10_禁忌の契り
わたしの中に流れているのは、国を滅ぼし、歴史を塗り替えるほどの「害悪」としての血。
信じられない想いで、わたしは必死に彼に縋りつきました。
「殺さないで……お願い……っ」
「はぁ、……く、そ……っ。なんて濃厚な匂いを……ッ!!」
彼は顔を背け、前髪を乱暴に掻きむしりながら奥歯を噛みしめる。
その、苦しみに歪む端正な顔が。
黄金の瞳の光が揺れ、今にも暗い何かに飲まれそうになっている。
(怖い)
(でも――離れたくない)
相反する感情が胸を裂き、わたしは震えた。
「わたしを……愛しては、いただけないのですか……?」
頬を伝う涙は、命乞いなのか、それとも彼を地獄へ誘うための蜜なのか。
本能が、彼という強大な存在を求めて抗いようもなく肌を寄せる。
この最強の魔導師のすべてが欲しい。
わたしの中に溜まる空虚な渇きを、満たしてほしい。
「…はぁ、はぁ、はぁ……。僕の負けだと、言っただろう……ッ!!」
レインハルト様の声が、怒りと激しい渇望で震えた。
「あ……ぁ……っ、レ、イ……っ!」
言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
荒々しく口付けられ、呼吸さえも彼のものへと塗り替えられていく。
火花が散るような衝撃に、わたしはただ、陶酔の渦の中へと沈んでいった。
どのくらいそうしていただろうか。
レインハルト様はふと、わたしの手首を掴み、唇を離し、わずかに距離をとる。
「は、……はぁ……、シャル……僕を殺す気なのか……?」
口付けの合間、切なげに、苦しげにレインハルト様がこぼした。
吐息が唇に触れ、熱くなる。
「……わたしが、あなたを、なぜ……?」
「はぁ、……ふ……そうか。…無自覚なのだな。今この瞬間にも、…僕の精気を、魔力を、魂さえ吸い上げそうなほど……君は……」
「え……」
彼が何を言っているのか、混濁した頭では理解できなかった。
けれど、彼がわたしを求める熱量だけは、痛いほどに伝わってきた。
「……いや、もうそれすらも、どうでも良くなった。こんな不浄な場所に…いつまでも君を置いてはおけない」
彼はそう低く呟くと、わたしの膝裏と背中に腕を回し、軽々と抱き上げた。
けれど、その腕に込められた力は、決して逃がさないという執念が宿っていた。
「レインハルト様……?」
わたしが問いかける間もなく、彼の周囲に爆発的な魔力の波動が渦巻いた。
ドッ、と足元の空気が爆ぜ、重力から解き放たれる。
「―きゃああぁっ!」
思わず彼の首に腕を回し、胸元に顔を埋めた。
次の瞬間、わたしたちは夜の闇のなか、垂直に空へと舞い上がった。
下町の淀んだ空気は瞬く間に遠ざかり、代わりに冷たく澄んだ夜風が頬を叩く。
下を見れば、街の灯りが宝石をぶちまけたように小さく光っている。
けれど、空の上は驚くほどに静かだった。
「離さないで、シャルロット。……君が僕を求めたんだ。……もう、後悔しても遅い」
耳元で囁かれる彼の声は、風の音に混じって甘く、けれど逃げ場のない宣告のように響く。
雲を突き抜け、月光を浴びて飛ぶその姿は、まるで夜の支配者のようだった。
彼の腕の中から伝わる、力強く、速い鼓動。
それがわたしのためだけに打たれているのだと思うと、胸の奥が熱く、甘く締め付けられた。
どれほどの時間が経っただろうか。
やがて、眼下に広大な森に囲まれた壮麗な屋敷――公爵邸が見えてきた。
彼は迷うことなく、最も高い尖塔にある、自身の私室のバルコニーへと着地した。
吸い込まれるように、薄暗い室内へと足を踏み入れる。
そこは、街の喧騒も、一族のしがらみも届かない、二人だけの閉ざされた聖域。
厚い絨毯が音を吸い込み、月明かりだけが寝台を青白く照らしている。
レインハルト様はわたしを降ろすと、逃げ道を塞ぐように壁に手をついた。
暗闇の中でも、彼の黄金の瞳だけが憂いを帯びて光っている。
彼はわたしの髪に指を絡め、再び熱い吐息とともに、今度は逃れようのない深い口付けを求めてきた。
「……あぁ。……これで、もう戻れないよ…、シャルロット」
それは、わたしに言っているようにも、自分自身に向けて自嘲しているようでもありました。
――その夜、わたしたちはもう、引き返せなくなった。
それが、彼の理性が完全に崩れ落ちる、はじまりだった。




