Session.10 輝煌燦爛ペネトレーション
鍵二は別の意味で女子からの受けが良かった。
女子高生がもじもじしながら、
「あの、鍵二さん、あとで一緒に写真を撮ってくれませんか?」
「おいおい、僕は教師だよ?」
律真が進んで男子たちの指導を行っていた。
厳しそうに見えて、気に入った人間に対しては割と親身だった。
音代としての力を行使する時以外のギターの音色は、意外と穏やかだった。たまたま、そういう姿を目にしただけだ、と調は思おうとした。この男はまさに男の害の部分を強調した存在であることに変わりはないのだから。
「律真さん厳しそー」
女子の間から笑い声が響いた。
しかし二人とも気が気でなかった。彼らの音色がかかっているのだ。もうすぐ、あの女との戦いを始めなければならない。そしてその女は、ずっと不敵な笑みを崩していないのだ。
廊下の掲示板に大々的に張り出された貼り紙には、午後三時から有亜の演奏が始まることになっていた。
京子が歌を歌い、有亜が弾く。だがその本当の目的は、この学校中の人間の音色を吸い取ることだ。
問題なのは、それをどうやって防ぐか、ということだった。
昼休みの時間、三人は誰も目につかない校庭で会議を開いた。鍵二は女たちの誘いを振り払うのに必死で、『もてるというのも良いことばかりじゃないな』と律真はぼやいた。しかしもう、鍵二は軽口をたたくことに気力を浪費はしなかった。
「有亜と『狂騒』が二人きりで待っている所を狙う。だが敵はミューノイズだ。何をされてもおかしくない」
「第一、お前の使う楽器は持ち運びできないんだ。それを使えない時だとただの足手まといじゃねえか」
律真は静かに言った。
「知識という武器があるさ」
ギターの入ったケースを指先でいじりながら、心細げな顔をしている。
「有亜を傷つけるのが怖いのか?」
「い、いえ! ただ……ミューノイズから人を解放するというのが、初めてなものですから」
「別に特別なことをするわけじゃない。普通ならミューノイズは音色を奪うが、今度は他人の音色を流し込まれた奴から、その音色を洗い出すってだけだろ。要するに、あのギターを破壊すればいい」
律真は、簡潔に物事を説明しようとしている。
「みんなの前で戦うんですか?」
「そうするしかねえだろ。ミューノイズのことを多数の人間に知られていいのか不安は残るが、少なくとも『うるわしき狂騒』を倒さなきゃいけない」
そのまま、覚悟を決めた様子で言った。
「ミューノイズは奴らに自分たちの音色を聴かせるためなら何でもする。奴らは音楽を理解しようとしているつもりではいるんだろうが、少なくとも俺たちの望んでいるものとはかけ離れたものだ。だから戦わざるを得ない」
京子の表情が険しくなる。
「奴らの気配を感じる」
『宵闇の黄昏』を携えた有亜が励ました。
「心配ないわよ。今の私は十分強い。調なんて物の数じゃない」
「律真と鍵二もいる。彼らは音代の中では特に厄介な連中よ。あいつらには私も可愛い音色を台無しにされたもの」
「両方まとめて始末してあげるよ。さあ、みんな集まって!」
京子は笑いながら言った。
一階の多目的室にぞろぞろと人だかりができていた。
誰もが静止し、そして演奏が始まるのを待っていた。だが決してそれを制止させずにはいられない二人がいる。
「割とこの学校も複雑な作りだな。理科室と多目的室が繋がっているとは」
机に実験器具の置かれた部屋を二人は歩き回っていた。
「まあ、元々は別々の部屋だったのを無理やりつなぎ合わせた物ですし」
「よほど改築を経てきたらしいな」
正直、調もこの学校の歴史をよく知っているわけではない。
律真はドアノブに手をかける。
「もうすぐ時間だ。裏から入るぞ」
扉を開いた。そしてその奥は――雑音だった。
ノイズが響きわたった。それは黒い霧の形をしておりつむじ風のように二人に吹き寄せた。
「うおっ……!」
もはやそこは調の知る学校ではなかった。暗くなり、白や緑の壁と床が紫と黒に変色している。
「ひょっとしたら、時間の流れも遅くなってるんじゃねえのか?」
周囲には、蓋の開いたトイレがあけっぴろげに散らばっている。
明らかに、人間界を上辺だけ理解して見様見真似で作り上げたようにしか見えなかった。
<まるで、悪夢の光景だ> 鍵二が反吐でも出しそうな声を挙げている。
「夢ですよね。この現実じゃない感じ」
<よし、聞こえてるね?>
「ああ」と律真。
