↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/40

Session.37 哀絶ソロウデュエット

 屋敷の応接間は広く、いつもは閉鎖されて誰もいない場所だったが、この日だけは別だった。

 もうそこは数十人もの音代でごったがえしていた。

 誰もが、思い思いの楽器を手にして、そのせいでなかなか落ち着ける余白もないほどだった。

「わあ……!」 調は、思わずため息をついた。

 鶴舞邸は、あの時訪れたものとは様変わりして、にぎやかでさわがしい様子となっていった。

 シックな空間の質感は、決して損なわれてはいなかった。

「和さん!」

「久しぶり、調さん」

 鍵二はぎょっとして、思わず目を背けてしまう。

「あの、知り合いですか?」

「聞くな」 すかさず肩を小突く律真。

「和さん、おはようございます!」

 金笛伊吹だ。

「あら、伊吹!」

 鍵二は顔をそむけている。

 ポラリス一同ももう揃っていた。

「あれ? 有亜はもう来てたの?」

「調がざわめく静寂と戦うんでしょ? そんなの、応援しないわけにはいかないでしょ」

 食い気味に有亜。

「もう、そんな嫌な顔しないの!」

 倉香は有亜に対してにこやかに。

 そういうやり取りの間にも、次々と音代の面々が入っていった。

「ほら、弦奈さんの挨拶がもうすぐ始まるよ!」

 ヴァイオリンを抱えた弦奈が、快活な声で言った。

「みなさん、よく集まってくれました!」

 弓刃が、弦奈の爽やかな顔を見て顔をほころばせる。

 それから手を挙げてある所に向ける。

「こちらのミューノイズの方も、特別に私たちの味方として戦ってくださいます」

 音代たちの視線が、冷淡で、敵意すらこめて刺さっている。

 さまよえる旋律は、この中でただ一人だけ異物であることをよく承知していた。

 彼らに怪しまれないように、信頼してもらえるようにずっと行動してきたつもりだが、それでも結局元々は敵という理由で猜疑される。少しは

「そう肩身の狭そうな様子見せないでよ。ずっと、私たちに協力してくれたじゃん」

 調の言葉でも、やはり旋律は安心できない。

(俺は、是が非でもこいつらの利益になることをし続けなきゃいけない。やはり敵だ。もう、これが終わったら縁を切ってしまおう……)

 ただ一人、ミューノイズである少年だ。敵情には一番通じている。

 ゆえに、どんなことでも打ち明けねばならず、怪しまれてはいけない。

「音の台十六階にある、収録スタジオ……そこにいつものようにざわめく静寂がいる」

「音の台の中にミューノイズはいないんだな」

「内部にはな。だが、その周辺にはミューノイズの気配が強い。多分、音代の襲撃に備えて配置してあるんだろう……あと、もっと悪いことだが」

 旋律の声が険しくなっていった。

「『迫りくる轟音』と『周到なるフィナーレ』も奴らの中に混じっているようだ」

「えっ、でも私たちが倒したよね?」 驚く紐奈。

「ミューノイズは音が本質だからな。少しでも構成する音があれば復元できてしまう。静寂は、真似をすることに関しては天才的だ。元の姿に戻すことくらいなんてことはない」

 弓刃が元気づけるように叫ぶ。

「一度倒した敵なんですもの、絶対次だって勝てるはず!」

 木枝が言う。

「広域の音響支援は私と鍵っちがやる」

「ああ。僕の音色を使えば、身軽に動けるし長く演奏し続けられるようになる。木枝さんも」

「私は、どうすれば?」 自分の鼻を指して、紐奈。

「俺とお前は空を飛べるから、一緒に音代たちを音の台までの道を切り開けるように誘導するんだよ。傀儡も使う」

「どうやら、攻略の方法は大分決まったみたいね。じゃあ、調」

 人々が、自分に視線を向けた時、調は何を言われるか知っていた。

 この戦いの最大の目的が、自分にかかっているのだ。

「あなたが、直接ざわめく静寂と対決しなさい」

 周囲がざわついた。説明する弓刃。

「調さんはね、島沢久米次、もとい『ざわめく静寂』と交流があった人です。恐らくは、ざわめく静寂と心からのやり取りができるであろう、唯一の音代でもある。……やってくれるわね?」

「やってみます」

 調はうなずいて、重々しい声。

 それから休憩時間になった時、ポラリス一同が調に駆け寄った。

 倉香が、心細そうな声で。

「私たち……何もできないけど。せめて応援は――」

「何もできない? そんなわけない。私、みんなを信じてる。だからみんなも、私を信じて」

「もちろんだよ!」

 倉香は笑顔で言った。

 盤子が何度もうなずいた。

「有亜、もし私がちょっとでも殴って良いから」

 鼓は言った。

「もし、これで帰ってこなかったら怒るよ」

「帰って来る! これまで私が帰ってこなかったこと、ある?」

 調は、できるだけ頼もしげな顔をすることに気を遣った。少しでも仲間に弱音を吐くわけにはいかなかった。

(これだけ、私にものすごい責任がのしかかってる。弱音なんて吐いちゃいられない)

