7_別離の朝
いよいよ、恐れていた別離の朝がやってきてしまいました。
雲一つない澄み切った青空とは裏腹に、公爵邸の前庭には重苦しい空気が漂っています。
早朝の冷たい風が、出征を待つ騎士たちのマントをバタバタと音を立てて揺らしていました。
漆黒の軍服に身を包んだレインハルト様は、出陣の準備を整えた騎馬隊を背にして、わたしたち家族の前に立っています。
子どもたちは皆、大好きな父親とのしばしの別れを前に、どこか不安げな表情を浮かべていました。
「父上、どうかご無事で。父上がご不在の間、公爵邸と母上は、父上の代理として僕がお守りいたします」
長男のリオンが、不安を必死に押し殺したような、大人びた表情で一歩前へ出ました。
その小さな肩には、すでに公爵家の跡取りとしての強い覚悟が宿っているように見えます。
レインハルト様はそんな頼もしい息子を見下ろして優しく微笑みました。
しかし、その黄金の瞳の奥には「まだお前には早い」とでも言うような、酷く冷たくて重い色が微かに過ったように見えました。
彼が息子の成長を喜んでいるのか、それとも息子がわたしを守るという言葉にすら密かな独占欲を刺激されているのか、わたしには分かりません。
けれど、彼がわたし以外に向ける感情には、時折背筋が凍るような危うさが混じっていることだけは確かなのです。
「ああ、頼んだよ、リオン」
レインハルト様は短く応えると、双子や娘たちにも順に声をかけ、頭を撫でていきました。
子どもたちとの別れを終えた彼は、今度は少し離れた場所に控えていたライゼン様へと視線を移します。
「留守中、奥様と子どもたちを命に代えてもお守りいたします」
ライゼン様が胸に手を当てて騎士の礼をとると、レインハルト様は穏やかに微笑み返しました。
けれどその完璧な笑顔の裏で、彼が何か黒くて重い感情を飲み込んだような気がして、わたしは微かに胸をざわめかせます。
信頼する部下へ向ける眼差しにしてはあまりにも冷ややかで、まるでチェス盤の駒を捨てる前のような無慈悲さを孕んでいるように見えたからです。
そしてついに、彼の理知的な黄金の瞳がわたしを捉えました。
「シャル」
彼が一歩近づいてくると、わたしは泣き出しそうになるのを必死に堪えて顔を上げます。
気丈な妻として、笑顔で彼を送り出さなければならないのです。
ぎゅっと両手を握りしめ、震えそうになる口角を無理やり引き上げました。
「行ってらっしゃいませ、レインハルト様。どうかご無事で、一日も早くこの場所へお帰りくださいませ」
震える声でそう告げると、彼はひどく愛おしそうに目を細め、わたしの頬にそっと手を添えます。
いつものような深く甘い口づけが降ってくるのだとばかり思い、わたしはそっと目を閉じました。
しかし、彼の熱い唇が触れたのはわたしの唇そのものではなく、そのすぐ真横だったのです。
ちゅ、と微かな音を立てて唇の端に落とされた口づけは、まるで「君は僕のものだ」と焼き印を押すような、酷く執着に満ちたものでした。
人前であることを考慮しての控えめな口づけだったのかもしれませんが、唇を掠める絶妙な位置に、かえって背筋が粟立つような官能を覚えます。
その直後、彼が耳元に顔を寄せ、低い声で囁きました。
「必ず帰るよ、僕の可愛いシャルロット」
その甘い吐息に身体を強張らせている間に、彼は翻る漆黒のマントと共に騎馬へと向かっていきました。
ひらりと馬に跨るその姿は、王国最強の魔導公爵としての威厳に満ち溢れています。
蹄の音が鳴り響き、精鋭部隊がゆっくりと王都の大通りへ向かって動き出しました。
わたしは子どもたちと共に、彼らの隊列が完全に角を曲がり、見えなくなるまで、背筋を伸ばして気丈に見送り続けました。
やがて蹄の音が完全に聞こえなくなり、彼の気配が遠く離れてしまったその瞬間。
「……ママ?」
心配そうなイリスの声と同時に、わたしの膝からぱたりと力が抜けました。
まるで操り糸を切られた人形のように、石畳の上に崩れ落ちてしまいます。
傍に控えていたライゼン様が、驚いたように駆け寄ろうとする気配がしました。
しかしそれよりも早く、リオンとアンナが両脇からわたしを慌てて支え起こしてくれます。
「母上、大丈夫ですか」
「奥様、お気を確かに」
「ごめんなさい……少し、目眩がしただけよ」
空を仰ぐと、いつもと同じ暖かな春の陽射しが降り注いでいるというのに、わたしの心は酷く冷え切っていました。
レインハルト様が去った後、わたしの胸の奥には、ぽっかりと黒く空虚な穴が空いてしまったのです。
彼が注ぎ込んでくれていた魔力と熱が遠ざかっていくにつれて、言いようのない空白が広がっていきます。
彼なしでは生きていけないこの身体が、夫の不在という現実に悲鳴を上げ始めていることに、わたしはただ震えることしかできませんでした。




