Session.9: 重低音スクールゲイズ
「音代……ミューノイズ……よく分からなーい!」
紐奈は、感傷に耽るような態度から一転して鍵二の話に聞き入っていたが、それも途中で飽きたように座席にもたれ、大声を上げる。
「何でもいいけどさあ、その京子って人をとっちめればいいんでしょ?」
「確かにそうだが、いきなりゆするってわけにもいかないだろう。段取りを決めなきゃならん」
律真は頬杖をついている。意外と、こういう時に限っては落ち着いていて、理性的な感じがある。
「調の学校に自然に入り込む必要があるからな。それでようやく京子とか名乗る女から有亜を救い出す所に行けるんだろう?」
「あの、それってどうするおつもりなんで……?」 彼に粗野なイメージをどうしても抱きがちな調は、彼が正面突破でもするのではないかと疑った。
「この金手市じゃ音楽家が学校や幼稚園に招待されるのは日常茶飯事だろ。俺が演奏の指導のためにやってきた、ということにしておきゃいいのさ。それくらいのことは簡単に受け入れてくれるはずさ」
鍵二が面白がるように、
「そりゃあ僕にも参加させてくれよ。何せ君だけじゃ数人の男子を下手な演奏のせいで病院送りにしかねないからね、アモーレ・ミーオ!」
「るせぇな!」 うるさがる律真。紐奈が妙に目を輝かせている。
だが調にとっては、ちょうど思い当たることがあった。
「まあ一応、市の音楽祭の前の予行練習として、有亜の演奏が一週間後に予定されてるんですよ」
「おお、そうか! なら話が早い」 感心する鍵二。しかし調にとってはそれどころではなかった。
調は、それがあの白髪の女のたばかりであると勘で察した。
あの女の歌声と、有亜のギターの音色に宿る危険な力。どう考えても学校の皆が危ない。
(絶対まずい。止めないと)
「君は有亜をミューノイズだというんだな?」
「多分ミューノイズ……だと思います」
律真は言った。
「いや、ぜひそうさせてくれ。たとえある程度の危険を冒してでも、奴の姿を目にしておきたいからな」
一気に話が進んでしまったことに、調は無論喜ぶ気持ちもあったが、複雑な感情もあった。
「私、家ないからさ。どうしようかなって」
「えー……」 戸惑う調。
しかし紐奈は安心させるように、
「私は電気とか日光を食べるから別に食費なんて気にする必要はないよ。それに光になれるから、生活スペースなんて気にする必要はないよ」
(いや、そうじゃなくて、何で私が養育係みたいになってるの?)
「まさか居候するつもり?」
「いや、ちょっとの間居させてもらうだけでいいの! その後のことはいつか考えるから!」
しかし紐奈の言葉には余裕がないことは明らかだった。しかし冷たくあしらうわけにもいかず、
「じゃあ、それまではどうやって私の家に隠れるんだ」
「う~ん、ならスイッチの照明とか? それなら普通の人にはばれないよね」
「電気代かかると思うんだけど」
「いや、使われてないスイッチの照明になったら問題ないよね? 真夜中ならさすがにばれないでしょ」
調は、紐奈が今度はどんなことをしでかすか不安でならなかった。
「まあ、スマホとかにはとりつかないでよね。電気代かかるから」
「あいあいさー!」
とりあえず、母には友達と言ってごまかしておこうと心に決めた。
紐奈は微細な光の粒子になり、調の周囲を駆け巡った。そして玄関の前まで来ると窓に入りこみ、そのまま消えた。
「何かあったの?」
