Session.34 幻滅ロックダウン
六鹿区と慧光区の境目に、調にとって一休みするためのとっておきのスポットがあった。
そこに向かう途中、色々な戦いを思い出していたが、やはり、どれもこれもいい思いのするものではない。ミューノイズが自分たちと同じ感情のある生き物だと分かってからは、特に。
(戦いのために演奏するのはこりごりだ)
調は人気のない公園、ベンチに座ってギターを弾いていた。やはり、一人で演奏するのも格別なものだ。
一通り弾き終えた後、久米次が、隣に座って来た。それがあまりに自然でそっけない所作であったために、調は一瞬誰が来たのかも分からなかった。
「久米治さん?」
「また会ったね、調」
「金手フェスの時は大変だったみたいだね」
「ええ! でもみんなの協力のおかげで乗り切ることができました。ほんと、あの人たちがいてくれなきゃどうなっていたことか――」
「ん? この音は?」
スピーカーから聞こえる音がぶつ切りになった。
そして、雑音が靄となって凝縮し、
鐘から足が生えたような姿のミューノイズだった。しかし、その気配の弱さからすると雑魚のようだ。
「私に任せてください!」
調はすぐに体が動いた。この程度の敵に怖気づくことなどもはやなかった。あれだけ多くの過酷な戦いを切り抜けた後では、もはやこの程度の敵など脅威ではない。
ギターを弾く。いつものリフ。
ミューノイズは砕け散り、様々な音色が四方に飛び散った。
「えへへ……これは……この……」
「いや、いいんだ。君の腕はとても上がったよ」
「ありがとうございます……?」
一瞬、調は嬉しくなったが、すぐに違和感を覚えた。
だがそれを、すぐに気のせいだと思った。
「ミューノイズのこと、御存じですよね?」
思いたかった。
「ああ。僕が知らない訳ないだろ。もう毎日のようにSNSで話題になってるんだからね」
「久米次さんは心配しなくていいんです。私たちに任せてください」
「うん。君たち音代との戦いももうそろそろ終わらせたいからね。こんな悩みごとは片付けるに限るよ」
「片付け……え?」
調の胸に思い切り鋭い痛みが走った。彼はその直後、顔を引きつらせながら後ずさった。
「違う。あなたは久米次さんじゃない」
久米次はさして衝撃を受けた様子でもなかった。
「君がそう思い込みたいだけだ。僕は嘘をついていたつもりはない」
「嘘って……嘘ですよね?」
久米次は、やや悲しげな瞳を浮かべ、
「僕が『ざわめく静寂』であることくらい他のみんなには知れ渡っていたんじゃないのか? さまよえる旋律がもうあんなに洩らしているのに?」
「お願いですから、冗談はやめて」
静寂は、ためいきをついた。
「人間たちは隠し事をするのか。やはりそれでは僕たちを感動させるセッションなんてできるわけもない」
もうこれ以上、正体を隠す必要もない。静寂は、もはや島沢久米次としてのベールをはぎ取ることにした。途端、雑音があたりにまき散らされ、黒い霧と共に久米次の仮面が霧のようにはぎ取られた。
「僕はずっと君の戦いを見ていたんだ、六条調。あの時、僕の目の前から逃げなかっただけでも、君の音色はまさに奪うに値するものだとずっと思っていた」
「そんな……違う……これは嘘……」
調は衝撃だった。
ただ単に、久米次がミューノイズであったことだけではない。
久米次がミューノイズであったということは、
「ここ十年、人間たちの音楽の真似事をしていたけれどね、結局彼らの真似をしても、僕自身の心は満たされなかった。彼らの心は満たされた。だが、それだけだ。結局、どれだけ人間の音色を吸い取っても、僕には自分自身の音色を作り出すことはできない。人間の肉体を捨てた時、社会に動乱をもたらす音色に関するセンスも一緒に捨ててしまったらしい」
調は、動揺を隠せなかった。
「じゃあ、私が久米次さんから得た感動も……全部嘘だったんですか?」
「全て、嘘だ。君の思い込みに過ぎない。だが、少なくとも君は自分自身の音色を作り出すことができる。僕はそれに賭けることにしたんだ。それをあのお方に捧げれば、少なくとも人間たちに音楽もどきを奏でてやるよりは」
もう、調は久米次の姿を正視することができなかった。
久米次は、優しい声で言った。
「六条調……君も肥しになってくれ。だが、今じゃなくていい。あの音の台で、――」
調は、しばらく絶叫しながら走った。
背中に背負うギターも、心の奥底まで突き抜けた絶望に比べれば、大した重みではなかった。
「おかえり……」
紐奈も母の姿も、調の目に入らなかった。
