの父親の底知れなさの方が、よほど恐ろしかった。
「……驚かせて悪かったね、リオン。だが、母上は化け物などではないよ」
父上は歩み寄り、僕の頭にポンと大きな手を乗せた。
その温かい手のひらの感触が今はひどく不気味に感じられる。
「母上は普通の人より少し体が弱いんだ。だから、僕の有り余る魔力で癒しているだけだよ。……なにも特別なことじゃない」
「……それは本当ですか。あの時だけのことではなく、今までも……?」
食い下がる僕を父上の金色の瞳が静かに見つめる。
その瞳の奥には、狂気にも似た深い情愛が揺らめいていた。
「リオン。魔導を極める者は基本的に長寿だ。……例えば僕が百歳生きられるところを二十年、三十年……あるいはそれ以上、彼女のために削ったところでどうという話ではないだろう?」
「命を……削っている……」
僕は絶句した。
父上は、母上をあの神々しい美しさのままに留めておくために、あるいは生かすために、自らの寿命を、その魂の欠片を、惜しげもなく切り渡している。
「それが僕の悦びなんだ。彼女が美しく、健やかで、僕の隣で微笑んでいてくれるなら……僕の命なんて安い代償だよ」
その声はどこまでも優しく、そして救いようのないほどに歪んでいた。
僕の胸は締め付けられるような痛みに支配された。
「禁書庫にこもるのもしばらくは禁止する。……この話も、忘れなさい。」
父上は、母上が何者であるかを知っていて、実子である僕にすら真実を隠そうとしている。
その上で彼女を完全に支配し、独占するための完璧な「檻」を作り上げていたのだ。
……僕が生まれるずっと前から……?
あの日、母上が父上を喰らっていたのも、父上にとっては想定外の悲劇などではない。
自らが望んで与えていた極上の給餌であり、母上を自身に依存させるための首輪だったのだ。
優しい母上は正体不明の人外であり、頼もしい父上はその母を檻に閉じ込めて愛でる、狂気に満ちた飼育者。
父上が命を削るほど、母上は若々しく美しくなり、僕たち家族の幸せは維持される。
その残酷な等価交換の上に、この公爵邸の平和は成り立っているのだ。
「君はまだ子どもだ。あと何年かすれば忘れてしまうほどの些末な出来事に過ぎない」
僕は震える唇を噛み締め、ゆっくりと、深く頷くしかなかった。
「はい……」
「さあ戻ろうか、リオン。シャルロットとアルテミスたちがアフタヌーンティーを準備させていたよ。……君が来ないと、シャルが寂しがってしまう」
父上は僕の背中に手を添え、暗い小部屋から連れ出した。
書庫を出ると、廊下の先から甘いバニラの香りと、妹たちの賑やかな声が聞こえてくる。
光の溢れるリビングでは三つ子を抱いた母上が、聖女のような微笑みを浮かべて僕たちを待っていた。
(この幸せは、父上の命でできている……)
母上が差し出した一切れのケーキを受け取りながら、僕はその甘さの中に消えない鉄の味を感じていた。
父上の愛という名の狂気に触れてしまった僕は、もう、以前のようには笑えなくなっていた。




