Session.8 Diminish Milky-Way
もはや有亜は調のことなど眼中になかった。
全学校は有亜を慕い、いつの間にか学校全体の北極星となっていた。
ポラリスのメンバーは皆有亜の演奏に夢中になっていた。そして京子を一員としてきちんと受け入れていた。
盤子だけは、まだその空気には溶け込んでいない。
有亜は、盤子が憂えを含んだ口元をしていることに気づくと、
「まだ……あいつのことを考えているの?」 鋭い視線で問いかける。
「違う……それは」
「だったら集中してよね。調はもうあなたの星じゃないんだから」
有亜は、冷たい瞳をしていた。以前なら、弱々しいけれど優しい光をそこに灯していたはずなのに。
宵闇の黄昏の音色には人々を操る力があるに違いないと盤子は察した。
そしてあの女の歌声にも。
その力が盤子は今度こそ自分もまた操られるかもしれないと恐れた。その恐怖を、調はそのままにしておけなかった。
意を決して、調は事実を伝えることにした。
「ミュー……ノイズ?」
「うん。ミューノイズ。あいつらのことをそう言うらしいんだ」
盤子はきょとんとした。彼は無類の特撮ヒーロー好きではあるが、現実にそんな名前の連中が存在するとはさすがに信じがたかったらしい。
「まるで……特撮の悪の組織みたいな名前」
「でも、本当なんだ。人々から音楽を奏でるための力を奪う、そんな奴らなんだ」
盤子が当惑していたのは話を聞いた直後だけだった。
調が一通り教えると、盤子は真面目な顔で言った。
「一緒に教えよう! 街の人に、そのこと」
しかし調は首を縦に振らない。
「だ、だめだよ。そんなことしても、信じてくれるわけない。大体私がそうやってみんなを助けた時も、周囲からはいきなり路上ライブ始めたみたいに思われたんだから」
「確かに、そうかも。でも今は私たちが、現実のファントムファイブなんだ!」
ヒーローにあこがれる盤子は、それでも。
「そりゃどうにかしなきゃいけないってのは分かるけどさ……」
盤子はそこで前髪を挙げて目を見せた。激しい表情ではないが、深く憤っていた。
「時間がない。元のポラリスに戻さなきゃ」
自分だけの問題じゃない――はっとした。
日常が破壊されている。取り戻してほしい人がいる。
調は、鍵二に会おうと思った。
きっとオルガンやピアノの設置された小屋を巡ればきっと会えると思ったが、なかなかその姿を見かけることはできなかった。それで調は、まだ鍵二とSNSのアカウントを教え合っていないことを後悔していた。
もう今日は諦めようかと思っていると、横にあった駐車場の電光掲示板がいきなり黄色く光り始めた。
そして、予想通り彼の姿が、今度は簡素なドット絵で表示される。
「お久しぶり~、でもないかぁ」
「うわっ!」(何これ、ストーカーみたいじゃん)
やはり少し君の悪さを覚えてしまう。
「えっと……調さんのスマホに宿り続けるのは悪いと思って、みんなのスマホとかスピーカーに宿ってたんだぁ」
「それ大丈夫? また疑われたりしない?」
「ちょっとだけ電気を集めただけだよ~!」 ごく数色しか使っていない、簡素なドット絵のせいで、感情がうまく伝わって来ない。
調はまだ好感を抱けなかったが、少なくとも素直に気にかけてくれる人がいるというだけでも十分ありがたかった。
いや、ありがたいか?
調が何とも微妙な気分になっていると、よっと! と紐奈は電光掲示板から飛び出して調の横に立ち、
「調ってさ、自分で音楽を作ってるの?」
ドット絵から現実の人間の姿になったことに調は驚いた。三次元の姿に組み代わって最初は赤や青が混じっていたが、すぐいつもの黄色いをメインとした衣装に戻った。
「えっと……作曲はしているよ。でもまだ誰にも公開してない。あこがれてる人には全然及ばなくて」
「あこがれてる人?」
「島沢久米次って人で、この街じゃ有名人なんだ」
「へえ……」 やはり新参者なのか、この辺の知識には疎いらしい。
「音楽はすごいよ。私も色々やってるんだけどさ、なかなかうまくいかなくて」
「紐奈も作曲やってるの?」
「うん! DTMとかはまってるんだ。まあ、下手なんだけどね」
だが、このまま冷たくあしらうわけにもかない以上、調は、紐奈の氏素性を探ろうかと思った。
「遠い星から来たって言ってたけど……どんな星なの?」
「え? それは……」 少しためらってから、
「全体的に光に染まってるんだ。この地球と違って、あんまり色とかがないの。だから、退屈で仕方なくて……飛び出してきたの」
それから、さらに根本的な疑問。
「紐奈は、人間なの? 光みたいになれるってことは、人間じゃないと思うんだけど」
別に、悪く言ったわけではないが、
「え? それは……」
紐奈は、顔をしかめた。あまり聞かれたくない質問のようだ。
「人間だよ。あいつらには一緒にされないし。なのに、人間からは人間扱いされない」
思ったより辛い言葉だったらしい。
「ごめん。うっかり悪いこと言っちゃって」
紐奈の顔がどんどん暗くなっていった。
「いいよ。私はどうせ……――」
突然胸騒ぎがして調は周囲にあちこち注意を向けた。
電光掲示板から鳴る音は逆再生し、エコーがかかった。
「いや、違う。嫌な気持ちなんかに、私は……」 紐奈は、うつろな瞳で空を眺め出した。
しかし、調はその異変が何を意味するか知っている。
「ミューノイズ!」
調は手慣れた動きで素早くかばんからギターを取り出し、演奏を始めた。
あたりに炎がちらつきだした。
体中に笛が突き刺さった黒い影が向こうから歩いて来る。
その不協和音が縄のように紐奈の胸にからみつき、しめ上げている。
だがギターから駆動する音色の膜は、調をその攻撃から防ぎ、彼の両脚を敵の元に走らせていた。
(時間がない!)
