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番外編:眠れる森のシャルロット

 柔らかな午後の陽光が差し込むサンルーム。

 五人目の出産を終えてから、母上は前よりも少し眠りが深くなった。

 今日も大きなクッションに身を預けて、穏やかな寝息を立てている。


 その寝顔はとても幸せそうだった。

 見ているだけで胸の奥がふわっと温かくなる。


「……母上、とっても幸せそうなお顔をしていますね」


 僕がそっと母上の顔を覗き込むと、アルテミスとサリエスも心配そうに顔を寄せた。


「でも少し肌寒いかしら。風邪を引いてしまったら大変だわ」


 アルテミスがそう言って母上の肩のあたりを見つめる。

 確かに、サンルームの中は暖かいけれど、窓の隙間からほんの少しだけ冷たい風が入ってきていた。


「ママをあったかくしてあげよう?」


 末の妹のリリアンが無邪気にそう提案した。


 その瞬間、僕の中で一つの術式が組み上がった。

 母上を起こさず、寒さも、衝撃も、病も、外からのあらゆる干渉も遮断する。

 それでいて、母上には少しの負担もかけない。


 そういう結界を作ればいい。


「じゃあ、僕が土台を作るよ。お父様の術式を応用して……」


 僕は指先を動かし、母上の周囲に【論理のロジック・ケージ】を展開した。

 物理的な衝撃を完璧に遮断する、透明な壁。

 父上が母上を守るために使っている多重結界を参考にしたけれど、母上の呼吸と心拍に合わせて、負荷がかからないように少しだけ構造を変えた。


「わたしはあったかいのを! お母様が凍えないように」


 アルテミスが勢いよく手を上げる。

 その指先から、太陽の熱を閉じ込めたような【温熱の衣】が生まれた。

 結界の内側の空気が、春の陽だまりのように柔らかくなる。


「僕は、空気を綺麗にする。悪い病気が入ってこないように」


 サリエスは氷の魔力を薄く引き伸ばし、不純物を濾過する【氷晶のフィルター】を重ねた。

 細かな氷の粒が光の膜のように母上の周りを包んでいく。


 最後にリリアンが母上の頬に触れるように、小さな手をかざした。


「ママ、大好き!」


 リリアンの魔力が、ふわりと溢れた。

 それは僕たちのように計算された術式ではなかった。

 けれど、ひどく純粋で、温かくて、強い力だった。


「ずっと、きらきらしててね!」


 リリアンが無意識に放った【生命の加護】が、僕たち三人の術式に絡みつく。

 まるで透明な糊のように、別々だった四つの魔法を一つに結び合わせていった。


 虹色の光沢を放つ、かつてないほど強固な結界。

 僕たち四人の力が溶け合って、母上を包み込んでいる。


「……できた」


 思った以上によくできた。

 少なくとも、普通の魔導師では触れることすらできない。

 父上ならきっと解析できるだろうけれど、それでもすぐには破れないはずだ。


 そう思った直後だった。


「……シャル! ただいま。ああ、一刻も早く君の香りを補給させてくれ」


 聞き慣れた声が、サンルームの入口から響いた。

 父上だ。


 仕事をいつもよりずっと早く片付けてきたのだろう。

 上着を脱ぎ捨てながら眠る母上に向かって一直線に歩いてくる。


 そして、ためらいなく手を伸ばした。


 ――バチンッ!!


「……っ!?」


 次の瞬間、父上の手が目に見えない衝撃波によって弾き飛ばされた。


「……なんだ、これは」


 父上が目を丸くする。

 目の前には虹色に揺らめく完璧な球状の結界。

 その中で、母上は何の邪魔も入らず、天使のような寝顔で眠り続けている。


「父上、お帰りなさい! でも、今はダメですよ。母上は僕たちが守っているんです」


 僕は胸を張ってそう言った。

 双子もすぐに父上の前に立ちはだかる。


「そうよ、お父様が乱暴に抱きしめたりしたらお母様が起きちゃうわ!」

「ママ、ねんねしてるの!」


 リリアンまで両手を広げて、父上を止めた。


「……君たちが、これを? 冗談だろう。この僕を弾き返すほどの強度だぞ」


 父上は最初、少しだけ微笑ましそうにしていた。

 けれど結界に軽く指を触れた瞬間、その顔から余裕が消えた。


「……リオンの多重回路に、双子の属性共鳴、さらにリリアンの生命付与……。なんてことだ、互いの術式が弱点を補い合い、外部からの干渉をすべて『愛の魔力』に変換して取り込んでいる……」


