Session.39 これにて終幕、みな拍手!
調は、気づくと部室にいた。
「起きたの? 調」
有亜の顔がすぐそこにあった。
夢見心地な気分から、まだ調は覚めることができなかった。
「ミューノイズと戦っていて……」
「また、そんなこと言ってんの?」
調、聴いてる?
「楽器の形をした敵なんて……いるわけないじゃん」
「そ、そうだよね……」
調は納得してしまった。
ねえ、起きてるよね?
これが現実なのだ。不思議なことなんて、何もない。
調はそのまま、準備のために楽器を取ろうとした。
<お願い! 目を覚まして!
誰かの声がした。
どの方向からかは分からないが、調はかすかに、どこかでそれが聞こえるのを感じた。
「どうしたの?」 首をかしげる鼓。
「何でもないよ」
調は言った。きっと、さっきまで見た夢の記憶から完全に目覚めていない。
<まだ、戦いは終わってない!
また、あの声が聞こえる。
「有亜、何か言った?」
「別に、何でもないよ」
『そこにいるのは私じゃない。騙されてるんだよ!
調は頭をかきむしった。何か、違和感がある。声にしては、あまりにもはっきりしすぎている。
盤子の声がした。目の前、何も言ってないのに。
『それじゃ、ずっとそのままだよ!?
調は、やや恐怖を覚えた。
「どうしよう。私、ちょっとさっきから幻聴がするんだけど……」
「耳の虫じゃないの?」
(う~ん、どうしよう。)
それから、もっと大きな声が、脳裏のすぐ近くで。
『次回のファントムファイブ! 見れなくなっていい!?』
「……そうだった。来週のファントムファイブの感想をみんなに話さなきゃ……」
「何、それ?」 盤子が笑った。
調は、はっとした。盤子がそんなこと言うなんて、ありえない。
つまり、ここは部室なんかじゃない。
「――違う。偽物だ!」
「分かったか」
有亜たちの顔がゆがんでいき、全身の輪郭がゆらいでいった。
倉香が迫りくる轟音に、鼓が周到なるフィナーレに変わった。
「貴様を助けに来た音代がいるようだな」
「案じる必要はございません。あなたはここで眠っておればよろしいのです」
調は怯えた。
(あの時に、ざわめく静寂にやられた……だから、何もできない!)
「ちょっと待ったー!」
光が虚空から出現して、8bitの音色をまといながら轟音に突進していった。
轟音は部室の壁に激突し、崩れた部分から灰色の雑音がにじみ出てきた。
「調、もう大丈夫?」
「う、うん!」
<調! 良かった、目覚めてくれて……!>
倉香の声が、紐奈の胸あたりから聞こえる。
調は、よくわけが分からなかったが、今は詳しく聞くべきではないと思った。
「ここは静寂が見せている幻覚だ。」
旋律は、雑音で塗り固められた壁の中に手をつっこみ、
「これがあんたの音色だよな?」
そう言って白く光る何かを手渡した。
「どうやらもう、あいつは誰かの音色かなんてことは固執していないらしい……」
調がよく分からないまま両手でそれを受け止めると、そのままギターが出現した。
旋律は手をすりながら、
「もうこれで許してくれるよな?」
「う~ん、やっぱなしで」「そげなぁ!」
だが、その間にも敵はすぐ彼らに荒々しく押し寄せてきた。だがもはや、心配することはない。
調の音色は轟音を一瞬で倒してしまった。
フィナーレも紐奈と旋律が力を合わせて音色を鳴らすことで砕け散った。
「さあ、早く静寂の元に行くよ!」
紐奈が音を鳴らすと、部室を模していた空間は一瞬で砕け散った。そして、調の目の前に、赤く染まった空とミューノイズの大群で埋め尽くされた黒い海。
早口で叫ぶ紐奈。
「ごめん、中に移すからちょっと気を失ってて!」
「えっ?」
電気ショックが急に体を刺激し、数秒間だけ、調は気を失った。
そして急激に調が気づくと、そこは音の台の展望台だった。
ざわめく静寂は、影をまとい、ウクレレやピアノなどの埋まった肉塊の上で呻吟していた。上半身だけがもぞもぞと動き、顔も均衡を知らないほどに膨れ上がっている。
その全てが、誰かの音色なのだ。
