Session.12 古都に乙女の響きあり
金手市の象徴たる音の台に、褐色の肌の少女は圧倒されていた。東の金手市にこれほど大きな建物があるとは知らなかった。
少女は背が高く、四肢は細くも太くもなかった。体格としてはバントゥー的精悍さがあるが、同時に日本人としての顔立ちの造形も頬や目元に現れている。
額に深緑のバンダナ、目元にアイシャドウをきかせていたが、決してけばけばしくもなく、ちょうどうまいくらいにつり合いが取れている。
少女は紙の地図を広げながら道を進んでいた。
このあたりは再開発が進んでいるので、一週間くらいで街並みが変わってしまうのである。音の台が目の前にあるのだから間違った道に外れているわけはないが、どうしても生来の方向音痴が邪魔をする。
地図を見ても埒が明かないと判断した少女はたまたまそばを通りかかった者にこう尋ねる。
「道を教えてもらえません?」
「ええと、Would you - 」
相手がたどたどしく英語で答えようとすると、少女は眉をひそめ、はっきりと不快感を表明し、
「すみません。私は日本人なんで! 日本語で説明お願いします!」
相手は面食らった表情を浮かべた。こういうことがあるたびに、少女は腹が立つ。
日本語を話す人間が黄色人種だけに限定されているとでも思っているのだろうか。
これだから純血の日本人は困るのだ。せっかく社会から注目されてこなかった人々の存在が表に出てきているというのに。
薙内木枝は大阪の女である。
彼が目指していたのは、鳧鐘町に位置する鸞鏡亭というラーメン店だ。金手市名物、奏麺を食べたいと思っていたのだ。
主人は二十年ほどここに住んでいる中国人であり、日本語も達者だった。
奏麺の汁は醤油味が濃く、その上には音符を描きこんだなるとがいくつも載っている。
塩辛いくらいがお気に入りの木枝にとっては実に素晴らしい味わいだった。
ちょうどその露に酔いしれていた時、天井の隅に設置されたラジオから、この街でもっとも有名なシンガー、島沢久米次の声が響き渡る。
「ラジオネーム、パンクパンサーさんからのお便りです。最近、不思議な現象を体験した、とのこと。ほう、何でしょう?」
彼は流暢な活舌で、投稿内容を紹介した。
「とつぜん町中で演奏を披露している人が増えているそうですが、そういう人に実は私も出くわしたことがあるんです。あれは仕事の帰りのことでしたねえ……急に耳鳴りがして、音楽がノイズに聞こえてきて、。どんどん不安な気分になっていたら、いきなりギターを弾かせながら駆けてくる人がいるじゃないですか。よく分からなかったのですが、その人のギターを聞いた途端、何か幽霊みたいな物が私の体に絡みついているのが見えたんです。私は悲鳴をあげようとしましたが、なぜか音がゆがんで、小さい声しか出ませんでした。でもその時、ギターの音が響いて幽霊の体を切り裂き、何とか自由になりました。ギターを持っていた男の人は、『さっさと逃げろ、このゲス!』と叫んだので、私はすぐ逃げて、何とか一難を去ることができました。……一体、あれは何だったんでしょう?』」
久米次は数秒程間をおいてから、
「ふむう……不思議なこともあるものですね! 幽霊……私は霊感がないので、それでは次のお便りです! ……」
不自然なくらい、あっさりと流す。歌以外のことは興味がない様子だ。
麺をすすりつつも、もう木枝の関心は奏麺からラジオの言葉に向いていた。
(うちらの存在がだんだん知れ渡っているということやな)
木枝は、そのギター男の正体を知っていた。
木枝が金手にやって来た理由は他でもない。音代がもっとも集まっているのがこの街だからだ。
ミューノイズがこの世界に現れ始め、約一年が過ぎようとしているが、彼らの目撃件数が最も多いのはこの場所だった。
音楽の街である以上、その音楽を乱そうとする者に狙われるのは当然のことだろう。
標識を頼りに、ようやく待ち合わせ場所に来ることができた。
道路の、目印である笛をくわえた梟のオブジェの前にたどり着いた。果たして、待たせていた仲間はそこにいた。
「お久しぶり、木枝はん!」
木枝に声をかけたのは和装の女性だった。木枝は表情を明るくして、
「軸っち!」
二人は抱き合った。
大和撫子は柱軸実という名前だ。
「元気にしとった?」
「うん……」 軸実はやや涙もろそうな顔に。
「私がおらんとすぐ寂しがり屋になるんやから~!」
