18_消えない渇き
リオネルの件から数日が過ぎても、わたしの体調が元に戻ることはありませんでした。
それどころか日を追うごとに、身体の奥底に巣食う正体不明の熱と気だるさは、ますますひどくなっていったのです。
一度だけ他者の精気を吸い上げてしまったことが、かえってわたしの身体に眠っていた恐ろしい本能を完全に目覚めさせてしまったようでした。
乾いた砂漠に数滴の水を与えられたように、一時的な渇きは癒えたけれど、すぐにまた、より強烈な飢餓感が襲ってきます。
リオネルから奪ってしまった生命力は、レインハルト様がいつも注ぎ込んでくれていた、あの途方もなく甘くて強大な魔力とは比べ物になりません。
わたしの身体は愛する夫の毒のような愛と熱を求めて、声なき悲鳴を上げ続けていました。
夜もまともに眠れず、どれだけお水を飲んでも食事を口にしても、胸の奥のひりつくような渇きは少しも癒えることがありません。
輝きを放っていた肌や髪からは光が失せ人並みの色に、そのくせ体温だけは異常に高く、常に微熱に浮かされているような状態が続きました。
見かねたアンナが、本館からヴァルテンベルク公爵家お抱えの主治医であるシュルツ先生を呼んでくれました。
「……脈も少々乱れておりますし、やや熱をお持ちですな」
白髪の混じった眉を寄せながら、シュルツ先生はわたしの腕からそっと手を離しました。
彼はレインハルト様も信頼を置いている大変優秀なお医者様です。
しかし、わたしたちが抱える本当の秘密までは、彼もご存じありません。
あくまで『他人よりも虚弱な体質』として、診察をしてくださっています。
「先生、奥様は……どこか、お悪い病気なのでしょうか」
傍らで付き添ってくれているアンナが、ハンカチを握りしめながら不安げに尋ねました。
シュルツ先生はゆっくりと首を横に振り、大きなため息を一つ吐き出します。
「おそらく、極度のストレスと心労によるものでしょう。旦那様が前線へ赴かれた不安に加え、先日サロンで王国騎士どのが倒れられたというショックも大きかったはずです」
「ストレス、ですか……」
「ええ。奥様は元々お身体が繊細でいらっしゃる。精神的な負担がそのまま身体症状として現れてしまっているのでしょう。今はとにかく、安静になさることが第一の特効薬です」
先生の静かな診断の言葉に、わたしは力なく頷きました。
わたし自身もきっとそうなのだろうと納得していたのです。
この原因不明の熱も、身体の奥が焼け付くような恐ろしい渇望感も、すべては愛する夫が不在であることのストレスが引き起こしているのだと。
わたしは彼に依存しきった、本当に弱くて愚かな妻です。
公爵夫人として立派に留守を守らなければならないのに、少しの心細さとショックで倒れ込んでしまうなんて、情けなくて涙がこぼれそうでした。
シュルツ先生が処方してくださった強い鎮静剤と栄養剤を受け取り、アンナが彼を部屋の外まで見送りに出て行きます。
一人残されたベッドの中でわたしは丸くうずくまり、シーツをきつく握りしめました。
これ以上、子どもたちや使用人たちに心配をかけるわけにはいきません。
何より、おそらくリオネルが来た時に無意識に放ってしまったであろう『誘惑の香り』を撒き散らして、邸の誰かを狂わせてしまうことだけは絶対に避けなければなりませんでした。
「アンナ……お願いがあるの」
部屋に戻ってきた侍女に、わたしは掠れた声で告げました。
「どうなさいましたか、奥様」
「当分の間、わたしはこの部屋で休むわ。……必要な執務も、本館ではなくこちらでこなします」
「ですが、奥様……お一人では、あまりにも心細うございます」
「大丈夫よ。あなたも、お食事やお薬の時以外は自分の仕事に戻ってちょうだい。……少し、一人になりたいの」
本当は、孤独で怖くてたまらないのに、わたしは必死に強がって彼女を遠ざけました。
アンナは泣きそうな顔をしていましたが、主であるわたしの命令に逆らうことはできず、静かに一礼をして部屋を後にしました。
分厚い遮光カーテンが引かれた薄暗い寝室は、世界のすべてから切り離されてしまったかのように静まり返っています。
夫がわたしのために用意してくれた安全な黄金の檻が、今では恐ろしい牢獄のように感じられました。
時折、波のように押し寄せてくる強い飢餓感に耐えきれず、わたしは声にならない悲鳴を上げてクッションに顔を埋めます。
レインハルト様が恋しくて、彼の手が、唇が、熱が欲しくてたまりません。
こんなにもみっともなく夫を欲しがる自分がひどく汚らわしく思えて、罪悪感の涙だけが止めどなく溢れてきました。
しかし、わたしは完全に一人きりになったわけではありませんでした。
『――奥様。何かございましたら、すぐにお呼びください』
分厚い扉の向こう側から、ライゼン様の静かで落ち着いた声が聞こえてきました。
わたしが自室に籠もるようになってから、彼は片時も離れることなく、扉の外で護衛の任務に就いてくれています。
わたしはベッドの上で身を縮めながら、その誠実な声にどれほど救われているか分かりませんでした。
「……ありがとう、ライゼン様」
扉越しに小さく返事をすると、外からは微かな衣擦れの音だけが返ってきます。
彼には、わたしが病の苦しみと夫の不在による孤独で泣いているようにしか見えていないはずです。
扉一枚を隔てたすぐそこに、わたしを案じてくれる温かい存在がいる。
その事実が、狂いそうな飢えに苦しむわたしの心を、ほんの少しだけ繋ぎ止めてくれていました。
……けれど、わたしは知らなかったのです。
扉の外に立つライゼン様が、わたしの荒い呼吸や微かな泣き声を聞くたびに、己の無力さに打ちひしがれ、同時に暗い情念を募らせていることに。
わたしが夫の不在に苦しめば苦しむほど、彼の中の歪んだ正義が、取り返しのつかないほどに膨れ上がっていることに。
消えない渇きに身悶えするこの閉ざされた部屋の扉が、彼にとっての致命的な誤解の土台となり、やがて開けてはならないパンドラの箱へと変わっていくのだということを。