――人々に歌声と勇気を届けるために、戦場を疾駆する演奏隊。
私たちの行く道はいつだって背水の陣だ。
調は孤高の戦士のように確固とした眼差しで敵をにらんだ。
調の音色は、弦から熱を放たせ、周囲に浸透していった。そしてミューノイズの動きが鈍くなった。
肩に刺さった笛からゆがんだリズムが連なるが、調の演奏の激しさには到底及ばない。
――あなたの音色をゆだねて。私たち演奏隊は必ず勝利する!
鋭い手形のように、重めのリフを叩きこんだ。幸いにもミューノイズは手ごわくなく、音色を喰らうや笛もどきをまき散らしながら霧散した。
すぐ調は紐奈の元に駆け寄った。無事だと分かってすぐに安心しそうになったが、顔色は悪いままだ。
「どういうこと? 私を助けてくれたの……!?」
紐奈は、しどろもどろになりつつも、
「何か、黒い影が見えたような……」
「うん……それが私たちの敵」
紐奈は、まだまごついていたが、それでも自分が観たものを単なる幻想だとは思わなかった。地球の常識に疎い彼にとっては、見えないけれどいるくらい、ごく身近な存在だからだ。
「さっきまでは見えなかったけど、調の演奏を聴いた時に、ふっと目の前に現れたんだ」
調は、腑に落ちた。
「やっぱり、普通の人には見えないんだね。音代が演奏しないと……」
するとなじみのある声が。
「調!」
律真が走って来た。
「てめぇの音色が聞こえたからまさかと思ったが……ここにいたのかよ」
「だ、誰?」
まごつく紐奈に優しく、
「安心して。あの人は私の味方。同じ音代なんだ」
とはいえ、さすがに苦手意識は捨てられない。気難しいし、がさつだし、顔が……。
(いまだにこの人と話すの苦痛なんだよな)
そんなことを考えている間にも相手はしゃべくる。
「鍵二がてめえを探している所だったんだ。ったく、このまま時間をどぶに捨てさせやがったらどうしようか思案してた所だったぜ」
「えっ、そうだったんですか」
(まず鍵二さんが来てくれればいいのに)
と思った矢先、鍵二が手を振りながらゆっくりと近づいてきた。
「チャオ! 話は律真から聞いたよ。何でも学校のみんなが操られただって?」
「ええ。信じられないかもしれませんが……」
「ま、ここじゃ都合が悪いな。向こうで話をしよう」
四人が集まったのはもちろん、チェンバロが置かれた神殿のような部屋の中だった。
「調、お前は本当に人間みてぇなミューノイズに会ったのか?」
「律真さんは知らないんですか? 私たちが初めて一緒に戦った時、白髪の女性が空に浮かんでいたこと……」
「いや、あの時は目の前の敵を倒すのに必死だったからね。見てなかったんだ」
それから鍵二は少し黙って紐奈の顔をまじまじと見る。
「君、もしかして人間じゃないな」
「は?」 調と律真が異口同音に。
「瞳孔を見れば分かる。普通の人間は芯みたいな構造をしてないからね」
「ど、どういうことですか?」
「もしかして、光子生命体か?」 不審な声。紐奈は押し黙って何も言わない。
「こうし?」
鍵二はやや早口で、
「二十年くらい前に地球人と接触した生命体だよ。地球から二万光年くらい離れたクエーサーに生息してるんじゃなかったかな。その時はタンパク質以外でできた生命体としてものすごく話題になったけど、宇宙を航行できる技術以外は思ったより地球人が求めるような文明水準に達してなくて、結局ほとんど互いに不干渉のまま交流は立ち消えになってしまったんだ」
「違う。私は人間」 紐奈はきっとした声で言った。
「少なくともお母さんは人間だったんだ。宇宙飛行士で、地球を飛び出して色んな星を旅したんだ。それでお父さんと会ってお互いに惹かれて、結婚したの」
紐奈はそれから、
「でも、あの星に住む奴らはそれを認めなかった。他の種族と混じったら種が絶えてしまうって。だからお母さんは地球に帰って行って、どこにいるか分からなくなっちゃった。だから私はあんな所から出て行って、お母さんを探してる最中なの」
鍵二は、えらく神妙な顔をしていた。律真は一通り彼の話を聞いて、ややしんみりとした表情になった。
調は、紐奈に辛い過去があるのは分かったが、まだどういう種族の出なのかはまだよく理解していなかった。
「ええと、鍵二さん。この人、光になってスマホとか電光掲示板の中に入り込んでいたんですけど……?」