しかし、こうやって時間はあまりない。木枝はすぐに本題に入った。
「金手っていうのは音代が多いと聞いたんやけど、どう? もう何人か会った?」
「いや、音代ちゅうのは正体を隠していることが多いさかい、なかなか会おうと思って会える人とちゃうんや」
肩をすくめ、上を向く木枝。
「金手でもそうならなおさら私らが見つけるのは難しいんとちゃうか?」
失望させないように、すぐ目ぼしい情報を教える軸実。
「ああ、でも気になる人は見つけたで」
「え、詳しく教えて?」
「なんでも金手高校って所でミューノイズが現れたそうやねん。それで音代に撃退されたっちゅう話なんやけど、それ以上のことが分からへん。最近は音代に覚醒したもんが増えとるさかい」
気になったことには何でも首をつっこまずにはいられない木枝は、
「う~ん、匂うな! さっそく生徒の人たちに聞かな」
木枝はこうなったらいよいよ止まらない人間だと軸実は知っていた。
「いやいやいや、いきなり学校に入ろうとしたらあかんて!」 慌てて諫める軸実。
「でもどうすんねん。音代同士で連絡を取り合うのが肝要……ん?」
石の塀の上に座って、少女がギターを鳴らしていた。
演奏が終わると、軸実と木枝は自然と拍手した。
倉香は見慣れない姿にややまごついたが、すぐに笑顔を見せて、
「倉香って言います。バンドをやってて」
「へえ……」
「どんな名前なん?」
「ポラリスっていうんです」
反応する軸実。
「え、ほんま? それって『金手日報』に載ってたインディーバンドの……」
「ご存じなんですか?」
木枝は軸実の肩に手を載せ、
「この子は金手に一か月くらい滞在しとってな。この街に興味津々やねん。それで私は今日ちょうどここに来たさかいな、一緒に見て回っとるんよ。で、今弾いとったのは何なん?」
「『夢の彼方へ』……島沢久米次さんの歌ですね」
「さっき鸞鏡亭で聞いたわ。ラジオパーソナリティしとったな」
「ギター担当の子があの人の大ファンなんです。実はあの人にじきじきに稽古をつけてもらったんですよ」
「おー、めっちゃいい人やん! そりゃめっちゃ会って見たいもんやな。所でアンコール、ええか?」
「い、いいんですか?」
倉香は喜んだ。いつもこういうことで注目を浴びるのは調の方だからだ。
そしてもう一度、演奏を始めた。
倉香の奏でる音が急にひどくゆがんだ。
「え?」
倉香は楽器に異常がないかどうか調べたが、どこにも見当たらない。
「すみません、もう一度……」
倉香の呂律が回らなくなっていく。
「来はったか!」
黒い人影の首からさびついたラッパが生え、ひどく低い音を発している。
軸実は笑顔だが、声ははっきりと怒っていた。
「ちょうどこんな時に現れはるとは、ええ計らいどすなあ!」
「あ、あれ……」 倉香が言い終わる前に、
「私が相手になる!」
琵琶を抱え、啖呵を切る軸実。
「木枝は逃げい。私一人で充分や」
「了解!」
倉香と木枝が敵から離れる間、木枝がどうしても今、尋ねておきたいことがあった。
「倉っち、もうちょっとお時間ええか?」
「は、はい」
倉香はやけに相手が気さくなので気おされたが、
「金手高校で怪しいことはあらへんかったか? 何か雑音が聞こえて、気が遠くなるような感覚に襲われたこととか」
倉香は迷った。あの時のことを教えるべきだろうか。
色々と鍵二から聞かされたのだ。
先ほど見た怪物が、前からこの街にうろついていることを。
そしてあれが音代であると。
「あの人……音代なんですよね」
「知っとるんか?」
「ミューノイズ、ですよね?」
「知っとったんかい? まあ、さっきの反応から分かったけどな。でもそれ、誰から知ったん?」
間違いなくこの褐色の女性は
「実は私のバンドのギター担当が、あの人と同じで、あいつらと戦ってるんです。そして一回、音色を救われたことがあって――」
木枝は驚きに目を見開き、
「それをまず言わへんかい! うちもちょうどその子を探してたんや!」
倉香がまごついている間にも、自分の要件についてしゃかりきに伝え続ける。
「何でも倉っちの所にミューノイズの女が入りよって、音色を奪おうとしたちゅう話を聞いとんねん。さかいに何としてでも生徒の子から聞かなあかん思ってたんやが――」
軸実とミューノイズは対峙していた。互いに何の音も出さずに、沈黙を守っていた。
(えろう巨体どすな)