こんなことをはっきりと説明するわけにはいかない。
「友達とうまくいかなくて……でも、またうまくやれるんじゃないかって」 どうしても、内容に迷う。
「調は一人で色々抱え込みすぎなのよ」
「うん。でも……話せる人はいるよ」
「それは良かった」(いつか、話さなきゃいけない日が来るとは分かってるんだけど)
自分の部屋に帰ると、紐奈が光のまま机の上に浮かんでいた。
「色々見たけど、調って、久米次とかいう人のことが好きなんだね」
「そりゃもちろん、私が音楽を志すきっかけになった人ではあるからね。ずっとあんな風になりたいと思ってるの」
紐奈はスピーカーを介した、ややノイズのかかった声で、
「この姿のままアルバムとか読み込んでたんだ。これでディスクとかそのまま聞けるんだよ」
「すごい便利じゃん! それ」
「まあ、歌の内容はあんまりよく分かんなかったけど。あ~、そうそう、これは完全に趣味の話なんだけどさ」
やおら紐奈の口調が怪しくなってくる。
「律真さんって受けなんじゃないかな。鍵二さんが振り回されてるように見えて、律真さんが振り回されてるんだ。律真さんっていきがってるけど」
「え、何の話?」
「いやもしかしたら鍵二さんが……ごめん、何でもない」
その時、スマホが鳴った。盤子からの通話だ。
「もしもし、盤子?」
「聞こえてる?」
「あの京子って女の人。目でみんな操ってるみたい」
「あと歌声も。あれ、やばい。どう考えても、あの声を聴いてるとくらっとする」
ミューノイズには歌を操る者もいるのだろうか。いずれにしても一般人にしては脅威そのものだ。
「……やっぱりか。私は音代だからかろうじて耐えられてるだけなのかも」
「そこで、思い出したのはモスクウィーラーなんだ。あいつも人を操る攻撃を持ってたけど、ファントムレッドに防がれた」
特撮のネタを挙げて、徐々に早口になる盤子。
「やっぱこういう時に特撮を知ってると役に立つよね! ファントムレッドがあいつの攻撃を避けるためにやったのは――」
◇
学校についてからずっと、調はやはりシカトされ続けていた。しかし、それに耐えていた。
友達を救うための、少しの間だけの辛抱だ。
そんな調の様子を眺め続けていて、有亜は、ふと心に揺れが生じていた。ずっと調に対して優越感を感じていたが、彼があまりに辛そうにしているのを見て、何かが揺れ動いたのだ。
(これで良かったのか?)
今の有亜は、まぎれもなく過去の有亜が望んでいたものだ。こうあれと願っていたものだ。それを現実に手にしているのだから、まぎれもなく有亜は幸福なはずだ。
だが、にも拘らず有亜の中にはもやもやが残っていた。
自分のギターの腕は、自分が研鑽したものでは――
「そこまでよ」
有亜の肩に手を置いて、京子は言った。
「あなたは何も考えなくていいの。ただ、みんなに音色を届けてくれればそれでいい」
京子は甘い声でささやく。
「音楽祭での演奏に先んじて、みんなに演奏を披露してもらうんだから」
「うん……ありがとう」 再び、有亜にとって京子は調よりも頼もしい人物に戻っていた。
ホームルームの時間、担任が言った。
「二日間、特別講師としてお二人の音楽家を招くことになりました」
誰だろう? と生徒たちがささやく。
「顧問として律真さんです」
(うわぁ、マジか!) あきれ果てる調。
「俺がお前たちに本当の演奏を教えてやる!」
(うわぁ、大丈夫かなこれ?)
