Session.33 狂騒の凪
(人間たちは、いいな)
さまよえる旋律は、聴衆たちを後ろから眺めながら、もの思いにふけっていた。
(俺はあの中に入れない。許されていないんだ)
ミューノイズは、あまりに罪を重ね過ぎた。
「一緒に聞かないの?」
「音代の音色で傷つくだろ。大体俺はすでに人間に危害を加えている。どうせ歓迎されないさ」
「そっか。まあ、どんなに頑張っても文句を言う人はいると思うけど」
紐奈は、旋律にまだ感情のしこりがあった。調はだいぶ許したのだろうが、やはりあれをそう簡単に過去に流せるわけがない。
「最初から仲良くしようとはしなかったの? そうすれば、そんな風にたそがれなくて済んだのに」
「俺達にとって音楽とは単なる糧。存在を維持するための道具に過ぎない。先祖がどんな風に過ごしていたかなんて知らないし興味もない」
光子生命体たちにとっては、今だけが大事だった。それ以外の未来や過去については、全く気にする様子がなかった。
過去を探り、自分のあり方を求めることが人間的なのだと、紐奈は気づいた。
「でも、誰かさんのせいで人を襲うようになった。取り返しのつかないことをやったんだよ、あなたたちは」
だが二人はそれ以上会話を続けることはできなかった。
寂乃が感動しながら、旋律の元に走り寄った。
「あなたが音響生命体なんですね!?」
「触らせてくれませんか?」
「ちょっと、いいの?」
寂乃は触った。
色々な雑音が聞こえてきた。
「うわぁ……」
「俺たちは音でできてるからな」
「あの……それなら、どうやって発生したんですか?」
「はあ? 知るかよ、そんなの」
旋律がしゃべるのも面倒くさそうなので、代わりに紐奈は言ってあげた。
「元々はホモ・サピエンスと同じだったんだが、色々あって肉体を音に置き換えたそうです」
「えっ、じゃあ宇宙人じゃないですか!」
寂乃の質問に旋律は、
「ああ、ちなみにこいつも宇宙人と地球人の混血だ」
紐奈は、返答に困った。
「えっ!? わ、私は……」
「知ってます。何でもお父さんが光子生命体なんですってね」
「ちょっと、やめてよ! 私は確かに半分光子生命体だけど、自意識は人間なんだから」
「ご、ごめんなさい。つい、好奇心で……」
紐奈は頭をかいたが、実際にはもう少し傷ついていた。
(冗談じゃない。好奇心でどれだけ人が傷つく分かっているの?)
「ミューノイズは、こうやって別の姿に変身することもできるんだよ」
すると、『さまよえる旋律』は普通の少年に擬態した。顔は元の姿の面影をやや変えただけだが、それ以外の体の飾りは全て取り去り、目立たない格好となっている。
「金手市の有名人に島沢久米治って奴がいるだろ? あれはざわめく静寂が人間に扮して行動してるんだ。多分、じきに正体を現すかもな」
「え?」
「いや、それがどうかしたか?」
旋律にとってはあまりに当然のことだったのだろうが、それは彼らにとってはあまりに信じがたい事実。
「それは……」
だが二人はすぐに共通認識を得た。これは調には、秘密にしておいた方がいい。顔を見合わせる紐奈と寂乃。
「あの……この生地、触って良いですか?」
「おい、気持ち悪いぞ」 迷惑がる旋律。
「音で姿を変えられるんだ。音を形に変える技術を、俺たちの先祖は発明していたらしい」
「すごいじゃないですか! 地球とは全然違う科学の発展をしてたんですね! 歴史とかご存知でしょうか?」
旋律ははっきりと迷惑がっていた。
「もう一度言うが、俺は自分の先祖がどう生きてたかなんて興味がないんだ。気づいてたらこういう姿になってたんだよ」
調も紐奈も、彼が人間ではない存在であることを全く気にせず、ずけずけと質問を投げかける寂乃の豪胆さには舌を巻くばかりだった。
「あの、じゃあ、楽器を普通に演奏したりできます」
「色々としつこい奴だな……。分かった、やってやるよ!」
それを証明するために、リコーダーを普通に吹き回してみせた。
「ミューノイズの方々って普通の演奏がお得意なんですね!」
「そりゃ、音代と同じように演奏で力を発揮するんだから当然だろ」
『方々』と言うほど彼らは敬意を払うに値する連中ではないだろう、と調は思った。
たとえ本質的に悪ではないとしても、これまで互いに重ねてきた敵意を払拭するなど数日でできることではない。
「寂乃は、旋律が直接人間に危害を加えたのを見てないからそんなことが言えるんだよ」
「でも、技術としては応用の余地がある……科学技術の発展にもつなげられるかもしれない!」
寂乃は純粋に、期待に胸を膨らませている。
紐奈は、ふと自分の身の上のことを思い返し、暗い気持ちになった。光子生命体が味わわされている身の上に、どうしても思いが行く。
寂乃の言葉に悪意はない。だからこそ、どうしようもなく胸がむかむかする。
旋律は、ふとこう思った。
(こっちの方がいいんじゃないのか?)