<あまりピアノは弾きなれていないんだけどな。ここ何年もチェンバロばっかりやってきたから。だが、この期に及んでは仕方がない。このリフで君たちを支援する>
「ありがとうございます」 調はこの伊達男をとても頼もしく思った。
彼らは進んだ。
とつぜん壁から穴が開き、けたたましい音色が波のようになだれ込んできた。
すぐ手前にあった階段を上り、何とか逃げ延びようとする二人。
「この音、まさか――」 しかし、それは聞き覚えのある音色だった。悪寒がする調。
急にセピア一色の、さびれたショッピングモールだった。
「迷宮みたい……」
「いや、もっとたちのわるいやつだ」 すかさず言う律真。
照明がちらちらして、火花を散らす。今や人間の心を犯す音色と化した火花の一つ一つが、調と律真の服やズボンをかすめる。
「くそっ! 幻覚の上に音色で攻撃するのかよ!」
鍵二がすぐに、
<心配するな。もしかしたら僕の音色でその幻を止められるかもしれない>
――剣や槍を空に向けて刺したような樹木が集まり、しんしんと潜まり返った森。ある洋館の薄暗い地下室。その床の奥には灰が撒かれている。
洋館の主人たる少年がピアノを弾くと、灰が自然と巻き上がってその中を乙女たちが立ち上り、主人に一礼を捧げる。
彼らの目的は、少年のために戦うことだ。この森少年を守るために。
少年は知っている。敵も侍女たちと同じく、灰でできた存在だということだ。
ショッピングモールだと思っていた空間が廃工場になり、砂地になり、そして木ともコンクリートともつかない謎の質感で覆われた通路になった。
そこには仲間たちがいた。
盤子がいた。長い髪で目つきは分からないが、口元からは彼らしい表情が消え去り、まるで石膏像のよう。
「盤子……」
北極星の仲間たちがこうして忌まわしい雑音の傀儡となっていることに調の心は痛んだ。しかし、今は彼らの音楽がかかっているのだ。
鼓がドラムを激しく打ち鳴らすと、地面から衝撃波が生み出された。
衝撃波は光を灯し、あたりにぎらぎらした音色を響かせる。
しかし二人に下がる選択肢はなかった。
律真は臆さず走り続けた。調は冷や汗を流しながら必死でその後を追った。
鍵二の声がすぐ側にいるかのように響く。
<どうやらミューノイズの力を持たされてるらしいな>
律真はずっと近い所に彼らがいると思っていたが、まるで道が引き延ばされているかのようになかなかたどり着けない。
(空間がねじ曲がっている!? 奴の能力か)
倉香の音色が曳光弾のように向かって来た。
調は、自分の力をぶつければ彼らを傷つけるのではないかと恐れた。後ろを振り向きつつ律真が叱咤する。
「引くんじゃねえ!どうせ覚えちゃいねえんだ!」
倉香のベースの音色が着弾し、床にひびが入る。
盤子が鍵盤を激しく叩くと、そのキー一つ一つから銃身のような音色が立ち上り、銃弾のように発射される。
調はそれを回避するだけで精いっぱいだった。
(やるしか、ないのか)
調は、鍵二の奏でるメロディに合わせて、リフを響かせ始める。
調の音色が熱気を帯びる。
ポラリスの流れ星が容赦なく吹きすさぶが、調と鍵二の音色の前にはなすすべもなく溶かされる。
調の音色が研ぎ澄まされた槍と化し、律真の荒々しい旋律も空間の中に凝固して獣の牙のように弧を描く。
「今から一気に解き放つぞ!」
「はい!」
倉香は、依然として表情の読めない無機質な表情を浮かべていた。
歌もなく、ギターもないポラリスの演奏はひどく無機質だった。その上、禍々しい不協和音を勝手に混ぜ合わされ、ひどくねじけたものにさせられている。だが、そうしてしまったのはあのミューノイズだ。倉香たちに罪はない。
「おらぁ!」
二人の旋律が最高潮をむかえ、彼らの前で響き渡った。
「盤子、ごめん!」
白熱する槍が轟音となり、盤子と倉香を弾き飛ばした。鼓も律真の牙で全身を打たれ、姿勢を崩しそうになった。
が、それでもかろうじて力を振り絞り、ドラムに寄りかかろうとする。
<ここからは末興楽だ>
鍵二のリフが、それまでとは異なった調子に転じて行く。
――侍女たちは敵の怪物を次々と灰に返るが、彼ら自身も猛攻の前に力を失っていき、元の灰に戻っていく。
そう……侍女はみな戦い、守るための傀儡に過ぎない。誰もがその運命を最後まで受け入れている。
鼓は両手で頭を抱え、倒れ込んだ。調はやや罪悪感を覚えた。ミューノイズではない普通の人間だから、あくまで音に圧倒されて命まで奪うことはない。とはいえ、普通の人間にも十分暴力的だ。音代の力が、我ながら恐ろしく思える。