 久米次の顔を思い出した。確かに、調にとっての英雄であった時が確かにあった。

 たとえそれが本物の久米次ではないとしても――それにすがりたかった。


 ◇


 午前十一時二十三分。

 ざわめく静寂は、腕時計に目をやった。

 そろそろ、彼らが動き出す頃だ。

 音代たちは、

「火災が発生しました。皆さんは落ち着いて避難してください!」

 アナウンスが流れ、人々が驚いた。

 無論、ミューノイズがここに大量に潜伏しているなどと公表できるはずもない。

「さあ、急いで!」

 平川が走り寄り、

「あの……久米次さんは避難しないんですか――」

 静寂は一切表情を変えず、平川の胸倉をつかみ、音色を吸い取った。

 そして、スタジオの中に引きこもってしまった。必ず彼がここにやって来ることを、直感で静寂は悟っていた。


 午前十一時四十三分、音の台は無人となった。ただ一人を除いては。


 正午のメロディが流れた数秒後、それはひどいノイズにゆがみ、それからさらに三秒以内に、ミューノイズの群れと音代の軍団が動き出した。

 姉妹の斬撃が音の影を切刻み、塵に帰す。

 和のフルートがミューノイズの動きを惑わせ、その隙に律真や木枝の音色がほとばしって砕いて行った。

 さまよえる旋律の傀儡がミューノイズと取っ組み合いになり、その下を二胡や音代が通りすがっていく。

 しかし、決して音代の演奏はただ思い思いの音を鳴らすだけのざわめきではなかった。きちんとしたテーマと音符に沿い、秩序を持って奏でられていた。

「二丁目まで後退しろ!」

 今や六鹿区の一画は騒乱の場となっていた。

 ピッツィカートをきかせ、周辺にいる影をまとい羽を生やしたハンドベル、脚のついたピアノを切り裂きながら、弓刃が言う。

「急いで、調!!」

 調は走り続けた。

 鍵二の叫び。

<この高音で通路を切り開かせてやるよ!>

 横から巨大な灰色のギターが倒れかかり、調を襲った。

 吹き矢が飛び、一瞬でギターをばらばらにした。凄まじい威力だ。

「旋律!?」

 笛降下してくる旋律。

「俺に感謝しろ! んっ!?」

 旋律の背後にいた、鎌のように冷たい色のハープを黄金色に光り輝くパルス波でぶちぬき、紐奈が現れる。

「ちょっと、後ろ見てた?」

「俺の感覚は人間のままだからな! そう四方に対応できるか!」

 少しだけ、旋律の声がしどろもどろになっていたが、調も、紐奈もそれに気づく暇などなかった。

 激闘の中に身を任せていたら、いつの間にか調の足は音の台の扉の中に滑り込んでいた。


 いつもなら誰かが必ずいるこのタワーの中がこんなに人気のない空間になっているのが、驚きだった。

 ミューノイズの気配はなかった。やはり、静寂は調と二人で決着をつけたいのだろう。

 エレベーターで、十六階に向かった。そこに昇るまでの時間が、調にとっては永遠に感じられた。ひたすら、心臓の鼓動が止まらなかった。

 扉が開いた時、もうすぐ前に島沢久米次が立っていた。

「来たか、調」 久米次のままの声で。

「久米次さん。やっぱり、お気持ちは変わらないんですか?」

「僕が、人間を襲い続けるのを厭わないことか?」

 無言でうなずく調。

 ざわめく静寂は、

「どうも落ち着かないみたいだね? とりあえず、一番上まで登ろうか」

(私から戦う力を奪うつもりだな) 調は思った。

 二人はゆっくりと階段を上り始めた。

「悪く思わないでくれよ。僕だって君とこうして話し合わなきゃいけないのが辛いんだ。本当なら、普通の人間同士として接し合いたかったのに」

 調は、冷静でいようとした。しかし、静寂がまるで他人事のように言っているような感じがした時、やはり怒りで理性がぐらついてしまう。

「最初から、そうできましたよね?」

「あのお方に命じられたんだ。それが僕の存在する唯一の理由になったんだから」

 調には、静寂が空虚な人間に見えた。

 そして、こう思い直した。空虚な人間にさせられた人間なのだと。

「見慣れた光景だ。でも、もうこれを見るのもこれで最後かもしれない」

「どういうことですか」

「今日で金手の街は終わるんだよ。そして人間たちの響きも」

 調は、知らずにはいられなかった。

「何が起きるんですか」

「全てを音色に変え、あのお方に聞かせてやるんだ」

「そうしたら、久米次さんは満足するんですか?」

 静寂の声には、さしたる感情がない。

「知るか、そんなこと。僕がこの世に存在する理由なんて、それ以外ないんだから」

 調は、久米次を血も涙もないミューノイズだとは思いたくなかった。

 あの時は、そう思ってしまったから自分のこれまでの歩みその物を否定しようとしてしまった。

 だが、現に調は確かに音楽家としての真っ当な道を歩んできた。そしてその大本が間違いなく久米次にあるのも事実だった。

 であるならば、このざわめく静寂を、今度は本当に、自分のあこがれた島沢久米次に変える他ないではないか。

「冗談じゃないですよ。これまでの久米次さんの活躍がそのためだけだとするなら、あまりにも悲しすぎるじゃないですか」

 静寂は、黙ったままだった。

(そんなこと、させない)