旋律は、周囲を見回しながら、
(わざわざあいつらの元で寂しく……そうか、『寂しかった』んだな。あの時の俺は)
静寂を倒し、ミューノイズの頂点に返り咲こうという野望に、いつしか旋律は関心を失い始めていた。
(少なくとも、静寂か狂騒か音代に襲われるよりこっちの方がましだ。こいつらには互いに理解して関係を深めようとする習性がある。それなら襲われにくい。それに……気持ちがいい。これは、気のせいなんかじゃない)
真面目な表情になり、口を開く旋律。
「俺は――」
だが、その後の言葉を続けることはできなかった。彼らに、あの声が降ってきたからだ。
狂騒は、初めてこの星を訪れた時のことを思い出していた。
この星はどこも音にあふれている。
音を食って生きていくには困らなかった。
そしてある時、あの方の声を聞いた。
「金手市に行け。私に奴らの音色を聞かせてくれ」
あのお方には自分から音楽を聴きに行く能力がないらしい。ミューノイズという、音に近い生命体との交信をやり取りを通じてでしか、音楽を知るすべがないらしい。まさにその本質によって、ミューノイズはあのお方を同胞に近い存在として認識するに至った。
この宇宙において、人間ほど音楽に関するセンスが優れている生物は存在しないという。
そして、彼らが目を付けたのが、金手市には、音楽が沢山あった。
あの方が喜びそうな音色が満ち満ちていた。
そしてそこにいる住民から音を吸収すればするほど、彼らミューノイズの体にはより音色でできた武器が身に付いた。
『宵闇の黄昏』も、さまよえる旋律の角笛も、そうやって形成されたものだ。そしてどういう音楽を人間が好むかも人知れぬ交流と音色の収奪によって次第に理解していった。
しかし、邪魔者がいた。音代たちだ。
狂騒は、戦うことに躊躇はなかった。
あのお方に音楽を届けるのを仕事のようなものだと思っていたし、あのお方がなぜ音楽を愛するかについても、よく分からなかった。狂騒も、狂騒の仲間も、音を単なる餌としか思っていなかった。彼らがなぜそれを愛好するかなど少しも見当がつかなかった。
あのお方からの使命を達成するため、狂騒がたまたま狙いを定めたのがポラリスだ。
何でもあの中に強い音代がいるらしい。正面から戦わず、誰にも気づかれず、
そこで、狂騒は人間の振りをして、有亜の嫉妬を利用して彼らの仲を突き崩し、調を仕留めようとした。
だが、果たせなかった。次に、旋律と協力して調の音色を直接奪うことに成功したが、それも彼の仲間によって失敗に終わった。
そして、金手フェスでも。あの時旋律が離反した理由が、今では何となく分かる気がする。彼らには絆があるのだ。助け合おうとする心があるのだ。タンパク質だった頃の記憶がなく、情緒の幼い彼は、それを知りたいという愚かないたずら心を起こしてしまったのだろう。
ミューノイズにはそれは本来理解不能なものだった。ずっと、この宇宙を孤独に漂っていたから。ミューノイズの遠い先祖も本来は似た者だったのかもしれないが、この孤独な旅のさなかでそんな感情はとうに捨ててしまった。
あの少女たちは、どうしているだろうか。
狂騒は、昔の自分だったら考えもしなかった疑問にとりつかれた。
そこで彼は、あの音のざわめきで囲まれ、守られた秘密の空間を抜け出て、人間界へ降り立った。
狂騒は、音が聞こえる中を歩いた。
その音楽を吸おうと思えば吸うことはできたが、今やこの街のどこにも音代がいる。
