Session.11 黄昏の音色はよどみ
吹き飛ばされた律真。
鍵二の演奏が止む。しかし調だけは無事だった。ギターを脇で手挟み、両方の耳を塞ぎながら。
「まさか……鼓膜を破ったの!?」
ほんの短い驚きの後、哄笑する有亜。
「ははっ最高じゃん!! もっと私を楽しませなよ!」
しかし、これは諸刃の剣だった。調はうまく演奏することができなかった。
(音色を聞かない……だから聞かないのね!)
『うるわしき狂騒』は舌打ちした。音を感知しない人間に、音の攻撃が通用するはずもないからだ。
だが、音を理解できない状態に陥った者が、音に力を込めることもできまい。
「まだ慌てる必要はないわ。私たちには待つ、という手段がある」
有亜は調をどうしてくれようかと思った。だがその時、またあの葛藤がまた蘇ってきた。
調に対して、こんなことで勝りたいと思っていたのか。
こんなことをすれば鼓たちが喜んでいると思っているのか。
違う。この人が考えてくれることだ。人間よりも遥かに音に対して鋭い感覚を持っているこの人の響きに従えば――
調はゆっくりと歩き続けた。
狂騒は、叫びをあげた。
音の刺突は、律真の周囲で砕け散った。鍵二の演奏による効果がまだ続いていたからだ。その間にも、調は歩き続け、
「避けて、有亜!」
有亜の逡巡は、突然の痛みで中断された。
「な……」
調の拳が、有亜の頬にめりこんだ。
有亜は驚いて、後ずさった。
そして、激痛に表情をゆがめた。
「有亜じゃないよ! そんなの!!」
狂騒の歌声が轟き、吹き飛ばされそうになった。だが調は何とかその位置でもちこたえ続けた。
「歌でしょう! そんな奴の誘いに乗られて、勝手に人の才能を奪ってんじゃないよ!!」
調は有亜を殴ったことへの不快感で、吐きそうになっていたが、それでも叫ばずにはいられなかった。
有亜は、顔を赤くして調をにらみつけながら、低い声でつぶやく。
「やめろよ……」
それから歯ぎしりした。調には、有亜が自分自身の不甲斐なさに腹を立ててもいるような気がした。
「私は……ただ……ただ……」
狂騒は震えた。ただ、怒りだけではない。
(どういうことなの? 私はこの子のために尽くそうとしているだけなのに……!)
何かが起きているということは、実の所外にいる人々にも伝わっていた。
しかし、窓から部屋の中を覗き込もうとしても、霧のような靄に包まれ、全く様子が分からない。
しかし、いくら扉を開こうとしても、扉は固く閉ざされ、いくら力を尽くしてもびくともしなかった。
「おい、これ、何が起きてんだ?」
「知らねえよ! つか、窓も闇に覆われてるし……」
「つか、鍵二さんはどこにいるんだ? ピアノの調律をするって言ってから全然姿が見えないんだが」
音代だけではなく、誰もが不安に駆られていた。
鍵二はまずいぞ、と思った。
周囲には単なる演奏のように見せかけてはいるが、予想外に戦闘が長引いている。
鍵二の音色は、調と律真に対しては、基礎的な戦闘力と防御力の向上という効果があったが、。
狂騒も、この戦いが外の人間に見られないように、雑音の砂嵐で会場の周囲を覆い、事態が知られないようにしている。
鍵をかけていたのは、仕方がないことだと自分に言い聞かせていた。
「始めたまま、姿が見えないんだ」
生徒たちが戸惑いの目で。
「何、この音は……!?」
扉をばんばん叩く音が聞こえた。鍵二は苛立って叫んだ。
「黙っててくれ! あともう少しなんだ……」(調、律真、あと少しだけもってくれ!)