 さすが父上だ。

 一瞬で構造の大部分を見抜いた。


 でも、見抜けたからといって簡単に破れるわけではない。

 この結界は外から壊そうとすればするほど、その魔力を取り込んで強くなる。

 つまり父上が強力な魔法をぶつければぶつけるほど、結界はさらに強固になり、内側の母上はより快適になってしまう。


 僕はそこまで狙って作ったわけではなかったけれど、結果としてはかなり理想的だった。


「シャル……。シャル、起きてくれ……」


 父上が結界の壁に張り付き、情けない声を漏らした。

 さっきまで王国最強の魔導師らしい顔をしていたのに、母上に触れられないと分かった途端、まるで捨てられた子犬みたいになっている。


 指一本触れることができない。

 母上の甘い香りも、柔らかな肌の感触も、すぐそこにあるのに、僕たちの魔法が父上を拒絶しているのだ。


「……解除しなさい、リオン。これは父命令だ」

「ダメですよ、父上。母上が自分で起きるまで、僕たちは解かないって決めたんです」

「そうだそうだー! お父様、お仕事してたんだから、あっちで待ってて!」


 サリエスが得意げに言う。

 父上は一瞬だけ眉をぴくりと動かしたけれど、母上を起こすわけにもいかず、強引に壊すこともできず、結界の前で膝をついた。


 王国最強の魔導師が、自分の子供たちが作った結界の前で項垂れている。

 それはなかなか見られない光景だった。


 それから一時間。

 父上は結界の外側で、ずっと恨めしそうに中を見つめていた。

 時々、結界を少しずつ中和しようとしていたけれど、そのたびに僕は術式を補強した。


「あ、術式を書き換えましたね」

「……リオン」

「そこを変えると、母上の周囲の温度が少し下がるのでダメです」

「……」


 父上は悔しそうに口を閉ざした。

 僕は少しだけ誇らしかった。

 母上を守るという一点において、今だけは父上にも勝てている気がしたからだ。


 やがて、結界の内側で母上のまつ毛が微かに揺れた。


「……ん……。あら……みんな、どうしたの……?」


 母上がゆっくりとまぶたを上げる。

 そして、ふんわりと微笑んだ。


 その瞬間、僕たちの魔法は役割を終えたかのように、音もなくキラキラとした光の粒になって霧散した。


「シャル!!」


 障壁が消えるや否や、父上が弾かれたように飛び込んだ。

 そして母上を壊れ物のように抱きしめる。


「えっ、レインハルト様!? どうなさいましたの、そんなに慌てて……」


「……長かった……。君に触れられない一時間が、一万年にも感じられたよ……。リオン、君たちは後で少し説教……いや、特訓だ」


「えー! 僕たち母上を守っただけですよ!」


 思わず声を上げるとサリエスもアルテミスも頷いた。

 リリアンは母上の膝にしがみついて、「ママまもったの」と得意げに笑っている。


 母上は僕たちの顔と、父上の必死な様子を交互に見つめた。

 そして事情を察したのだろう。

 クスクスと楽しそうに笑い声を上げた。


「ふふ、嬉しいですわ。みんながわたしをそんなに守ってくれたなんて。ねえ、レインハルト様? こんなに頼もしい子供たちがいるのですもの、わたしたちは幸せですわね」


 母上がそう微笑むと父上は何も言えなくなった。

 母上に優しく撫でられて、少しだけ毒気を抜かれたような顔になる。


「……ああ。全く、君に似て優しすぎる子供たちだ。……だが、次からは父も入れてもらうことにするよ」


 父上がそう言うと、僕たちは顔を見合わせて笑った。

 次に入れてあげるかどうかは、その時の父上の態度次第だ。


 夕暮れ時のサンルーム。

 僕たちの笑い声と、ようやく母上を抱きしめられた父上の安堵の溜息が柔らかな光の中に溶けていく。


 末妹の誕生を祝う公爵邸には、最強の魔法よりも解くのが難しい、幸せな絆が満ちていた。









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冷淡ヒーローの“我慢”が限界に近づいていく、 すれ違いから始まる異世界執着愛。
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