あのお方の命令にそむくということは、静寂に狙われるということだが、もはやどうでもよかった。
歩く先にポラリスがいた。かつては、彼らを使って調から音色を吸い取ろうとしたのだが、それは果たせなかったのだった。
狂騒は、彼らの前に現れた。
一同は、一気に静まり返った。そして、誰もが多種多様な反応を見せた。
「京子さん……じゃなかった、さまよえる狂騒!」
驚いて叫ぶ倉香。目を見開く有亜と鼓。腕を組んで震える盤子。
語気を荒くして、にらみつける調。
「またみんなに手を出したら、容赦しないから!」
目を細めて、力なく笑う狂騒。
「残念だけど、今日は戦うために来たわけじゃないの」
ギターを奏でる準備をする。
たとえ容姿秀麗に見えても、結局この女は騒音の集合体だ。音色を聞かせれば、四散する。
まだ、大切な仲間たちを操られ、踏みにじられた怒りはまだ新しかった。
あの時苦しめられたことを思えば、容赦など決してしたくない。
「だったら何。私は、あんたと戦う以外の道なんてない」
「そうね、戦いになるしかない。けれど今は、そうする気分じゃないの」
狂騒は、肩を降ろしつつ、
「どうやら私は、この戦いに意味を見いだせなくなってきたみたい」
「冗談じゃない。あなたたちのせいでどれだけの人間が苦しんだと思ってるの?」
「やってよ、調! こんな悪の怪人なんか!」 調の激情に呼応して、声を張り上げる盤子。
弓刃だったら、問答無用で切刻む所だろう。
しかし調は、そうできなかった。彼は人間に似ている。人間の言葉を話している。それだけで躊躇された。
「さあ、私は丸腰よ。私の音色を……絶やせる?」
狂騒を調は憎んだ。
だがあの時、旋律にあえて情けをかけたのはなぜか。なぜ、そうしなかったのか。
自問しながら、そうしてやりたい気持ちを抑えて尋ねる調。
「どうして、私たちから音を奪うの?」
た。
「あなたたちが知らない、誰かさんの命令よ」
「誰かさんって、誰?」
「私たちもよく知らないけど、あの方が私たちに音楽を聞かせてほしいって言ったのよ。人間の音色を奪うことでね」
盤子が呆然とした顔で。
「どういうこと?」
「あのお方には、人間に干渉する力がないようなの。だから私たちを使って音色を収集した」
「そんな……だったら、人間にお願いすればいいじゃない」
死んだ魚のような目で静かに見つめてくる狂騒。
「できるわけないじゃない。私たちミューノイズは音を食べることで生き永らえる生命体。そして、孤独に生きることしかできない。人間みたいに助け合ったり信じあったりすることはできないの」
「静寂は何なの?」
「あいつはただ命じているだけ。信頼関係なんてない。ただ、私は従わされていただけ」
倉香が憤った。
「何それ? 自分が悪くないみたいな言い草!」
倉香はいてもたってもいられず、
「よくわかんないけどさ、もうあんたたちは私たちを虐げている。もうその時点で話し合いの余地なんてない! 敵同士なんだよ!!」
「私たちだって追い込まれていたのよ。音で繋いでいくには限界がある。だから、より高質な音を食べて生きていく他はない。いずれ人間たちが私を憎むのは必然だったのよ!」
鼓が怒鳴る。
「もういい、調。はやくやっちゃえよ! そんな奴なんか!」
「いや、待って。こいつにはもう戦意がない」
「へえ。本当は私を手にかけるのが怖いんでしょう?」
煽るわけではなく、ただそう確信しているように狂騒は言った。そして実際、それはさほど外れているわけではなかった。
