14_リオネル来訪 リオネルside
王都の防衛を預かる王国騎士団部隊長として、オレ、リオネル・ヴァレンティーヌは多忙な日々を送っていた。
しかし、どれほど職務に追われていようと、胸の奥底に燻る懸念を拭い去ることはできなかった。
魔法省長官である魔導公爵、レインハルト・ヴァルテンベルク様が北の前線へ出征してから、すでにひと月以上が経過している。
あの王国最強の魔導師が戦場で後れを取るとは思えないが、これほど長期にわたって王都を空けるのは異常事態だった。
何よりオレが案じていたのは、主を失った公爵邸――厳密に言えば、彼が異常なまでの執着で囲い込んでいる妻、シャルロット夫人のことだ。
オレは、彼女とは学生時代の同級生にあたる。
レインハルト様の後輩でもあったオレは、学生時代から彼の底知れぬ狂気的な独占欲を間近で垣間見てきた。
だからこそ、鳥籠に閉じ込められたようなシャルロットに同情しつつも、決して不用意に近づかないよう自戒してきたのだ。
だが、ひと月も夫が不在となれば、あの過保護な男にすべてを依存させられている彼女がどうなっているか。
オレは居ても立っても居られず、見舞いという名目で公爵邸を訪れていた。
「ようこそいらっしゃいました、リオネル様」
通された客間でオレを出迎えたのは、予想以上に儚げな姿をしたシャルロットだった。
美しい薄紫色の髪を結い上げ、柔らかなドレスを身に纏っているが、その表情には明らかな疲労と憔悴が滲んでいる。
「……突然の訪問を許していただき、感謝します。シャルロット夫人」
「いいえ。夫の不在で心細く思っておりましたから、王国騎士であるあなたが訪ねてくださって、とても心強いですわ。……メイドに、お茶とお茶菓子を持ってこさせますね」
彼女がそばに控えていたメイドに指示を出す声は、ひどく細く、どこか今にも消え入りそうに弱っていた。
メイドが退室し、サロンに再び静寂が下りると、オレは向かいのソファに腰掛ける彼女の顔を改めて正面から見つめた。
そして、雷に打たれたように激しい動揺を覚え、言葉を失ってしまった。
(……こんなに、美しかっただろうか?)
騎士としての礼節を忘れそうになるほど、オレは無遠慮に彼女を見つめて息を呑んだ。
オレの記憶の中にある学園時代の彼女は、いつも教室の隅で小さくなっている目立たない地味な令嬢だったはずだ。
――それがどうだ。
目の前に座る女性は、真珠のように発光する白い肌に、星屑を砕いたような緋色の瞳を持っている。
光を乱反射してしなやかに揺れる薄紫色の髪は、見る者の視線を絡め取って離さない。
絶頂かと思われた十八歳の結婚式の時と寸分違わぬ若々しさとあどけなさを保っているばかりか、今はそこに、しっとりとした儚げな色香までが加わっている。
ただソファーに座って微かに息を吐いているだけで、ひどく官能的で、目が離せないほどに美しい。
レインハルト様が、知人であるオレすら彼女に滅多に会わせたがらなかった理由が、今なら痛いほどに理解できた。
(魔導師に深く愛されると、女性はこうも変わるものなのか……? ……いや、そんなはずはない。レインハルト様が特別なのか、はたまた彼女の存在そのものが……)
「本当に何年振りかしら、こうしてお話するのは……。わたし、あまり公爵邸の外に出ることがなくなってしまったから……」
「あ、ああ。……そうだな。夜会の警護の場で会釈するくらいだったからな。ここ数年は特に」
「フフッ。そうよね、……今日は、なにかご用だったかしら?」
「……いや、用というか、あのレイントハルト様のご不在が長いようなので気になって。あのお方は職務の場でさえ、君への愛情が分かるほどシャルロットに溺れているようだったし」
「そうなのですか? もう……いやだわ、恥ずかしい……。でも、とっても嬉しい。ふふふ」
少女の頃とは違う、落ち着きが滲む透明感のある声。
しかし弱々しさを隠そうともするその凛とした佇まい。
かつての同級生に向けるべきではない、名状しがたい熱が腹の底で渦を巻き始める。
ひどく弱り切ったその姿は、庇護欲を掻き立てると同時に、奇妙なほど男の加虐心や独占欲を刺激する危うさがあった。
「リオネル様? どうかされましたか?」
黙り込んでしまったオレを不思議に思ったのか、彼女が小首を傾げて覗き込んできた。
潤んだ緋色の瞳と視線が絡み合った、その瞬間だった。
ふわり、と。
彼女の身体から、花の蜜を煮詰めたような、甘く、そして脳の芯を直接麻痺させるような香りが漏れ出した。
「……っ……!?」
オレは一瞬、自分がどこで何をしているのか分からなくなるほどの強烈な目眩を覚えた。
視界がぐらりと揺らぎ、理性のタガが外れそうになるのを必死に堪えてソファーの肘掛けを強く握りしめる。
脂汗が浮き、流れる。
全身の血が逆流しそうなほどの心臓の鼓動。
「はぁ、……はぁ……。……? ……はぁ……」
原因不明の熱に突き上げられるような焦燥感。
(――おかしい。急にどうしたんだ……?)
左手に嵌められたシルバーの光を放つ結婚指輪を睨みつけ、辛うじて理性を保つ。
(なにを考えているんだ、オレは)
目を伏せ、自分の中に芽生えた恐ろしい思考を追い出すように頭を振った。
オレは、目の前の旧友の、ただその圧倒的な色香と甘い毒のような香りに絡め取られ、完全に言葉を失っていた。