有亜は動揺していた。そしてついにギターを落とした。
「私は、こんなことをしたくて京子さんに従ったわけじゃない。私は……ただ今を変えたくて。こんな自分から逃げ出したくて――」
「どうして? 私には悪意なんてなかったのに……」
先ほどの衝撃から立ち直り、気炎を吐く律真。
「うるせえぞ、ミューノイズ! てめえが有亜をかどわかしたことは何も変わりゃしねえんだ!!」
ギターを構え、苛烈なリフを奏で始める。
狂騒は後ずさりしながらも、なお居丈高に有亜に命じる。だが、有亜は立ち止まったまま、忸怩とした表情を変えようともしない。
「さあ、彼らを止めなさい!」
調は有亜の目の前に立ち、こう言った。
「北極星は一つかもしれないけどさ。でも、自分だけは自分自身の北極星じゃなきゃいけないんだよ」
(そろそろ、鼓膜が回復してみたい)
調は数歩下がり、改めて告げる。
「さあ、どうするの。私はそいつをぶっ倒さないといけない」
「何を言うの!」
有亜はなかば怖気づいた顔で演奏を始めた。有亜のギターが一層濃い闇に包まれ、
まるで人がギターを弾いているのではなく、ギターが人に弾かせているかのような禍々しさ。
床に衝撃波が走るが、調はそれを素早い身のこなしで回避した。
律真の音響支援がまだ続いているのもあるが、有亜を助けたいという願いが調にそれ以上の力を与えた。
(思い出してよ、有亜。色々あったじゃない)
もはや有亜は才能を与えられて無邪気に喜んでいる子供ではなかった。才能に使われているだけの奴隷だった。
狂騒が再びあの歌声を発した。
強風が巻き起こる。しかし調は屈しない。
(あの女は倒せない。倒す必要なんてない。大切なのは、有亜を元に戻すこと)
調のギターを中心として白熱が起き、あたりが急速に熱くなっていく。
その熱が苦い味となって、狂騒は喉の奥が枯れたように痛くなった。この音代が一体どれだけの力を秘めているのか、狂騒には見当もつかない。
(ふざけるな……六条調)
だが、どう思われているかなど調の知る所ではない。
後ろを振り返って、手短に叫ぶ調。
「律真さん……お願いします!」
調の望むことを律真は瞬時で理解した。
調と律真のリフが融合して有亜のギターに向かって行った。
そして黒いギターが砕け散った。甲高い悲鳴をあげる有亜。
「ああ……『宵闇の黄昏』が……!」
狂騒は顔を引きつらせ、嘆きの叫びに歪む。
(どうして。どうして、あなたたちは私たちの邪魔をするの)
有亜がもしかしたら響かせてくれたかもしれない音色をこの世に表すことは、もう二度とかなわなくなった。
狂騒は、自分の悲願を邪魔した音代を――調をひたすらに恨んだ。このもくろみが無惨にも失敗した今、もはやここに長居は無用。
「どうやら、私たちの音楽ができあがるにはまだ時間がかかるということね」
狂騒は吐き捨てた。そして騒音を揚げながら透明になり、虚空に消えて行った。
有亜は人事不省となって立ち尽くしていた。
まず有亜の元に駆け寄って来たのは鼓だった。
「有亜! 一体、何があったの?!」
他にもポラリスのメンバーが続々と押し寄せた。
生徒たちは無論、訳が分からなかった。ずっと部屋の様子が分からないと思っていたら、突然霧が晴れ、中に三人がいたのだから。
もう異常など何もない、普通の部屋に戻っていた。
有亜の他には、律真と調だけが、激しい戦いの余韻に浸かって、ぐったりと床に腰を下ろす。
「ねえ、調。さっきまで、何をしてたの?」
調は、何も言えなかった。
信じてもらえるわけもない。
「いや、どうしてあんなことをしてたんだろう。どうして、あんなひどいことを言ってたんだ……」
倉香も盤子もばつの悪い顔を浮かべ、ほとんど調を正視することもできなかった。
「私も。あまりに恥ずかしくて、どうやって謝ればいいのか……」
逆に申し訳ない気持ちになったのは調の方だ。
「ごめん。まさか、何をしてたのか覚えてるの?」
倉香がおずおずと答える。
「うん。でも別人みたいに……調のことを嫌いになってた。そんなこと思っているわけもないのに。どうして、何があったの……」
それから、有亜の方に向き直り、
「あ、有亜。だいじょぶ?」
有亜は黙っていた。ただひたすら、憤懣やるかたない様子で立ち尽くしていた。その奥にうずまく感情から一体何をひねり出せばいいのか、
「……ふざけんな!!」 大音声をあげたきり、走り去ってしまった。
調はどうしたらいいか分からず、立ち尽くしてしまう。しかしそれはここにいた一同が同様に見せた反応だった。
「俺達は一体何をしていたんだ……?」
生徒たちは、皆、あっけにとられていた。
「あの女の子は、誰だったんだ……?!」
調は、どうすればいいか分からなかった。
まさか、ミューノイズがこの学校に入り込んで悪さをしていたなどとは、信じてもらえるわけもない。
律真は顎に指を沿わせながら、気まずい表情で彼らの様子を観察している。彼は全く、事態が一件落着したとは思っていなかった。