その辺の雑魚に比べるとやや格上といったところか。しかし軸実にとってはこの程度の差は単なる虚飾に過ぎない。
ラッパのミューノイズは重力をゆがめた。地面が振動し始める。
しかし、軸実は決して動じることはない。
静かに弦を弾き、演奏を始める。
――白拍子が舞を踊る。それはこの世にありながら、この世から隔絶している美を誇り、うつろいゆく価値観から遊離している。
軸実の足取りもまた、軽やかで水のように滑らかにくねり、地面の振動にうまく乗じてまったくよろめく様子を見せない。
――あるいは琵琶法師。諸行無常だ。ただ、永遠ではないことだけが永遠なのだ。誰もが透き通った音色でその理を語っている。
ミューノイズは管を生やして音色を増やそうとするが、完全に自分自身の旋律と一体化している軸実には何ら問題にならない。
軸実の音色は、敵の音色を圧倒していた。青い稲光となって周囲を覆い、高低平かではない旋律に乗って波のようにうねった。
急激に軸実の目の前の空間の温度が低下した。
ミューノイズは凍り付いた。そして、無数の破片となって砕け散った。
「お後がよろしいようで」 最後に、あでやかな声で添える。
木枝と倉香はすぐ軸実の音に駆けつけてきた。
倉香から聞いたことをすぐに伝える木枝。
「軸っち、やっぱりこの子やねん。音代を知っとんのは」
「ほんまでっか?」 いぶかる軸実。
「あの……軸実さんも音代なんですか?」 倉香は問うた。
「せやねん。少なくともうちが知ってる中では相当な腕利きやで。特にあのバグパイプの音代にも勝るとも劣らへんくらいの」
「それほどまでありまへんて。木枝の方がさっきに音代になりはったんやから」
急に出てきた事実に驚く倉香。
「え、木枝さんも音代なんですか?」
頭をかく木枝。
「今いうなや~! こういうことはいざっちゅう時に告白することやろ!」
かっこつけたがりな木枝は、音代としての力をいざという時まで隠そうとばかり思っていたのである。
「音代について隠し立てしとったらあかん言うてたのは木枝はんの方やがな」
「まあ確かに、音色がかかっとることやからな、あんま見栄張ったらあかんな……」
うっかり倉香をおいて会話を続けていることに木枝は気づく。
そして真面目な表情で倉香に、
「音代はこの金手だけにいるわけやあらへん。ミューノイズもな。せやけど彼らが一番集中しているのがこの金手やねん。うちらはミューノイズが一体どこから来るのか、調べるためにここに来た」
「まだ……彼らの正体は分かってないんですか?」
不安な顔で、質問する倉香。彼の不安を晴らせるようなことを言えないことが、木枝は情なかった。
「皆目、分からん。せやけど、それを知るためにうちらはここにおるんや」
音代。不思議な力を持った人たちが、どんどんこの金手に集結してきている。一体それが何を意味するのか、倉香には見当もつかなかった。
戦闘の一部始終をのぞいていた者がいた。
建物の上に、子供と大人の姿があった。
「あっちゃー、やられちゃったかあ。まあいいや! 大してうまくできたおもちゃでもなかったしな」
腕を組みながら、羽を生やした少年が。
その横には、背の高い男の影。
「甘く見るなよ、『さまよえる旋律』。あの褐色の女からは特に強い気配を感じる」
「え、そう? 女の子一人を連れて逃げただけじゃん」
静寂は深刻な表情で。
「奴らの同胞は増え続けている。一体何が目的なのか分からないが……我々の音色を妨げる者は何が何でも排除せねばならん」
少年は意地の悪そうな目で静寂の顔をのぞきこむ。
「『ざわめく静寂』こそ人間どもの音色に飲み込まれちゃだめだよ。あなたは人間と交流してすっかりその一部みたいになっちゃってるんだから」
「いや、案じる必要はないさ。私は奴らから多くのことを学んだ。奴らに感化されない術もな。私の音色は強くなる」
「『うるわしき狂騒』にもそれくらいの根気強さがあったら調に負けることもなかっただろうになー」 他人事のように。
だが、狂騒のことについてもはや静寂は考えていなかった。あの少女のことがどうしても、頭から離れなかった。
(何としてでもその力の正体を突き止めてやるぞ……六条調)
旋律は静寂の目の前で露骨には示さなかったが、しかしひそかににやりとしていた。
(いくらでも、必死になればいいさ。あんたの音色をいつでも狙うからな)