あのお方の声が聞こえる。
――さあ、奴の音色をかき消すんだ。その苦悩で、君の音色はより美しく磨き上げられる。
静寂の声にもはや島沢久米次の面影などなく、ほとんどノイズに近いものに衰えてしまっている。
「六条調。今、僕は至福の瞬間にあるんだよ。人間の音色。可能性を味わっているんだ」
「それで、満足するんですか」
ギターを構えて、かき鳴らし始めた。
何度もざわめく静寂の体に穴を開け、その燃え上がるようなパーカッションで上から下へ、下から上へと刻んでいった。
だが、静寂の体は焦げ付き、若干しぼんでも、まだその音色が瓦解するように抜け落ちはしない。こうしている間にも、静寂は自覚している以上に多くの音色を世界中から吸い出していた。
「久米次さん、いい加減にしてよ!」
調は叫んだ。
「こんなことを私にさせて……何が楽しいんですか!」
違う。今ここで責めるべきなのは、ざわめく静寂などではない。
調はギターを捨て、天を仰いで叫んだ。
「あんた、最低だよ! そうやって誰かの争いをたきつけておいて、自分では何もせずに見てるだけなのかよ!」
静寂の顔が、わずかに曇った。しかし、調はそれを気になどしなかった。
「私たちの音色は戦いなんかで磨き上げられるものなんかじゃない! 私だって、久米次さんと楽しく音楽について語り合いたいだけだった。こんな戦いなんて、したくなかったのに……」
調は、うつむいた。
――飽きた。
突如として、戦いの主催者は彼らから権限を解いた。
「なっ……」
音代の誰もが、驚いた。
もはや、彼らの楽器は威力のある音色を奏でてはいなかった。
「こんな所で、音代の力を失うなんて!」
「あの野郎……!」 律真は拳を握りしめて叫んだが、もはやどうにもならなかった。
音の台の頂上に、黒い巨大な月が浮かんでいた。今にも爆発しそうに膨らみ続け、音の瘴気をまき散らしていた。
音代は逃げ出した。ポラリスの一同は最初調の身を案じて残ろうとしたが、音の台の危険な雰囲気に、さすがにとどまってはいられなかった。
「狂騒! 逃げないと……」
有亜がつかむ手を、ふりはらう狂騒。
「あなたは逃げなさい。あいつをああしてしまったのには私にも責任がある」
狂騒は、悲しげな表情を浮かべ、有亜に、
「ごめんね。みんなの苦しみを知るのが遅くて」
狂騒はもうそれ以上振り向かず、音と化して空に浮かび、音の台へとさびしく向かって行った。
すすり泣くままに調が立ち尽くしていると、
「……調。いいのか、それで」
はるか上から静寂の声が聞こえた。
「世界は音を失う。人間から希望が消えるんだぞ」
「もう、いいんです。久米次さんに、あまり多くのことを期待しすぎてました」
「調!」
旋律と、紐奈の叫びが重なった。しかし、調は静寂と話すことに全力で、二人の声に気づいていなかった。
「何とかして、久米次さんに本当に音を求める心を身に着けてほしいと思ってた私が傲慢でした。私、やっぱり久米次さんにあこがれる資格なんてなかったんです。ファン失格ですね」
静寂の顔があまりにも遠く、そして濡れていたせいで、調は相手の表情がよく分からなかった。けれど、もうそんなことは大した問題ではない。
「でも……せめて、最後にこれだけは聞いてください。私、やっぱり久米次さんに触発された衝撃と、そこから歩き始めた道だけは本物だと信じたいんです」
旋律は、静寂を攻撃しようとしていたが、調の剣幕で躊躇した。
――もう、戦うつもりはないのだな?
「私、もうこれ以上戦うのは嫌なんだ。みんなを守るためなら、ずっと戦えた。けど、ミューノイズにも分かる奴はいた。だったら、このざわめく静寂も分かりたいんだよ。でも、この人はもう誰のことも分かろうとしないし、誰にも干渉なんてされたくない。だから、最後にこれだけはさせろよ」
調のギターはもう音代の威力を発揮する武器ではなくただの楽器でしかない。
調は、演奏した。しかし、すぐに拙くなってしまった。勝手に体が震え出すのだ。
(どうして……? なぜ、何もできないの……?)