調は笑った。ひきつった笑いだった。
「彼のどうもよろしく……」
鍵二がにっと笑うと、女子から黄色い叫びが上がった。
調はいよいよ反応に窮して、そっぽを向いた。
有亜はつまんなさそうな表情を浮かべていた。
彼にとっては敵なのだから当然だ。
「ええと、僕たちで数日間音楽の指導をするから、よろしく」
「俺の方がもっとうまくやれるけどな!」
盤子は、頼もしげに二人を見た。
(彼らなら、みんなを止めてくれるかもしれない) しかし、京子の視線が殺気立っていることには気づかなかった。
二人は、音楽部の部室に行くまで金手高校の各地の様子をあれやこれやと見て回っていた。実際、鍵二はこの学校の生徒だったのである。
「僕がいた時とはずいぶん変わったな」
彼は懐かしい物を見る様子で、
「職員室はまだそのままだったが……校庭はだいぶ変わったな」
「ああ。遊具の位置にかろうじて名残がある程度だ」
それから、演奏を練習するための小さな部屋の中にあったピアノを見つけ、抱き着く。
「あっここだ!」
ピアノの表面をまるで美女か何かのようにさすり、頬ずりしながら、
「このピアノは僕が演奏する前にキスしてたもんだ」
「変人だな」 律真はあきれたように言った。
部室は今や京子の城のようになっていた。
京子は笑顔を絶やさない。音代が来たというのにだ。
しかし有亜だけはやや困ったような顔を浮かべている。
「あの人たちは音代でしょう? 私たちの音色が響くのを妨げるじゃない」
京子はしかし、不敵な笑みを浮かべたまま。
「奴らを一網打尽にできるチャンスだわ。彼らの音色をあなたに捧げたいの」
盤子は不安そうな口元を浮かべる。
(あの人たちが勝たないと……みんな)
「ねえ、盤子、一体どんな顔をしているの?」
京子は、盤子の顔を見た。盤子は怯えて、硬直してしまった。
「もしかして、まだあなたは力を浴びていないようね」
心臓をしめつけられたように、盤子は何も言うことができず震えて立ち止まっていた。京子はそのまま盤子の目の前まで歩き、盤子の前髪を手で払いのけた。
京子の瞳が怪しい光を放った。そして盤子の耳元で何かをささやいた。
盤子もまた、京子の虜になり、調に対する思いやりなど忘れ去ってしまった。
そしてその直後に、鍵二はポラリスの部室を訪れた。
「君たちがポラリスなんだね?」
ドラムの手入れをしていた鼓が答えた。
「はい。もうすぐ開催される金手フェスに向けて切磋琢磨している所なんです」
「えっと、この子が鼓で、私がベースの倉香っていいます」
「私がベースの盤子です」
律真は、彼らが何かに操られているようには見えなかった。
(見た所普通のようだが……)
それから黒いギターを抱えた有亜が鍵二の前に歩いてきて、
「そして私がギター担当として、みんなに腕を披露するんですよ」
自慢げに言った。
その時、鍵二は何か得体のしれないものに反応した。
そして、それが何かを推察するのに時間はかからなかった。違和感の源はギターだ。一見かっこよさそうなデザインに見えるが、その内部ではどろどろにもつれ合った音色が音を立ててよどんでいるのが目に見える。
(この気配……もしかして弦奈さんの!)
「そのギターはどこで手に入れたんだ?」
目が笑っていない。
「京子さんが私にくれたんです」
「京子さんはすごいですよ。私は調を越える演奏者に変えてくださったんです」
鼓たちの視線が異様なものに変わりつつあった。それまで普通の女子を装っていたが、まるで狂信者のような不寛容さに満ちた瞳を調に。
律真は京子をにらんだ。
「てめえ、こいつらに何をしやがった?」
苛立ちを露わにする倉香。
「京子さんに何を言うんですか? 私たちの恩人なんですよ!」
「それ、それ!!」 同調する盤子。
有亜の瞳が黒く染まっている。
鍵二は厳しい表情で、
「今の君たちはミューノイズに支配されている。それを恥ずかしいこととは思わないのか」
有亜は妖艶な瞳を浮かべて、
「違う。あの人は私の夢を叶えて下さったんですよ」
「おい鍵二、今すぐこいつを――」
京子は言った。
「まだよ。まだ戦うべき時じゃない」
二人とも、その色気ではごまかせない殺気で正体を知った。
「まさかお前が、俺と調に雑魚をけしかけたんだな?」