 調には、秘策があった。

「あの、これ……見てください」

 調はポケットから紙切れを取り出して、見せた。

 本当は、こんな傷ついた形では見せたくなかったものだ。だからすごく恥ずかしいのだが、今となっては仕方がない。

「昔、久米次さんにもらったサインです。私、本当に嬉しくって」

 本心から、調は笑顔を浮かべた。

「けれど、久米次さんがざわめく静寂だと知った時、私は憎しみに駆られて、このサインを引き裂きました。それで、もう久米次さんに関する全ての物を壊そうとさえ思いました。……でも、そんなことをした所で私は何も変わらない。私が、久米次さんのおかげでここまで来られたことに変わりはないんです」

 久米次は、ほとんど表情を変えなかった。

「私、久米次さんのことを嫌いになりたくないんです。ですから……お願いです。自分自身で、音色を奏でていただけませんか」

 久米次は外の光景を眺めたまま、調には一瞥すらしない。

「僕は、音色を信じられなくなった。昔の僕には君みたいな感じがあったような気がする。でも、長い時間でそんな心は擦り減ってしまった。今ではもう、音楽を奏でるだけの装置になってしまった。そこから変わろうとも思わない」

 調に、再びあの鈍い、殴られたような衝撃が訪れた。だがもう、動揺などしない。

「……ありがとうございます。久米次さんの考えがよく分かりました。久米次さんは昔のまま変わらないんですね。私、久米次さんの意志を尊重しますよ」

 そして、一気に表情を切り替える。

「でも、もう今のあなたを私のあこがれた久米次さんだとは――もう思わない!」


 調はギターを鳴らした。

 火矢のように、静寂の周囲を駆け巡った。

 静寂は、さすがに恐怖を覚えた。そして、高揚した。


 ――暗い闇の中、ぎらぎらした光を受けて照らし出されるライブ会場。少女がギターを鳴らす。その時だけ、そこは彼の王国となる。


 調は、無数の音代を背後にして、演奏を織りなす自分自身を強くイメージして、立ち向かう。


 ――それは自分自身のためであり、誰かのためでもある。目の前にいる人をこのリフでたぎらせるために。この世界の一角を、変えるために。


 静寂も『宵闇の黄昏』を構え、調のギターに応戦する。

 その黒い弦がごく低い音をはじき出すたび、静寂の周囲からは沈黙の棘が押し寄せたが、調の音色はそれらをことごとく跳ね返した。

 調は、あと少しの所で静寂を追い詰める所だった。

 だが、静寂はざわめきの靄と変わり、突如消えた。

 調は、周囲を見回し、ギターを鳴らす手を決して止めずに、感覚を研ぎ澄ませようとした。

「そこっ!」

「ぐあっ!」

 調の旋律が轟く。

 静寂は一瞬消えかけた。調は絶妙なリズムで手加減していた。

(ここで倒すわけにはいかない。倒してしまえば、あの声の主の手のひらの上)

 ミューノイズとの戦いは、そもそもあの声に仕組まれたものだ。

 この戦いで奏でられる音楽のどれもが、結局あいつの養分でしかない。

 仮に静寂を消して、音代が勝ったとしたらどうする? あいつは、音代を思いのままに操るに違いない。

 勝敗、どちらであってもいけないのだ。もっと別の終わり方で――

 調の胸に、突き刺さった。それは、現実の傷ではなかったが、しかし感覚としてはまさにそうだった。

 右手に宵闇の黄昏を抱えた静寂の左手がピアノの弦となり、調の体内に入り込んでいた。静寂は、大きな声で笑った。

「この時を待っていたんだよ。六条調!!」

 弦が静寂の元に帰り、人間の手に戻った時、調のギターが空しく落ちた。倒れ込んだ調に静寂は乱雑な歩みで近づき、

 静寂の口に、調の音色が流れ込んでいった。そしてそれは、静寂にとっては久しぶりに心を激しく打たれるような新鮮味に満ちたものだった。

 静寂は、むせた。その直後、体内で何か巨大なものがもぞもぞする感覚に襲われ、倒れ込んだ。

 しかし、恐怖はない。むしろ、静寂は狂喜していた。

「これだ! これだ……!!」

 静寂の顔や背中が異常にふくらみ、歪な輪郭を描くように膨張した末に破裂した。


 それは、音楽の荒波となった。凄まじい雑音が、絶壁のような高さで音の台からほとばしり、灰色の響きで空間を塗りつぶしながら音代も、それ以外の人間も巻き込んでいった。

 そして街は、奏でを止めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。