調は、何を言えばいいかもわからないままに、感情に任せてしゃべりだす。
「すみません。やっぱり、私なんかが久米次さんの前で演奏するなんて、いくらなんでも――いや、でも一緒に演奏した時もあるか! ああ、こんなことも忘れてしまうなんて……」
頭をかきながら、
「でも、本当に嬉しいんです! あの日々の感動も……偽物じゃなかった。ありがとうございます。やっぱり、久米次さんは私の師匠ですね!」
静寂の顔は、醜く変色しつつも、もう先程までの狂気に躍ってはいなかった。
「……調。僕は、自分をそんな風に気にしてくれている人に出会ったことがなかったよ」
静寂は言った。
「人間の心なんてのは単純なもんさ。ちょっとした音の組み合わせで簡単に感動するんだからさ。そして日常の言葉をやり取りする中で心をたやすく操ることもできてしまう。それを普通に繰り返して周囲の人間は浮かれる中で、僕はどんどん空しく、寂しくなっていたんだ」
紐奈と旋律は、黙って静寂の言葉を聞いていた。
「君一人が、僕の苦しみを理解したところで、今の僕にはたいした慰めにはならない。だが……君の音色を吸った時に、どうやら僕も君に対して、過ちを繰り返していたことが分かった。君が、僕の色紙やアルバムを壊した時の記憶、あれは確かに耐えられないものだ。僕自身にだって」
それから、間を置いて。
「僕が、間違っていたよ」
静寂の声が、やけに綺麗に響いた。
調の演奏を聞いた時、歓びだけではなく、悲しみも伝わった。まさにその悲しみだったのだ。静寂の心を打ったのは。
静寂は、もはや、あのお方のことなどどうでもよくなってしまった。
「僕が望んでいたのは、これか……」
再び空間が大きく震えた。
突然、静寂のまとう山が崩れ始めた。静寂の上半身が、泥濘と化したその中に飲み込まれようとしていた。
「ごめんね調!」
突然調をつかむ紐奈。
「わっ、ちょっと!?」
「下は見るなよ!」 旋律ももう片方から。
たちまち調は空中に引っ張り上げられた。
弦奈が異変に気付いた。
「ミューノイズが……消えていく?」
律真は、喜びよりはむしろ驚きの方が大きかった。
「一体何が起きてるってんだ……!」
静寂は、それまでのわだかまった気分が、驚くほど晴れていくのを感じた。その空隙を、救われたような感情が満たしてきた。
ずっと求めて得られなかった安らぎや、幸福感が。
静寂は、だが再び巨大な空虚に襲われた。
調のあの音色を聞き、その心から湧き上がる叫びに打たれた時、静寂は自分がこの世に存在する目的を果たしてしまった。
もはや、この世に存在し続ける理由など、なくなってしまったのだから。故に、静寂は、これまで奪った音色を解き放ち、自分の体を構成する雑音すら捨てると決心したのだ。
(消えてしまおう。もう僕は――)
狂騒が、音色のなだれの中で一切流されることなく突っ立っていた。
(間に合ってよかった――というべきかしら)
狂騒には、なぜ自分はここまでやって来たのか、いまだよく分からないままだった。
結局、人間のことなど分からない。そして、積極的に歩み寄りたいとも思わない。しかし、彼もまたミューノイズだった。同じミューノイズを、そのまま見捨てていられるほど、狂騒はまだやけっぱちになどなっていなかった。
もうこのまま、押し寄せる音の荒波と共に消えていればよかった――と狂騒は思っていた。ところがくしくもまだ静寂はまだ存在していた。
『宵闇の黄昏』を構え、音色を打ち込んだ。
「ぐあっ!?」
それは、薄れつつあった静寂の体を急に鮮やかにした。
狂騒が怒りに任せて叫ぶ。
「勝手に満足して消えるんじゃないわよ!」
狂騒は、沈みつつある静寂の胸に左手をつっこみ、音色を注いだ。
「調がこんなに苦しんでるのに……それを見捨てるの? 理解したんでしょう!? あなたを求めてる人なんだから!」
「えっ? ……え?」
調は、ただ驚いて目を丸くするしかなかった。
「おい! じたばたするんじゃねえ」
調が腕をふりほどこうとするのを感じ、慌てる旋律。