鍵二は、ピアノの音色を通して見えるその光景に、申し訳なさそうなつぶやきを漏らした。
<女の子たちにこんなことをするのは趣味じゃないが、今となっては仕方あるまい。スクーザテ>
「恩に着るぜ、鍵二」
<僕が君を助けなかったことがあるかい、アミーコ?>
鍵二がわずかに猫なで声を聞かせた。
「ふん……」
律真も、まんざらではなさそうな雰囲気だ。
調は、やはり彼らには単なる友人以上の親しさがあるのではないかと思ったが、今はそんなことを考えている暇ではなかった。
盤子たちを通り過ぎて、奥に会った扉を蹴倒すとそこに有亜が立っていた。
「来たんだ、調」
有亜は黒いギターを抱え、待ち構えていた。
その表情は、矮星となった北極星だ。元の輝きなど闇の中に捨て去ってしまっていた。
こんな表情をする人間ではない有亜が、こんなにもらしくない姿を見せているのが、調にはひたすらに辛かった。
調は言った。
「お願い。元の有亜に戻って」
「嫌だ!」
叫ぶ有亜。そこから次第に激情を抑え、冷えた瞳でにらみつける。
「私はなりたい自分になれたんだ。ずっとあんたのことが気に入らなかった……私はあんたを蹴落としてその座を占めたいと思ってきた。それをあの人がかなえてくれたんだ」
こんなことを本心で言っているはずがない。調はそう確信していた。
「有亜は自分でそんなことを言ってるんじゃない。ミューノイズがあんたにそんなことを言わせてるんだよ」
「違う。この子自身が望んだことなの」
後ろから有亜の両肩を抑え、
「てめえが『うるわしき狂騒』か?」
「あら、名前を覚えてくれていたのね。ありがとう。でも、そんな声で私を呼ぶのもままならないようにさせてあげる」
有亜は上ずった声を揚げ、リフを鳴らす。
「響けっ! 怒りの調べ!!」
最初の音が鳴った時からその威力はすさまじかった。床がめくれ上がり、うず高く盛り上がって破片を飛ばした。
調はすんでの所でそれを回避した。
床がめくれた跡からはよどんだ音色が何かを煮るようなうなりを揚げ、漆黒がのぞいでいる。
調の背後で律真のうめき声が聞こえた。
「律真さん!?」
音の破片をいくつか浴びたらしく、律真の顔に傷がついた。その傷からは、ささやかにギターの音色が漏れ出ている。
「俺に構うな! 奴を止めろ……!」
白い女は微笑を崩さず、有亜の背後にたたずんでいる。
「すごい! すごいよ……私のリフ!!」
「さあ、行きなさい。」
自分がしたことに興奮する有亜。
「ふざけるな!」
調は怒鳴った。こんなことに巻き込ませるなんて……!
思わず我を忘れ、戦いに駆られそうになった時、鍵二が真剣な声がすぐ耳元でささやく。
「律真は僕の音色で治療する。君は有亜との戦いに専念してくれ」
調はその声ですぐ立ち返った。
(そうだ、私は自分のためだけに戦うべきじゃない。律真さんも、鍵二さんも……この学校のみんなの命運はかかってるんだ)
「……はい!」
「さあ、どっちが北極星にふさわしいか決めようじゃないの!」
有亜が再び演奏を始めた。
――どこか遠い宇宙、虚空の中心に浮遊するある神殿。たった一人の少女が、半透明な冷たい床の上に立っている。
私は幾多の試練を乗り越えて、ついにこの力を手にするに至った。誰にもこの力は奪わせない。
有亜の演奏は、単なる盗品でしかない。
それを自分の物だと思って誇る有亜ではないはずだ。けれど、もし有亜がそうなら、調は激怒した。
――その神殿に至るまでに多くの仲間が倒れ、散っている。だが、誰もが命を落としたわけではない。息も絶え絶えながら何とか立ち上がり、その冷たい背中に何とか一喝を加えようとする者がいる。けれど舌を動かす気力もないのだ。
違う。あなたにはあなたの道があるはず。
演奏同士がぶつかり合い、激しい火花を散らす。壁がゆがみ、えぐれた部分からさらにひびが走る。
振動の中をなんとか立ち上がり、律真が二人の戦いを遠くから垣間見る。
(何て強さ……調が押され気味だ!)
調が激しい感情で自分を奮い立たせているが、それが長続きしないのは明白だった。
あの白髪の女を倒さない限り、いつまでも有亜のギターには音色が供給され続ける。
(だめだ! 調と有亜の音色に阻まれて近づけやしねえ)
<伏せろ、律真――>
鍵二が言い終わる前に、うるわしき狂騒が口を開いた。
それは歌というより、嵐だった。