アルバムをじっと見た。
突然CDを壁に投げ、叩き壊した。
「ちょっと調、何しているの!?」
調は、怒りに任せて棚を蹴り上げた。ファントムキングの玩具が衝撃を受けて床に倒れた。
「全部嘘だったのかよ!!」
投げた。CDケースを踏み砕いた。
「やめなさい!!」 夢見は調を羽交い締めにしようとしたが、調はすぐに母を振り払い、破片をさらに手でたたく。血がほとばしる。
「この音も! 歌も! 全部!!」
「調!」
紐奈の力では、調を止めることはできなかった。紐奈は、光になって部屋の隅に縮こまってしまう。
それを見て、調は、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことを分かっていたが、それでもまだ暴れたい気持ちを抑えられなかった。
「一体何があったの……?」
調は、背負っていたギターをケースごと放り投げた。
そして、久米次のサインの描かれた色紙を、折って引き裂く直前で止まった。
二人の心配する前でこんなことをしても、何にもならない。
「私の全部、返せよ……」
紐奈はそれで、分かってしまった。
「知ってしまったんだね。あのこと」
調がどれだけ久米次を尊敬していたかと思うと、真実を知ってしまった時にこうなることは覚悟していた。だがまさか、これほど絶望するとは思っていなかった。
夢見は、心が苦しくなった。彼もまた、あの事実を娘に教えないように音代から告げられていたからだ。
調は、へたりこんで、弱々しい声、
「もうだめ。もう私、戦えない」
閃光の姿から人に戻り、調の肩を叩く紐奈。
「何言っているの!? 私たちが戦わなきゃ、誰がみんなを守るの? 私たちで、みんなをミューノイズから守るのが使命じゃんか!」
「そのみんなの中にミューノイズがいるんだろ! 好きだった歌が、誰かから奪った音色でできていたなんて……受け止められない!」
調は、顔を赤くしながら、何とか泣かないように努めていた。
「こんなことを知るのなら……最初から音代にならなきゃよかった!」
「ふざけないで!」
夢見が叫んだ。
「それでも……調が助けてきたことは、事実でしょ!?」
「もういいよ! もう私には何もないんだ!!」
調はわき目もふらずに泣き始めた。
照俊は、気になって鼓に聞いた。
「調、遅いな」
「いや、その……学校に行きたくないんだって」
「行きたくない?」
鼓や、他のポラリスの面々はすでにその真相を察していた。しかし、それを世間に公表するわけにはいかなかった。
「何でもよっぽどのことがあったらしいよ。あまり」 苦々しい表情。本当のことを言えないのが、これほど苦しいとは。
しらをきる倉香。
「きっと、ファントムファイブの放送が中止になるのがショックなんだよ!」
(そんなのでこの二人が納得するわけない)
正直、鼓たちにとってもこの事実は耐えられないものだった。
この街の誇りともいうべき島沢久米次が、ミューノイズの総大将『ざわめく静寂』であるなど、調にとって耐えられるものであるはずがない。
これを、ポラリス一同は、さまよえる旋律から聞いて知ったのだ。
「まあ、要するにざわめく静寂の楽曲は、みんなの音色をかき混ぜて作ったものでしかない。そこに静寂自身の創意工夫なんてないのさ。ただ、誰もが内に秘めた音色を元にしているから、重複するものがないように聞こえるだけであって」
「そんな盗品を、私たちはずっと久米次さんのものだと思って、慕い続けていたことになる」
「じゃあ……あの人……あいつ……泥棒……」
盤子の目つきが分からなくて他の三人は心底安心した。
さまよえる旋律には、人間たちの悲哀はそこまで重いのかという意外な気持ちがあった。彼らには、
「まあ、俺はあいつと違って音楽を作ることはできるけどな! どうもミューノイズの祖先は音楽ってのが原因で肉体を捨てなきゃいけなかったらしいからな……少なくともあいつに比べればまだ罪は軽い」
「だったら謝って来てよ。弓刃さんを呼ぶよ」
旋律のしたり顔が一瞬で消えた。
「ひえぇ……弓刃様が来るなら」
倉香が提案。
「みんなで、調の元に行こう。それで……もう一度説得してみようよ」
「あの……調はいますか?」
夢見は、とても気分が重かった。
「いますよ。あまり誰とも話しがたらない様子だけど」
そして四人は調の部屋に通された。そして、調のやつれた姿に誰もが衝撃を受けた。調は、仲間たちが目の前にいるのに少しも気に留めず、黙ってへたりこんでいた。
