Session.38 絶音都市
数時間後、音の台は禍々しい色合いに包まれていた。
頂上部分から凄まじい数値のデシベルの雑音が響いており、誰も近づけなかった。
それどころか六鹿区のほぼ全域が異様な色合いの音色で覆われていた。
建物にも、道路にも、歪にまがりくねった楽器が生えて、雑音を奏でている。
壁際にピアノやパイプオルガンがひとりでに動き、一切規則性のない、音楽とも呼べない旋律を鳴らしている。
「……ひでぇな……」
その惨状に、律真ですら途方に暮れたように弱々しい声を漏らすしかなかった。
空が赤黒く染まっている。ある地点より音の台に近づこうとすると、床を埋め尽くす微細なラッパや笛が雑音をまき散らしながら音代から音色を吸い出そうとしてくる。
見慣れた景色が、輪郭はそのままに、人間の音色を吸い出すだけの装置と化しているのだ。
雑音は次第に大きくなり、空をむしばむしみも広がる一方。
「このままだと金手市が……!」
倉香が悲痛な表情で空を仰ぐ。調以外のポラリスのメンバーも、絶望にくじけそうになっていた。
音代は隣の慧光区に集まっていたが、どうすることもできず、立ち尽くすしかなかった。
弦奈ですら、万策尽きたという様子でうつむいて、途方に暮れていた。
突如音の台に蓄音機が生え、穴の中からエコーのきいた『ざわめく静寂』の叫びが轟いた。
<音代の諸君! 君たちの努力は、もはや全て無意味だ。勝敗は決したんだ!>
「そんな……どういうこと!?」 変色し、汚された音の台を見て、あっけにとられる弓刃。
うつむきながら話す旋律。
「奴は音の台と融合したんだ。今や音の台その物がミューノイズになって……その周りに染み出している」
「それより、六条調はどうなった!?」 怒りに任せてわめく律真。
答えるのは静寂だった。
<調のことが知りたいのか? なら見せてやるよ!>
突如、全ての音代の視界の中に、幻が入り込んできた。
彫像のように生気の抜けた六条調が虚ろな表情を浮かべ、音の台の頂上部分にはりつけにされていた。両腕は、音の台の壁の中に消え、彼が愛用するギターが調の下半身を飲み込んでおり、よどんだ音色を下に注いでいる。
誰もが、憤った。そしてそれを嘲笑うように、高らかな叫び。
<きっと調にとっても光栄だろうね! 自分と戦いを共にして来た仲間と一緒になれるというのは……。僕がこの音色で包み込むのは、この世界の全てだ!>
静寂は、自分の喜びに酔っているようだった。何かに酔わされ、喜ばされているとでもいった感じだった。
<あのお方に捧げることにしよう。この世界にしか奏でることのできない、唯一の音楽を!!>
静寂の言葉が終わった。誰もが、もう彼はこれ以上外部に対して交渉する気を持たないだろうと確信していた。
鍵二は言った。
「あいつをほうっておけば、金手市だけじゃない。全世界が奴の音色の支配に屈することになる」
とはいえ、あれほど強大な敵をどうにかする術など考えつくこともできた。
弦奈ですら、なかば諦めかけていた。
「でも、どうしたらいいんですか? 調を失ってしまった今、もう静寂の心を切り開ける人間は誰一人いなくなってしまった」
その時、一人、女のミューノイズがそこに入って来た。
「まだ、全てが終わったわけじゃない」
それは実に落ち着いた声だったが、ゆえに誰の神経でも逆なでするものだった。
「うるわしき狂騒!」
思いきり敵愾心に満ちた声、とげとげしく弓刃。
狂騒は、弓刃を見て、じっと考え込んでいた様子だったが、そのままさらに音代の群れの中に進み、半ば独り言のようにつぶやく。
「私は、ずっと分からなかった。こんな不毛な戦いから抜け出した後どうすればいいんだろうと。人間に協力すべきか、完全に決別すべきか……でも、決める必要が来たみたいね」
音代の反応は、どれも予想通りだった。
鍵二は、冷ややかに言った。
「ノン・ファルチ・アラビアーレ……これまで奴に協力しておいて、今更罪滅ぼしのつもりかい?」
「その通りだ。誰がてめえごときの言葉に耳を傾けると思う?」 八つ当たりぎみに、律真が言う。
こうなることだろうと狂騒は分かっていた。さまよえる旋律と違い、自分はひたすら人間の敵として生きてきた。この苦悩を打ち明けたのは、ポラリスの面々に対してだけだ。
「待ってください。その人は、もう敵じゃないんです」
有亜が慌てて、大声で言った。
「どういうこと?」 弓刃が不信の声。
「その人は、もうミューノイズとして戦う気力はないんです。以前私の元に現れた時、はっきりと戦意がないことを伝えてくれましたから」
有亜は言った。しかし、まだ警戒を解かない弓刃。