律真は重い気分を隠せない様子で言う。
「光子生命体は電気やガスを摂取して生命を維持するって話じゃなかったか? 実際それで軍事利用されそうになって、それも彼らが地球人との交渉を断つ原因になっているそうだが」
「うん。だから私はもうあっちには戻れないんだ。戻るつもりもないけど。だって私、地球人って意識があるから!」
鍵二は、紐奈が自分の生い立ちに葛藤しているのを見て取った。それは、鍵二にとってもなじみ深い感情だった。
「でも君は光子生命体と人間の両方の性質を持っているんだろう。光子生命体としての部分を、みんな注目すると思うんだが」
「いいよ。あんな奴らなんて」
「でも、いいのか? お父さんの母星の人たちと、全く嫌なことばっかりだったってわけでもないんだろう?」
紐奈は気色ばんだ。
「あいつらは私にも、私のお母さんにも冷たく当たったんだ! もう私はあいつらを同族だなんて思ってない」
鍵二は、なおも冷静に、
「でも、君が辿った歴史には確かに彼らの――」
「あんたたちに私の気持ちが分かってたまるか! もういい、知らない」
言い終わる前に、紐奈は光の靄となって窓から消えてしまった。
「おい、ちょっと待て――」 にわかに立ち上がって律真が叫んだが、もう遅かった。
肩をすくめる鍵二。
「いや、あんな風になってしまうさ。誰もがどっちでもあることを受け入れて生きられるわけじゃないんだから」
調は、鍵二にも何か同じような悩みがあったのではないかと思ったが、それをさすがに指摘することはできなかった。それを鍵二も察したのか、
「ああ、そんなに落ち込むことでもないさ」
しばらく紐奈は一点の花火の閃光となって夜空を漂っていた。
紐奈はデパートのバルコニーからしばらく街を見下ろしていた。
私は、どうしてこんな風にしか生きられないんだろう。いつだって私は不器用な奴だ。だからそういうことがあるたびに自分から逃げ出してすかっとしていた。
でもなぜ今、こんなすっきりしない気持ちなんだ。
調だ。調が今、苦しめられていて、仲間たちに助けを求めていたんだ。
私は、彼らの話を聞かなくちゃいけない。調の問題に首を突っ込んでしまったのだから、そこから途中で首を出すわけにはいかない。
自身の問題より重大というわけではないが、一時の感情に任せて逃げ出してしまったことに紐奈は申し訳なさを覚えた。
再び光に変身して元の場所に戻った。十秒もかからなかった。
「おっ!?」
彼が戻ってきて、一番驚いたのは律真だった。
調が急なことで静かにまごついている。ただ鍵二だけがそれを最初から予見していたかのように淡泊な反応だった。
「あの……ごめんなさい。つい、私もかっとなって」
「いや、こっちもつい感情的になってすまない。基本的に自分の親を愛せない奴を見ると反吐が出てくるんでね」
「毒を隠せてないと思うんですけど……」 冷や汗をかく調。
紐奈は一瞬だけむっとした顔をした。しかし、調の顔を見るとすぐ感情を去り、
「八火紐奈っていいます。一応、私も音楽の素養はありましてね、作曲もしてるんです」
鍵二は、揶揄なのか親しみなのか見分けのつかない微笑を浮かべている。
「そうか。僕は或門鍵二だ。言いたいことは色々あるが……とにかく演奏を聴いてくれないか。話はそれからだ」
鍵二はチェンバロを轢き始めた。その初めの音から、もう紐奈の意識は別の場所へワープしていた。
紐奈は幼い頃、母星で地球の一昔前のゲームに慣れ親しんでいた。親が懐古趣味であるというよりは、地球から非常に遠く離れており、どうしても情報や文化の伝達に時間差が生じたためだ。
故に紐奈は地球ではもうすでに数十年前に発売されたきりのレトロゲームが好きであり、ピーピー・ブーブーという音しかほとんど聞いたことがない。
だが鍵二の奏でる音はそれらとは全く違っていた。光子生命体の感覚とは全く別の音響世界に紐奈の脳髄は揺さぶられ、精神のどこかが生まれ変わってしまった。
紐奈はまるで恍惚として、しばらく夢中になって演奏に聞き入っていた。
すっかり先ほどまでとは様子が変わった紐奈に対して、鍵二はその心の奥底を察すると微笑を浮かべた。
「さて、雰囲気は整えたことだし、なぜ僕らが戦うかの理由を説明しようじゃないか」




