Session.40 響き渡るまだ見ぬ奏で(終)
表向き、島沢久米次は療養のため長期休暇中、ということになっていた。彼の正体を知らない多くの人々は、彼の再活動を心待ちにしていた。
あのお方は、ずっと待っている。どんなに待とうが、恐らく彼にとっては一瞬なのだろう。
あのお方は音色を求めている。音色を生み出す手段など、戦いでなくたってどうでもいいのだ。
だからこそ、調は意趣返しをしなくてはならないのだと考えた。
これまでずっと戦い合っていた人たちと、すぐには仲良くなれなくても、少なくとも単によく知らない、知ろうともしないままであっていいはずはない。……とはいえ。
調は、大勢の前であんな風に威勢のいいことを言ってしまった瞬間を、後悔しそうになった。
ミューノイズと人間が共同で演奏をする。これまでずっと傷つけ合った関係の両者が手を取り合うなど、到底容易なことではない。
ざわめく静寂とさまよえる狂騒はポラリスの部室にいた。静寂は、人目を避けるために島沢久米次とか若干違う顔をしていたが、それでも体格から面影はあった。
狂騒は、有亜と共に発声練習をしており、盤子と倉香が興味深そうに様子を観察している。
ギターを取るが、まだその動きは拙いものだ。
「その……やり方がまだ覚わってないんだが」
久米次が言った。その頼りない雰囲気を見ると、あんなにも恐ろしかった『ざわめく静寂』とは似てもつかない。人々から奪った音色を全て捨てた結果、もう彼は音楽に対する知識をほとんど失ってしまっていた。
「こうですよ、久米次さん」
思わず『忘れたんですか?』などと聞いてしまいそうになる。
自分が指導する側なのが何となくおかしかった。
狂騒は、かつて彼らを自分の思いのままに操ろうとしたことを悔いていた。狂騒は、こうして調たちと一緒にいる時、それまで感じたことのない自己肯定感や安心感が胸の内から湧き上がってくるのを否定できなかった。
倉香も、狂騒が歌が上手いことに対してとても感心していた。
「すごいじゃないですか。最初からそういう歌声でみんなを魅了していればよかったのに」
「ありがとう。母星では音楽なんてのはあまり評価されてなかったから、私の歌もあまり注目してもらえなかったの。でも、その時にあれが来て……」
狂騒がその先を話しづらそうにしていたので、倉香の方がさらに尋ねる。
「あの……狂騒さんが普通の人間だった時って、どんな暮らしをしてたんですか?」
「地球とそう変わらないわ。しいていえば、宇宙の惑星同士を往来できる技術があったくらいかしら?」
彼らがかつて暮らしていた星のことなど、知る由もない地球人たちは、興味津々で聞いていた。
(どうして、こんなことが気持ちいいって分からなかったんだろう)
それに対して何となくうれしさを覚えると同時に、狂騒は最初からこうしなかった自分に、自己嫌悪を感じてしまうのだった。
調はそれから、口数の少ない鼓に尋ねる。
「何突っ立ってんの、鼓?」
「……ほんと、いつの間に仲良くなっちゃって」
ただ一人、忸怩とした表情を変えない者がいる。
鼓は、調たちが静寂と狂騒に対する態度を軟化させつつあるのが腑に落ちなかった。確かに元から悪い存在ではなかったにしても、ずっと人間に対して害をなし続けた奴らなのだ。そんな奴らとの確執を水に流していいのか。
「私は、二人のやったことを絶対に許さないからね」
「うん。私もだよ」
鼓の言葉を、調は否定しなかった。誰もがいきなり変われるわけじゃない。
鼓の声が、少しだけ調子を変える。
「……でも、今の私たちには彼らの力が必要。それは理解できる。今度の演奏には協力してほしいし、二人が生み出した工夫やアイデアが地球人類の音楽に新しい風を吹かせることもあるかもしれない」
静寂と狂騒は、静かに笑顔を浮かべた。
これ以上憎み合う必要なんてどこにもない。
「さあ、今日の練習を始めようか!」
教室に中で、将来の人生についての会話を聞く機会が多くなってきた。
ポラリスの面々も、そういう話を何回もされた。ミューノイズたちとの演奏を合同で行う計画。それに熱中しているのだからなおさら彼らは浮いてしまった。