ほとんど片付けた様子がなかった。壁に物をぶつけた跡があり、愛用のギターも、乱暴に投げ捨てられている。
壊されたCDを見て、倉香があきれる。
「ひどい……どうしてこんなこと!」
ファントムキングが床に倒れているのを見て盤子はキレそうになったが、今はそのことで怒る場合ではなかった。
壁際に座って、うつろな目で見てくる調。
「あの人がミューノイズだったからだよ。そりゃこんなこともするよ」
盤子は、調の声に潜む激しい絶望を悟ると、もはや玩具がぞんざいに扱われたことで怒る気持ちもなくなってしまった。
「もういいんだ、ほっといてよ。もう私には、戦う理由なんてなくなっちゃった。全部、あの人の手のひらの上だったんだよ」
調にはもう、仲間たちの声も心には響かなかった。
「私、もうポラリスとしての活動も、演奏もやめる。あんな動機でこの道を志した私が馬鹿だった」
調の声には、ほとんど生気がなかった。鼓も、盤子も倉香も、その悲痛な様子にすっかり沈黙していた。
ただ一人有亜だけは、決して悲しまなかった。むしろ調のやるせない様子を見て、腹立たしく拳を握りしめていた。
有亜は低い声で尋ねた。
「そのままでいいの? 音代のみんなが次の戦いに備えているのに、調だけ何もしないでいて、いいの?」
「律真さんや紐奈がやってくれるじゃん、そんなの」
紐奈が何か言いだす前に、有亜が叫ぶ。
「冗談じゃない。あの時、私をひっぱたいて正気に戻してくれたのは誰だったの?」
「そんなの……今更……」
有亜はこらえきれなくなり、調の頬を思い切りはたいた。
「何すんだ!」
調は激高して有亜をにらみつけた。
夢見は、止めたくて仕方がなかったが、しかしこれが彼らの問題であるということも痛いくらい分かっていた。
「あんたが今みたいにやってくれなかったら、ミューノイズに好きなようにされていたんだよ! そして、あんたが今戦わなきゃ、また同じことが繰り返される!」
調は、まだ自分自身の世界に閉じこもって言い返す。
「どうせ私なんて音代としても、演奏者としてもたいしたことないんだよ!」
有亜は調の肩を思い切りつかみ、指を痛くなるほど食い込ませた。
「私は、ずっと調みたいになりたくて仕方なかった! 私が持ってない物を調は全部持っている。だから私は一度は調を妬んで、ミューノイズに手を貸してしまった。調はさ、恵まれてるんだよ。その恵みを自分から捨てるってどういうわけ!?」
誰も、有亜を止めようとはしなかった。有亜はずっと、心の奥底にためこんだ思いを解き放っている際中なのだ。
「私、調はすごい奴だって思ってんだ。誰もが持てる才能なんかじゃない。そのすごさを自分から捨てるなんて――絶対許さないから!」
調の心が、揺れ動いていた。有亜から、こんな激しい告白を聴くのは初めてだったから。
思えば、あれからポラリスの面々とはずっとわだかまりがあった。音代としての戦いを積む内に、
その溝をはっきり指摘された気がして、急に調は恥ずかしくなった。
「……私だって、有亜はすごいと思ってる……」
紐奈は、希望がほの見えた気がして、少しだけ目に輝きを取り戻した。
「ただ、私が倒すべき相手があの人だということが受け入れられないの」
鼓はしかし、まだ調が戦意を取り戻したようには思えなかった。殻の中から、かろうじて顔をのぞかせただけだ。再び奥に引きこもってしまってもおかしくない状態にいる。
倉香は鼓の不安げな表情を見て、その意図を察したのか有亜の横、
「私、思うんだ。本当に『ざわめく静寂』って、ただ音色を奪って、演奏するだけで満足してるんだろうかって」
首をかしげる調。
「さまよえる旋律も、うるわしき狂騒も、前みたいに人間たちをただ襲うだけの怪物じゃない。みんな、人間の音色を奪うことに疑問を感じ始めてる。もしかしたら、静寂だって説得できるかもしれない」
目を細める調。
「でも……あいつはもう長い間そうしてきた。今更やり方を変えるとは思えない。それに、そんな悪どいやり方に気づかないで、私は音楽の道を志してしまった。それを思うと、本当に私なんかに音楽を奏でる資格があると思う?」
紐奈が倉香の反対側、
「あるよ。少なくとも、久米次さんにあこがれた気持ち、音楽を奏でる喜びその物は本物なわけじゃん。それを否定することは誰にだってできない」
盤子がうなずく。
「私も……そう思う」
鼓が、
「同意見。きっかけなんてのは、不純でも構わないからね」
しかし調は、まだ再起できる気分にはほとんど遠かった。
(けれど、私にのしかかるこの悲しみを、誰が取り払ってくれるの)