「なぜ? あなたをかどわかして、調と戦わせた元凶なのよ?」
「でも、私はこの人が残してくれたミューノイズの力である程度戦うことができました。確かに、この人のおかげなんです」
それでも鍵二はまだとげとげしい様子を抑えきれなかった。
「僕は信用したくないね。そいつは二度も有亜ちゃんに手を出したんだぞ?」
「その時からもう二度会ったんです。最後に会った時は、調と私と、三人きりで話をしたんですが……」
鼓はややまごついたように言った。
「まさか、また会ったの?」
「ごめん。実はでも、轟音とフィナーレを倒した後とは違って、もう狂騒に人を襲おうとする気力なんてなかった。明らかにこの戦いが間違っているって考えてる様子だったんだよ」
周囲の狂騒に対する視線が、敵意から疑いへと変わっていく。
有亜は、何としてでも狂騒をここから離すわけにはいかなかった。その力にでもすがらなければ、もう二度と調を助けることはかなわなくなると思ったkら。
「もう、私たちが敵対すべきものはミューノイズじゃなくて静寂なんです。ミューノイズの中にだってさまよえる旋律やうるわしき狂騒のように、人間と通じ合える存在がいる。たとえ分かり合えないのがいたとしても、少なくとも一人くらいいるはず……」
狂騒は、やや面食らった。校庭での一戦を忘れたのだろうか。
(……なんてのんきな子なの。あんなひどい目に会わせたのに……)
別に、人間だけが狂騒を疑っていたわけではなかった。
旋律は低い声で尋ねた。
「狂騒。まさか静寂のさしがねじゃないだろうな」
「何言ってんの。私はもう、あいつには愛想を尽かしてんの」
沈黙を置いて、鼓が言った。
「あんた、あの時は、遊びって言ってたよね。音代とミューノイズの戦い全部を」
「……覚えてたんだ」
狂騒は、恥じらいを覚えた。
「遊びじゃないんだよ。私たちは、あんたのせいでこんな無駄なことをさせられてんの。部活動とか、青春とか、もっと楽しみたかったのに、お前らがいるせいで!」
鼓と盤子は、狂騒を憎悪をこめた目でにらんでいた。
有亜以外、狂騒に味方しようとする者はいない。狂騒は、やはりここを去った方がいいと感じた。
「……どうせ、私のやったことなんて許されるわけない」
有亜は必死に、
「許さないよ。でも今、私たちには狂騒の力が必要なの!」
盤子は、受け付けない様子だった。
「本気? でもこいつ、私たちを操った!」
しかし有亜に躊躇はなかった。
「だからこそ、だよ! もう一度、私にミューノイズの力を与えて。もしかしたら、それが役に立つかもしれない」
「オンミオッディオ……」
鍵二は、あきれる他なかった。そしてそれが、律真や和など、ほとんどの音代の共通する心情だった。しかし。
弦奈は言った。
「分かりました。あなたを信じましょう」
「お姉様! なりませんわ!」
「そんなことを言っている場合ですか、弓刃!」
弦奈は、きっとして言った。
「時間がない! 世界の命運がかかっている。こんな時に、言い争っている場合なんかじゃない!」
弓刃は姉の苦悩の深さを知って、すぐに押し黙った。
「調を救出しなければならない。そしてざわめく静寂を止める。この二つが私たちの目的よ」
「それができなければ、今度こそ――終わる」
それからは、作戦について色々と議論があった。
「私が閃光になれば、調の元までたどり着けられるかもしれない……」
さまよえる旋律が、
「でもミューノイズの妨害が激しいんだ。音代一人で行っても餌食になるだけだぞ」
「はいはい。もちろんあんたの助けが必要だよ」(こいつのことは嫌いなのに、こういう時に何でいっつも手を借りなきゃいけないのかぁ)
「とはいえ、俺だけでもあれだけの規模のミューノイズに対抗できるとは思えない。……あれは?」
遠くから見知った人物がやって来た。
「保さん?」
鵜成アミューズメントパークの所長だった人物。
「非常事態と聞いて、駆けつけて参りました! 紐奈はいらっしゃいますよね!?」
「は、はい!」
紐奈が一瞬だけ光となり、音代の間をすり抜けて、保の前に。
「あの音の台に調さんが捕らわれているそうですね? ちょうど、紐奈さんに使っていただけないかと思っていたものがあるんです」
彼は手に何かの装置を持っていた。それは、くしくも紐奈の母が持って来たものとよく似ていた。
「光を増幅する機械です。まだきちんと動くかどうか、テストはしておりませんが……」
鍵二は言った。
「やってみる価値はあるよ!」
だが保だけではなく、玲於乃もここにきていた。
「大変なことになったわね」
紐奈は、さらに驚いた。