しかし、調にとってそれは就職より大事だった。進路に関して話題を振られ、
「分かってるよ。でも……それより大切なことがあるんだ」
調がそういう言葉で返しとおした後で、紀田が彼に近づき、
「ずっと明確にやりたいことがある人は強いよ」
その隣、切磋。
「本当に。でも俺も、そんな調を見て、うらやむだけじゃないぜ」
「切磋くん?」
「調のことずっと見ててさ、すごく自信にみなぎってていいなって思ったんだ。俺もそんな風になりたい」
調は言った。
「なれるよ! 切磋くんなら」 自分も同じ気持ちだとばかりに、得意げな顔を浮かべる紀田。
「ありがとう。ミューノイズの人たちむけの楽器を作ろうと思っててさ……家業を継ぐだけじゃ、つまらないから。もっと新しいことがやってみたい」
調は、変わりつつある未来に期待を膨らませた。
ポラリスの外に目を向けると、依然として調たちに対する無理解が蔓延していた。特に音代の間でミューノイズへの敵意はなお根強かった。
木枝と軸実の誘いを受けて、倉香は音の台三階、曽富良珈琲店に行き、人生で初めてのコーヒーをたしなんだ。
倉香はとりとめのない会話をしたかったのだが、木枝はどうも調のことについて面白くないらしい。
「何が共同や! あないな連中は断固として追い出さなあかん!」
「調はんのおっしゃったことやさかい、私らがとやかく言うことやおへん」
「まだあれは音を吸い出す力を有しとるやないかい。人間にとっての脅威であることに変わりあらへんのや」
軸実は、木枝がとげとげしい声を出しているのを見て辛そうに眉をひそめた。
たしなめる倉香。
「言い過ぎですよ、木枝さん」
木枝はまだ気色ばんでいる。
「いや、言い過ぎやあらへん。そもそもあそこにおるやろ。何でまだ生きてんねや……」
「でも、もう悪さなんてできないくらいかわいい姿じゃないですか」
狂騒は、それを離れた所から黙って聞いていた。結局、これが世の中の大勢なのだ。
ミューノイズはみな、音代の監視下に置かれていた。彼らは人間に悪さをしないように、音代から離れて活動することを一切許されない。
人間たちが休息している夜中は、旋律とその傀儡がその動向を監視している。
狂騒が机に置いている左手の横には、手のひらほどのサイズしかない迫りくる轟音と、周到なフィナーレがぼそぼそと話し合っている。爆散した時飛び散ったわずかな残骸から復元された彼らはもう、元の怖ろしいミューノイズとしての力をすでに喪失している。
「我々はまだ負けていない! 必ずや我々があのお方に音色に捧げてみせる!」
轟音の腹から流れる音色は、既存の楽曲をアレンジしたものだったが、ややピコピコした玩具めいた音にしかなっておらず、人々はそれを店のBGMだと思って、聞き入っている様子だった。
フィナーレも、等身大の時とは打って違って、デフォルメされた人形のような見た目となっており、微動だにしない。ただ、ハーモニカのように格子状になった口元から、高い声が人間のように響いている。
「彼らの時代です。もはや彼らのやり方に従うしかありますまい……」
軸実は、笑顔を保ちながらも、頑なな木枝をたしなめるように鋭い目つきを見せる。
「木枝はん、見ての通り溶け込んではりまっせ」
「軸っちまでそないなこと言うか~!」 木枝は、まだ変われそうになかった。
そのままでいいはずはない。調は、この計画に音代たちを積極的に巻き込む必要を感じていた。
五人は近況を語り合うため、久しぶりに鶴舞邸に集まった。
由刃が一番気にしているのは、やはりミューノイズの状況だった。
「静寂と狂騒は、最近は落ち着いてるのね?」
調は、二人を対等な友人であるかのように語った。
「はい。ポラリスのみんなとともに、音楽の練習をしてるんですよ」
弓刃は、それを聞いて眉をひそめた。
「本気なの? 彼らがまた悪さをしないとも限らないのよ」
「確かに、かつてはそうだったかもしれません。でも、二人は今は私たちのために頑張ってるんです。だからこそ……」
調を手を挙げて、彼らに力説した。