「あら、覚えていて下さったのね?」
ミューノイズは喜んだ声で言った。
「今、人間の便宜を図って京子と名乗ってはいますが、私たちの間では、『うるわしき狂騒』と知られていますの」
皮肉るように鍵二。
「詩的な名前だね。実態まではそう歌い上げる内容ではないようだが」
「何をおっしゃっているのですか。私は素晴らしい音楽をこの世に示したいだけなのですよ」
「てめえ、ぬけぬけとほざきやがって!」
「律真!」 しかし、つかみかかる前に、律真はうるわしき狂騒の口から発せられた怪音波をまともに食らい、弾き飛ばされた。うるわしき狂騒は腹を立てるでもなく、ただ冷淡な笑顔で律真を煽っていた。
「みんなの前で演奏会を開くその時に、ぜひ音色を聞かせてください。お願いしましたよ」
ポラリスのメンバーはうめく律真を見ても、大して心配しなかった。うるわしき狂騒によって精神を支配されているのは明らかだった。
苦しげな表情を浮かべながら肩をさする律真に対して、心配するように声をかける。
「大丈夫か、律真?」
「あいつらとの戦いではもっと危険な思いをしてきたんだ。これくらいなんともねえよ」
律真は深刻な顔だった。
「まさかミューノイズが人間の姿をしているとはな」
「彼らには音楽以外の力なんて通用しない。音楽で太刀打ちするしかないんだ。そしてそのためには調の力が必要なわけだが」
話していると、調が向こうからやって来た。
「どうです。やっぱりみんなはあのミューノイズのせいでおかしくなってましたよね」
「全くもってその通りだ。今すぐにあいつらを正気に戻すべきだ」
「だが僕達が演奏しても絶対他の生徒たちに止められるし、音代やミューノイズの力に巻き込んでしまうだろう。だからあの演奏会の時を狙わなきゃ」
「ちっ、あいつを今とっちめてやりたくて仕方がねえんだが」
「京子なんて名乗ってたが、実際の名前は『うるわしき狂騒』だそうだ」
「それが本名なんですか?」
「分からん。だが人間の音色をかき乱すあいつらのことだ、そういう名前を本質として持っているんだろう」
かき乱す音色を、彼らは名前として持っている。
音楽をそういう物としてしかとらえられないのだ。それは哀れむべきことかもしれない。だが結局彼らは敵なのだ。調は彼らに同情する余地を持たなかった。
「どんな名前を名乗ってようが、有亜をかどわかしている奴には私の演奏を叩きこんでやりますよ」
(うわ~、すごい!)
遠くからやや長身の女子高生が会話を盗み聞き、メモに彼らの発言を書きつける。
彼は篳篥寂乃といい、学級新聞を作っていた。それで学校の色々なことに取材して常にメモを取っていたのだが、ちょうど寂乃には思い当たることがあった。
(最近、音楽で何かと戦っている人たちのことが都市伝説として話題になってるけど、もしかしてそういう人たち? これは探らないと……!)
◇
弦奈は幾分か演奏の腕を取り戻していた。しかし、半分だ。
弓刃がそれを心もとなく眺めていると、壁際、机の上の黒電話が鳴り響いた。
「鍵二さん?」
「大変だ、弓刃さん。弦奈さんの片方の力のありかが分かったんだよ」
弓刃は立ち上がって、驚いた眼。
「それは一体、どこにですか?」
「調ちゃんのクラスメイトが持ってるギターにさ。あれは人が作ったギターなんかじゃない。ミューノイズが人間から奪った音を混ぜて作ったギターなんだ」
弓刃は居ても立ってもいられず、こう尋ねる。
「そのギターをどうやったら壊せますか?」
鍵二は、相手がやりかねない人間であることを知っており、やんわりと言おうとして、
「金手高校に持ってる人がいるんだが……」
「私も行きます。このようなことに首を突っ込まないわけには行きませんから」
鍵二は慌て、
「いや、でも君は学校には招かれていないじゃないか」
こうなると、弓刃は本気だった。鍵二は鶴舞姉妹の妹が短気であり、御しがたい人間だと知っていた。
「お姉様のためですもの。どこへでも飛んで行きますわ」
だからこそ、鍵二は何とか説得しようと。
「悪いけど、彼らの始末は律真と調と僕がつける。弓刃さんは、弦奈さんが音色を取りもどすかどうか、待っていてほしいんだ」
「全く……私はミューノイズと戦いたいのに」 口をとがらせる妹を見て、姉は不安げな瞳を浮かべていた。