「お母さん! あと、お父さん!?」
母が片手に持つ光電子管の中、ばちばちと煌めく光。
「こういう時にはやはり心配せずにはいられないわ。やはり私はあなたの母親だわ」
ややきまりの悪い顔を浮かべる保。
「あまり大声では言えませんが、ミューノイズ二体の討伐以来国に色々言われましてね。密かに公的な機関と光子増幅の研究を進めてたんです。本当は使う時が来てほしくはなかったのですが……」
「へえ……」
紐奈は、政治のことはよく知らなかった。しかし、今回の非常事態に際しては、気にしていられないのは確かだった。
音の台の蓄音機は、前よりも大きくなっていた。
そしてその付け根で、調の上半身はまだ眠ったまま。
「俺がこの笛で調を狙う。チャンスはたった一回しかない」
旋律の目の前で、ポラリスの面々は楽器を取り揃えていた。あまりに急ピッチなので、誰一人調律などろくにできていなかった。
「ミューノイズ同士、ある程度音の交換は効く。だからひょっとしたら調の音色を静寂から取り返せるかもしれないが、確証はない。そこでだ」
「私たちは、何をすれば?」
「分かってるだろ。調をお前らの音色で目覚めさせんだよ」
「でも、音が届くわけない」 鼓は、投げやりに。
「そこで紐奈の出番だよ。俺の笛から出る音色を、紐奈を使ってこちらと繋いだままにする。そうやって、お前らの音色を伝えられるようにすんのさ」
紐奈に、断る理由などなかった。
「やってやるよ。だって私、人間で光子生命体だから」
「そして狂騒と有亜が、俺の攻撃が届く時まで静寂の支配のもとにあるミューノイズを操り、妨害されないようにする。まあこんな所だ」
「狂騒、本当にやってくれるんだよね?」
倉香が言った。
「私は、ただ孤独になりたいだけよ。もう、あんたたちとはこれっきりで別れたい」
「本当にね」
舌打ちする鼓。
だが、有亜にとってはそれどころではなかった。
「今度こそ、私を操ったりしないよね?」
「まさか。音色を抜き出す以外でするわけないでしょう」
手を差し出す狂騒。
有亜は一瞬だけ、躊躇した。しかしその躊躇の後は、もはや迷わなかった。
金笛伊吹のサックスが防御壁を作る。
大音声のバグパイプが響き、音代に向かってせり出してくる、足のついたピアノやオルガンの耐久力を削り取る。
大弓鳴我のコントラバスが楽器の効果を速め、逆にミューノイズの動きを遅くする。
木枝のマリンバに応じて降って来る球が軸実の琴によっていてつき、すべりながら、楽器をいともたやすく踏み鳴らしていった。鍵二のチェンバロが、高らかに響き、どれくらい音の台と彼らとの距離が縮まっていくか、逐一脳裏に報告していく。
狂騒と有亜は手を握ったまま、同時に口を開いた。
狂騒の声に合わせて、有亜もまた叫んだ。その声は、人間には及びもつかないハーモニーとなり、六鹿区の四方八方へと拡散していった。
あの時と同じような感覚が、体に染みわたった。違うのは、精神が驚くほど冴えわたっていることだ。音が、五感を補えるほどの純度と精度をもって押し寄せてくる。これがミューノイズの味わっている世界なのだろうか。
ミューノイズがその動きを止めた。
鶴舞姉妹のヴァイオリンから繰り出される斬撃が、彼らを薙ぎ払っていった。
「敵が、どんどん引いて行くな。今しかない」
告げる旋律。
うなずく紐奈は、身体の奥深くに気力を集中させる。
瞬間、その全身が光となり、空中に浮かんだ。
光電子倍増管の中の光もそれに向かって走り、溶け合った。
ポラリスの面々は、始めて見た光景だけあって、それが非現実的なものにしか思えず、不意に目を丸くした。保と玲於乃だけが静かに、しかし緊張してその輝きを注視していた。
「す、すごい……」
盤子は思わず声を漏らした。
「行くよ、旋律!」
「ああ!」
旋律は、笛を吹いた。
そこから発射された音色と共に、紐奈は一筋の閃光となってほとばしっていった。音の台にくくりつけられた調の元へ。
音の台の周囲に展開していたミューノイズはその光を遮ろうとしたが、狂騒と有亜の歌声を聞くと何かに憑かれたように震え始め、音色を発することができなかった。
(遅い! たったこんな短い時間の間なのに)
紐奈は焦った。
光速ならこれほど急がずに済むのだ。しかし地上で光速を出すと衝撃波で被害を出してしまう。ゆえに、大気圏内では紐奈は基本、遅く遅くしか動けないのだ。
音の台の壁から赤黒い襞がもぞもぞと震え、ラッパやリコーダーがせり出してきて騒音をまき散らし、紐奈を邪魔しようとするが、紐奈はその音色をすんでの所で回避し、ついに調の胸に突き立った。