「私たちでやりましょうよ! ミューノイズと音代に戦いを始めさせたあのお方を、あっと言わせるためのセッションをするんです!」
しかし、弓刃は冷淡だった。
「ミューノイズと、よね? 冗談じゃない」
「ああ。その通りだ」 鍵二も。
調は、そういう反応は最初から予期していた。
「でも、それじゃこれまでと何も変わりませんよ。もう戦いは終わったんですから、かつての敵とも新しい時代を開く準備をしようじゃないですか」
こういうことに真っ先に反対しそうなのは律真だと調は思ったが、意外なほど律真は落ち着き払っており、うんともすんとも言わない様子で周囲の反応をうかがっていた。
「確かに調のいう通りだわ。彼らを敵として憎んでいるだけでは何も問題は進まない。これまでとはもう状況が違うんですから」
弦奈は調の話に理解を示してくれた。しかし、弓刃はまだ意見を変えそうになかった。
「あなたは彼らに騙されているのよ。彼らはかつては人間みたいな生き物だったそうだけど、今ではそうじゃない。人間と同じような感性を捨て去った奴らなのよ」
「でも、それを言ってしまえば私だって半分は人間じゃないよ……」
紐奈は言った。
弓刃は、はっとしてやや気まずい顔になった。
弦奈は、やや口角を挙げて、安心した表情を浮かべる。
それから、周囲の様子をうかがった後、ぼそりとつぶやく律真。
「随分、変わっちまったな」
「そうですか?」
「初めて会った時のお前はいきがっているゲスだったが……今の六条調は、言うこと成すことの全てに本気がある。かっこつけて言っているようには見えない」
頭をかく調。
「う~ん、今でも正直そういう癖が抜けきってるとはいいがたいですね」
「そこだよ。お前の変わったところってのは」
(たった一人の人間を変えた。その成功体験のでかさだ)
律真は静かに言った。
「俺たちは紐奈や旋律と違って、静寂が調に対して負けを認めたことを見たわけじゃない。少なくとも、調がそう言ってるんなら信じざるを得ん」
鍵二がにやける。
「驚いたね。律真が調をそんなに認めてるなんて」
「いや、直感で言ってるまでだ」 律真は早口で言った。
「とにかく俺は、調の提案に乗ってやるよ」
そういわれると、調の心には喜びよりはむしろ当惑の方が勝った。
(信じられない。律真さんがこんなに乗り気だなんて)
そんな調がまんざらでもないように、弓刃は言った。
「……調がそういうなら、私はやるわ。お姉様も同意見のようだし」
調の顔がぱっと明るくなった。
それから調たちは、一眼となって努力したのだ。
静寂と狂騒、それから旋律は、人間たちの耳にかなう音色を編み出すために必死に協力した。
ついに、その日が来た。
音の台の最上階、展望台に彼らは集まった。
かつて最終決戦の舞台となったその場所は、今や新しい契りを交わすための源泉だった。
ミューノイズの頭目を初めて見た者たちは、彼らが普通の人間とあまり変わらない見た目であることに驚いていた。彼らの送り出す眷属がみな異形だったこともあり、その張本人はもっと恐ろしい怪物だろうと思っていたからだ。
だがほとんどの人間は、彼らを悪事の元凶であるとは信じられない様子だった。
「これが『ざわめく静寂』だって?」「こんなかわいい子がそいつを打ち破ったなんて……」
調は、自分がいつの間にか有名人になっていたことに驚きを隠せなかった。そんな褒められるようなことをしたとは微塵も思わなかったからだ。いや、静寂との対決という、あの忘れがたい記憶を茶化されているような気がしてもどかしい気持ちにすらなった。
狂騒も旋律も、自分たちが憎まれる覚悟はできていたが、むしろ憎まれていないということの方がむしろこたえた。轟音とフィナーレは弦奈の両肩に乗り、何もできずに静かに揺れていた。
「石でも投げられるかと思ったけど。意外と、みんな珍しそうにしてるじゃない」
狂騒は、大衆の好奇の目に浮かない顔をした。
律真は言った。
「単に信じられてないだけさ。もし事実だとすれば嫌うようになるよ」
あらためて、調は、彼らが普通の人間であるのだということを痛感せずにはいられなかった。