「あんたが簡単に消えたら騒ぎ出す人間たちが沢山いるのよ。それを防ぐために、まだしばらくは生きなさい」
静寂は、笑顔を浮かべた。人なつっこい笑顔で。
「……やれやれ。そこまでして、僕を生かしたいのか。君たちは」
◇
午後四時になりかける頃、音の台の最上階は、元の閑静な状態に戻っていた。
そこには力を使い果たし、ほとんど眠りこけてしまいそうな久米次と調、紐奈と旋律だけがいた。
しかし、その状況はごく短かった。
「調!」
夢見が駆け寄り、調を抱き上げた。
「お母さん!?」
急に我に返る娘。
夢見以外にも、次々と音代たちが入って来た。
「この野郎! てめえのせいでどれだけの人間が迷惑したと思ってやがる!」
律真が静寂の胸倉をつかみあげる。
「やめて!」 叫ぶ調。
「こいつを信じるのか?」
鍵二は調をやんわり指しながら言った。
「察してやれ。こんなにつかれているのに、かわいそうだろ?」
調が純粋に久米次のために怒っているのを見て、すぐ動きを止める律真。
「何があったか知らないが、もうこいつに調への敵意はないんだ」
旋律と紐奈はしばらく、ここに誰もがなだれ込んでくるのを見てあたふたするしかなかった。
ポラリスの面々もやって来た。
鼓が調、それから狂騒を見て、恨めしげに。
「まだ生きてるなんて」
「本当。あのままかき消えてたらよかったのに」 倉香が言う。
盤子と有亜は、調を気遣うだけで精一杯だった。
こうして、一同が集まり、ようやく誰も新しく入らなくなった頃。
――ふざけるな。
街を覆うように『それ』が存在していた。一同は、恐怖でそこに固まった。
――まさか最後の最後で私の期待を裏切るとはな。憎み合うのではなく、分かり合おうとするとは。
臆さず進み出る調。
「あんたはさ、私たちを戦わせて、そうやって音色を聞きたいと思ってたそうだよね。でも、争いから素晴らしい音色なんて生まれるわけない。たとえ生まれたとしても、それが広まるのは人の善意なんだ。みんながそう思わなくても、私はそう思う」
音代は、調の言葉を黙って聞いていた。ミューノイズの首魁をどうやって戦意を喪失させたのか、不思議でならなかったが、少なくとも折ったのは確かなのだ。
調が、単なる根拠のない希望でそう言っているとは誰も思わなかった。
――私はそれでも構わん。手段がどうであれ、素晴らしい音色が聞ければそれでいいのだからな。だがお前たち音代は、ミューノイズと分かり合うことでそれを生み出せるというのか?
「できる。手を取り合えた奴はいるわけだから」 調の言葉に迷いはなかった。
狂騒に蘇生させられ、律真に脅され、青菜に塩だった静寂は、調の姿を眺めて次第に生気を取り戻し始めた。調の瞳を直視はできなかった。自分がそうやって対等に見ることのできる相手だと思えなかったからだ。狂騒も、旋律も、調が本気でそんなことを言っているのかと驚いている様子だった。
あのお方は、調に尋ねた。
――それが、お前の答えか?
黙ってうなずく調。
しかしまたあのお方はほくそ笑むように、
――もう一度、お前たちに音代の力を返してやろう。また争わないと言い切れるかな?
調は、思い切り笑った。
「ああ。言ってやるよ」
あのお方の気配は、消えた。
誰もが、調を黙って見ていた。調の言葉があまりに大胆だったので、そんなことを達成できるのかと疑っているらしい。
旋律が心もとない声で言った。
「おい。まさか俺たちにまだ人間と関われって言うんじゃないだろうな?」
「関わってもらうよ。だってさんざん迷惑をかけてきたんだから、償ってもらわなきゃ」
「まじかよ……」 片手で顔を覆う旋律。
しかし狂騒の方は、まんざらでもないように口角は上がっている。
「いや、案外それも悪くないかもよ?」
それから調は久米次の元に歩いた。
久米次は立膝を突いて、言った。
「僕に……存在する理由をくれるってのか」
「立ってください、久米次さん。それじゃあ、私のあこがれる久米次さんじゃないですよ」
調は久米次に手を差し出した。
二人は、握手を交わした。いつも通りの奏での街、空が黄金色に染まりつつあった。




