25_戦場での禁断症状 レインハルトside
血と硝煙の匂いが立ち込める、最前線の野営地。
分厚い天幕で覆われた指揮官としての私室の中で、僕、レインハルト・イル・ヴァルテンベルクは粗末なベッドに膝をつき、声を殺して悶え苦しんでいた。
ギリッ、と奥歯を噛み締める音が、静まり返った天幕の中にひどく大きく響く。
全身の毛穴から脂汗が吹き出し、軍服のシャツがひどく肌に張り付いていた。
自分の意思とは無関係に手足が微かに痙攣し、喉の奥から叫びだしたいほど激しく血が巡る。
視界がぐらりと揺らぎ、何もないはずの空間に、薄紫色の髪をした愛しい妻の幻影が何度も浮かんでは消えた。
「はぁっ……、くそっ……」
掠れた悪態を吐き捨てながら、僕は震える右手で自身の胸元を強く掴み、強制的に魔力の循環を促す『中和魔法』を幾重にも重ね掛けしていく。
一時的に動悸は収まるものの、身体の奥底で飢えた獣のように暴れ回る『渇望』そのものを消し去ることはできない。
王都を出立して、愛するシャルロットに触れられないまま、すでに二か月という時間が経過していた。
彼女の特異な体質――淫魔としての本能を、僕の強大な魔力で強引に抑え込み、その代わりに彼女が放つ甘い毒を、僕は長年自らの身体に引き受け続けてきた。
僕の肉体も精神も、とっくに彼女なしでは正常に機能しないように呪縛され、完全に造り替えられてしまっているのだ。
もしこのまま数か月、あるいは数年と彼女から離れ続ければ、僕の身体から彼女の毒が完全に抜け落ち、やがては『普通の身体』に戻ることができるのかもしれない。
けれど、そんな未来を望む自分など、僕の心のどこを探しても見当たらなかった。
彼女の毒に侵され、彼女に魔力を注ぎ込み、互いに依存し合ってでしか生きられないというその歪な繋がりこそが、僕が彼女を独占するための絶対的な鎖なのだから。
「シャル……」
僕はベッドの上に放り出されていた、一通の手紙を震える手で拾い上げ、顔を埋めるようにきつく抱きしめた。
それは王都を出てからひと月後に、彼女から届いた唯一の返事だった。
何度も、それこそ気が狂うほど読み返したせいで、羊皮紙の端はわずかに擦り切れ、彼女の流麗な文字も少しだけ滲んでしまっている。
封筒に忍ばせてあった彼女のお気に入りの香水の匂いも、今はもう、目を閉じて意識を集中させなければ感じ取れないほどに薄れてしまっていた。
それでも、これを手放してしまえば、自分がこの凄惨な戦場に立っている理由すら見失ってしまいそうだった。
彼女からの二通目の返事は、まだ届いていない。
こちらから二通目の手紙を送った後、しばらくして伝令の部隊が敵の襲撃に遭ったという報告を受けた。
恐らく彼女の手元に渡る前に消失してしまったのだろうと考え、僕は再度同じような内容を綴り直して送った。
シャルからの返事を待たず、さらに先日も安否を気遣う内容で筆を執り、合計で四通の手紙を王都の別館へと送り届けていた。
しかし、公爵邸からの便りはぷつりと途絶えたままだ。
……何かあったのだろうか。
彼女の身に危険が及んでいるのではないかという不安が、禁断症状の苦しみと混ざり合い、僕の理性を容赦なく削り取っていく。
婚姻してからというもの、ここまで長期間離れ離れになることは初めてだった。
シャルが精気と魔力を捕食しなければ生きていけないと知りながら、それが断たれたのち、どのくらい保つかは未知数だった。
彼女が極度の精気切れを起こし、あの忌まわしい誘惑の香りを撒き散らしていないか。
あの見目だけは良い護衛の男を置いてきたが、万が一にも彼女の秘密に触れ、よからぬ真似をしていないだろうか。
そんな考えがよぎるたび、強大な魔力が無意識に暴走し、天幕内の空気がビリビリと震えて軋む。
「……あと、どのくらい持つだろうか」
僕は荒い息を吐き出しながら、手紙を胸に抱いたまま天幕の天井を仰ぎ見た。
今回の敵国であるベルツは、大陸一の魔導国家として名高く、多数の優秀な魔導士を抱えている。
僕個人の魔力がどれほど強大であろうと、相手は圧倒的な数と組織的な戦術で、徹底的な対抗策を講じてきていた。
局地的な衝突が続き、両陣営ともに負傷者の数は日に日に膨れ上がっている。
指揮官である僕が前線を離脱するわけにはいかず、王都へ繋がる『転移門』を開くほどの魔力的な余裕も、時間的な猶予も、今の僕には残されていなかった。
焦燥感が、黒い泥のように肚の底に溜まっていく。
一刻も早く戦況を好転させ、一時的にでも転移門を開き戻らねば、僕の精神も肉体も崩壊してしまいそうだ……。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……シャル……、逢いたい……っ」
熱に浮かされたように、僕は浅く早い呼吸を繰り返した。
目を閉じれば、薄紫色の髪がシーツに広がり、潤んだ緋色の瞳で僕を求めて見上げる彼女の顔が、鮮明に脳裏に蘇る。
彼女の白い肌の柔らかい感触。
泣き出しそうな声で僕の名前を呼ぶ、あの甘い響き。
僕が注ぎ込む魔力を飲み込み、歓喜に打ち震えるあの柔らかな内側の熱。
それらがシャルと長期間離れたことによる禁断症状の幻影だと理解しながらも。
すべてが、どうしようもなく恋しかった。
僕は脂汗を滲ませた額をベッドの縁に押し付け、獣のような唸り声を上げた。
そして、胸に抱きしめていた手紙にそっと口づけを落とす。
そこには、公爵夫人である彼女のみが使用を許されている特別な封蝋が刻まれている。
その冷たい蝋の感触に唇を押し当てながら、僕は彼女への狂気的な執着と愛を、ひたすらに心の奥底で煮えたぎらせていた。