「困ったな。余計、厄介な状況になっちまったぞ」
鍵二はほっとしたように言う。
「いいじゃないか。あの女の野望は止められたんだから」
「それで済ませて良いのか? どうもポラリスの面々は操られていた時の記憶があるみたいだぞ」
ミューノイズのことを世間一般に知ってもらいたくない律真にとっては、ここからの後始末をどうすればいいか見当もつかず、途方に暮れた心境だった。
「しかも有亜はどうも完全に操られていたわけではない。あれはひょっとしたら半分本気だったのかもしれん」
「じゃあ、あいつはあの女と結託して俺達を苦しめようとしてたってことか?」
しかし、会話を十分に続けることはできなかった。
「鍵二さん。なぜ三階の演奏室に鍵をしていたのですか?」
「いえ、つい! 調律が長引いたものですから」
鍵二は言い訳するのに手間取った。
調はぐったりとした。
長い戦いで疲弊していたにも関わらず、この後もいつも通りに授業が続いたからだ。誰もがあの一件について釈然としなかったが、とにかくいつも通りの日常を進めることとなった。
しかし、有亜は放心状態で、ほとんど授業に身が入らなかった。
放課後になって、調はどこに行ってしまったのか探した。そして、教室に一人で立ち尽くしているのを見つけた。
調は、有亜に対して臆することなどできなかった。きちんと彼自身から全てを聞きたかった。
「ねえ、有亜。もしかして、あれはあいつに操られてやってたんだよね?」
「……違うよ。私が自分から進んでやったんだ」
「あのギターはあの女が渡したんでしょ?」
「それは……」 有亜は、調の顔を直視できそうになかった。
「まだいたのか、お前ら。鼓たちが待ってるんだぜ」
いつの間にか、入り口をふさぐようにして律真が立っていた。
「り、律真さん」
「そいつはミューノイズにかどわかされたんだ。そして、ある程度はそれを受け入れた。どうしてくれようか……」
慌てる調。
「ま、待ってください。有亜は悪くないんです。あの女が――」
「私が悪いんだ。悪いに決まってる」 投げやりにつぶやく有亜。外では地面を走ったり、球を打ったりして、部活にいそしむ生徒たちの声が聞こえる。
鍵二が後ろから、
「待てよ。この子はまだ本当のことを話せる状況にないんだ。もう少し時間が経ってから聞いてもいいんじゃないか」
「俺が気にしてるのは、ミューノイズは勝手に音色を吸い出してるだけじゃないってことだ。奴らは人間を誘って力を与えている。ならまた同じことが起きてもおかしくない」
律真は警戒していた。戦いの規模が、さらに広がっていくことを。しかし、そのことまで告げることはできなかった。
急に、もう一方の扉から鼓が現れた。
「ああ……有亜! ここにいたんだ!」
そして、他のメンバーたちも。
「ごめん! 本当に!!」 そしてまた、調への謝罪が始まった。
(やれやれだ) 溜息をつく律真。
彼らの謝罪の波によって、調たちは結局、真相について話す機会を逸してしまった。
◇
再び闇夜の中。
狂騒は、しばらく地面の上を苛立った足取りで歩いていたが、憤りのままに壺を蹴倒した。
これまでに貯めてきた音色が流れ出た。
「何てもったいないことをするんだ」
『ざわめく静寂』がなだめるように言った。しかし、狂騒のあまりに優雅さを欠いた行動への不快感を隠すことはできていなかった。
「こうやって当然よ。何せあいつは急に私を裏切ったのよ。あの土壇場で」
狂騒は言った。
有亜に対しては、彼は深くその才覚を評価していた。向上心と、調への対抗心が合わさって誰にも負けない音色を生み出せるものだと信じて疑わなかった。だからこれまでの音を尽くして賭けたのだ。
その神田有亜が自分から才能を放棄するなどとは!
「あの子を惑わせたのは……暴力よ。人間が行使するもっとか愚かな手段。あの音代は、よりによって暴力で有亜の心を折ってしまった」
狂騒は、六条調を憎んだ。有亜の味方のような面をしておいて、彼が優れた演奏家として覚醒する道を台無しにした音代を憎んだ。
「へ~ぇ、音代にもそんな変わり者がいるんだぁ」
快活としたソプラノの声。
「いい所で失敗しちゃったようだねぇ、『うるわしき狂騒』さん!」
背中から羽のように伸びた銅鑼をはばたかせ、少年が飛び回っていた。
「あの子が悪いのよ。あの子が惰弱だから自分の才能を砕いた……!」
少年は、恨みつらみに満ちた狂騒の顔を嘲笑するように見下ろす。
「へぇ。でも、僕は失敗しないよ。何せかわいい玩具がいっぱいあるからね!」
静寂は、眉をひそめて。
「大した自信だな、『さまよえる旋律』」
少年の背後には巨大な人形がいくつかあった。そのどれもが、ひどく歪つで、ありあわせの部品を適当に組み合わせたような様相を呈していた。
「今度は僕に任せてくれよ。とびっきりの音色を抽出してやるからさ」




