番外編:パパは最強魔導師
穏やかな昼下がりの公爵邸。
庭園のガゼボで、わたしは揺り籠の中のイリスを見守りながら香しいハーブティーを楽しんでいました。
足元ではリリアンが芝生の上でたんぽぽの綿毛を飛ばしています。
少し離れた場所では双子のアルテミスとサリエス、そして長男のリオンが、レインハルト様を取り囲んでいました。
きっかけはサリエスの素朴な疑問でした。
「ねえ、お父様。お父様は、世界で一番強い魔導師なの?」
その問いにレインハルト様はわずかに口角を上げました。
公務の場では冷徹な「王国最強」と恐れられる方も、愛する子供たちの前では少なからず自尊心をくすぐられたようでした。
「世界一、か。魔導の深淵は果てしないが……少なくともこの王国において、僕以上の術式を組める者はいないと自負しているよ」
「わあ、やっぱり! じゃあ、何かすごいのを見せて!」
アルテミスが瞳を輝かせてせがむと、レインハルト様は立ち上がりました。
三女のイリスが生まれて以来、レインハルト様はさらに過保護に、さらに強固になった「わたしへの愛」を形にするかのように、一つの術式を編み上げていきました。
「見ていなさい。これは【黄金の守護天蓋】。物理、魔法、精神干渉……あらゆる敵意を遮断し、内部の者を絶対的な安寧で包み込む、僕にしか構成できない多重結界だ」
レインハルト様が指先を優しく振ると、ガゼボを中心に幾千もの黄金の糸が虚空から紡ぎ出されました。
それらは複雑な幾何学模様を描きながら、まるで巨大な花の蕾が開くように、わたしと子供たちを包み込んでいきます。
「すごい……! 太陽が降ってきたみたい!」
「キラキラしてて、とってもあったかいわ」
双子が歓声を上げ、リリアンも空中に舞う光の粉を掴もうと小さな手を伸ばしています。
術者であるレインハルト様は完璧な均衡を保つ術式を眺め、満足げに頷きました。
この結界がレインハルト様の膨大な魔力と緻密な計算によって成り立つ、現代魔導学の頂点とも言えるものなのだということは、わたしにも分かりました。
「どうかな、リオン。君には、この術式の流れが見えるかい?」
レインハルト様はご自分と同じ金色の瞳を持つ長男に、少しだけ「父の背中」を見せつけるように問いかけました。
七歳のリオンは黄金の光をじっと見つめていました。
その瞳は父の魔法を単なる「見世物」としてではなく、一つの「数式」として解体し再構成しているように見えました。
「……うん。父上、流石だね。第三階層の魔力循環が、母上の心拍数と完全に同期している。これなら、母上が眠っている間も負担がかからない」
「よく気づいたね。それがこの術式の核だ」
レインハルト様は息子の洞察力に目を細めました。
しかし、リオンの言葉はそこで終わりませんでした。
「でも……父上。もしここを、こう変えたらどうかな?」
リオンはひょいと手を伸ばすと、結界の表面を流れる魔力の糸を一本、指先で摘まみ上げました。
「第五階層の余剰エネルギーを、そのまま第一階層の防護膜にフィードバックさせるんじゃなくて……一度、この『空洞』を通してから反転させるんだ。そうすれば、魔力消費は三割減るし、強度は――」
リオンが指先で魔法文字を一つ書き換えた瞬間、黄金の結界が「シュン」と一段と鋭い輝きを放ち、より透明度を増して凝縮されました。
「――倍以上になると思うんだけど。どうかな?」
静寂が訪れました。
レインハルト様は目の前の術式が、より洗練された形へと変貌したことを瞬時に理解したようでした。
ご自分が数か月かけて研ぎ澄ませた術式を、この七歳の少年はわずか数秒の観察で改良してみせたのです。
「…………」
レインハルト様の表情は一見すると冷静そのものでした。
けれどその瞳の奥にかつてないほどの衝撃が走ったことを、わたしは見逃しませんでした。
「リオン。……今の調整は、誰に教わったんだい?」
「誰にも。ただ、こっちの方が『母上にとって優しい』感じがしたから」
リオンは無邪気に笑いました。
その笑顔はかつてのわたしの純粋さと現在のレインハルト様の傲慢なまでの才能を、完璧に融合させたもののようでした。
「パパ、お顔が怖いよ? リオンお兄ちゃん、すごかったでしょ?」
リリアンに裾を引っ張られレインハルト様はようやく我に返ったようでした。
そして膝をつきリオンの肩に手を置きます。
「……ああ。見事だ、リオン。今の改良は僕の想像を超えていたよ」
レインハルト様は息子を褒め称えていました。
けれどその横顔には一人の男として、そして魔導師としての敗北感にも似たものが、ほんの一瞬だけ滲んでいたように見えました。
いつか、この子はレインハルト様を追い越すのかもしれません。
それも、そう遠くないうちに。
レインハルト様がわたしを独占し守り抜くために築き上げてきたこの魔法の檻を、リオンはいとも容易く開け放ち、あるいはより完璧なものへと作り替えてしまうのかもしれません。
そう思うと胸の奥が不思議な誇らしさで満たされました。
わたしはガゼボの中からレインハルト様へそっと視線を送りました。
夫と息子が交わした高度なやり取りを完全に理解できたわけではありません。
けれど、レインハルト様が少しだけ悔しそうにしていることだけは分かりました。
だからわたしは誇らしさと少しのいたずら心を込めて、静かに微笑みました。
「お父様、次は攻撃魔法も見せて! リオンに負けないで!」
サリエスの無邪気な声にレインハルト様はふっと溜息を漏らし、再び立ち上がりました。
「いいだろう。次は本気で行かせてもらうよ。……リオン、君も『対抗』してごらん」
「いいの? 父上。……僕、本気でいくよ?」
夕暮れ前の公爵邸の庭園に黄金の火花が散り始めました。
最強の魔導師である父と、その父を凌駕しようとする天才の息子。
その激しくも温かな親子の交流を、わたしは優しく見守り続けたのでした。