静寂は、どこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。もし自分があの島沢久米次だと知られたらどうしようかと思っている様子だ。
だが喧噪はそう長く続かなかった。『あのお方』の気配が強くなった。
濃い蜃気楼のような、不透明で人間のような輪郭が現れた。
顔の部分はよく見えなかった。きっと、人間の都合に合わせてよく似た姿をとっているだけなのだろう。調は、彼が一体何者なのか知ろうとはしなかった。いや、知る必要はないのだ。それを知ってしまえば、もうこれまでの自分ではいられなくなる気がする。人々は、その神々しい雰囲気に圧倒され、騒ぐのをやめていた。
――さあ、お前たちの音色を聞かせてくれ。
あのお方の声は、頭の中に直接響いた。
誰もが、胸騒ぎを覚えた。それは、人間の声では間違いなくあるのだが、それでも人間を超えた何かとして常に認識させるのだ。
――お前たちは何を学びえた。
彼を驚かせるような音楽を奏でなければならない。これほど難しいこともない。正直今でさえ、自信はない。しかし、この心だけは否定できなかった。
調は、『おかげ』などという言葉を使うつもりはさらさらなかった。あの戦い自体はどこまで行っても不毛な営みだったからだ。『けれど』『それなのに』だ。
「私たちは、あんたのせいでものすごく苦しんだんだよ。でも、それなのに私たちは今こうして一緒にいる。不思議だよね。あんなにいがみ合ってたのに」
それから少し間をおいて、
「今から、あんたと、金手のみんなに教えてあげるんだ。私たちは、『こうあってほしくない』『こうはなりたくない』みたいな目的のためなら、一緒になれるんだよ。あんたが仕向けたような結果にならないために」
あのお方の返答は、重かった。しかし、どこか厳しさのない声だった。
――私の前でその音色を披露するがいい。お前たち全員に、その音色を聞かせてやる。
あのお方の輪郭から何か息吹のような感触が押し寄せ、中央に白い光が現れた。
「調、準備はいいか」 尋ねる律真。
「はい!」 快活に叫ぶ調。
調は、歩きだし、途中で群衆の方に向き直った。
そして一番前に立っていた一人、照俊に調は言った。
「頑張ろうね」
「えっ?」 一瞬、きょとんとする照俊。
調はむすっとして、
「そう言ってたじゃん」
照俊は頭をかきながら笑った。
「ああ……そうだったな」 そして、調は笑顔を取り戻した。
こうして、八人はまばゆい光の中に包まれた。
その光は、金手の空に舞い上がった。
金手市中の上空から、音色が流れた。誰もが、それに聞き入った。
――かつては、戦いがあった。誰もが、相手が何者かを理解せずに戦っていた。
有亜と狂騒のコーラスが畳みかけるようにうねりをあげる。
旋律の笛が、寂しげだが、美しい背景をそこに添えた。
――膨大な音色が奏でられた。喜ばせるためではなく、悲しませるために。ただ、手を取り合うということだけがあまりにも難しかった。たとえ戦いが終わっても、恨みは残り続ける。
夢見は、ギターの音色の中に娘の苦労を察した。明るい音だが、確かにそこにはこれまでの数か月の間に体験した、あまりにも深い怒りや悲しみが隠されていたからだ。
曲の雰囲気が弓刃のヴァイオリンと鍵二のチェンバロのよって一気に切り替わった。それはもう歴史なのだ。あまりにも多くの誤解がありすぎた。その一瞬をなぜ否定できるだろう。
再び調のギターが主旋律となる。最初のより、一層明るい音だ。
調は、この一瞬にまさに命をかけていた。そしてその勢いに必死に静寂が追い付こうとしていた。
しばらく何かを小声でささやいていた轟音もフィナーレも、同胞がこれまで奏でたことのない調べに、いつの間にか耳を澄ませていた。
――ともに進もう。分かり合えなくても、同じ方向を向くことはできるのだから。
音楽が終わった。
展望台に残っていた人々は、固唾をのんで、白い光の中、あのお方がどのような評価を降すか、固唾をのんで待った。
光の中から調のギターの音が高らかに、軽快に鳴った。
わっと、あたりから歓声が上がった。(完)