調はミューノイズを葬り去って来たが、それらは狂騒や旋律が作り出した眷属に過ぎない。
「旋律だよ。あいつとは少しだけ分かり合えた。あいつらにも人間と同じような心がある。それなら、あんたにだってそれと近しい何かがあるかもしれない」
調は、説得するように言った。
「もし、他のミューノイズみたいに人を襲わないのなら生かしてあげてもいい」
「そうね……私も好きで人を襲っていたわけではない。でも、だったらあんたたちも私に一切手出ししないで。私はこの事態からいい加減手を引きたいの」
「そんなこと言って……信用できると思う? 当事者なのに――」
「私は――」
だが、会話を続けることはできなかった。突然、前触れもなくこの一同にもあのお方の声が降ってきた。
――ミューノイズの諸君、音代の諸君。君たちには秘密の使命を別々に与えておいたが、もはや立場を使い分ける必要もなくなったらしい。
「この声……!」
紐奈も、旋律も、額を手で抱える。
しかし、普通の人間でしかない寂乃には、何のことかさっぱり分からない。
「ど、どーしたんですか、みなさん!?」
――お前たちの音色は私を楽しませてくれる。お前たちの戦いぶりは実に見事だ。おかげで私は、音楽というものの豊かさを実感することができた。
「どういうことだ、あの野郎……!」 律真が、まず憤った。
「俺たちはお前のつまらない欲望を満足させるために戦ってるんじゃねえんだぞ!」
鍵二は、呆然としていた。
(ミューノイズの親玉なのか? どういうことだ……?)
軸実もあっけにとられ、宙を眺めている。
「せやせや! あんたの走狗やありまへんて!!」
木枝は、鍵二に似て、まず怒った。
――戦うのだ。生きて音を奏でる限りは。
あのお方は、ただ自分の言葉を音楽を通して紡ぎ続ける。
――お前たちの音楽を奏でてくれ。そのぶつかり合いこそがこの私に何よりも快感を与えてくれるのだから。
最初じっとこらえていた静寂は、一人押し殺していた笑いを解き、天を仰いだ。
「はっはっは! そうか! 俺たちは煽動されていたのか!」
そういう予感はしていた。音代たちも、恐らくは同じ力に導かれているのだろうと。
しかし、自分を導いてきた者たちが、そうやって、虐げて楽しんできたことを告白されると、さすがの静寂も失笑せざるを得なかった。
「あんたは、この俺の苦しみすら音色として搾り出すんだな」
――そうだ。お前の苦悩もまた、私にとって甘い音色となるのだから。
「……もういいさ。結局音楽なんてものはろくなもんじゃない。俺は最初からお前の使命になんて従うべきじゃなかった」
返事はなかった。
凄まじい孤独が押し寄せてきた。静寂は、この感情を慰めてくれる者がいるような気がしたが、もはや仲間もおらず、理解してくれる者もいない今、止まるわけにはいかなかった。
あのお方の声がやんだ後、しばらく調も狂騒も手や腕を硬直させたまま、棒立ちになっていた。
「調、何があったの」
我に返してくれたのは、有亜の声。
「私に音代としての力を与えてくれた人の声がしてさ。あの人、ミューノイズにも人をこの戦いは、どうやら仕組まれたものらしいね」
調は重々しく、
「狂騒のいう誰かさんって、私たちにミューノイズから人間を守れって言って来た人と同じなんだってさ。何それ? おかしいよ……」
「……私だって信じたくない。あんたたちに力を与えていたのもあいつだったなんて……」
狂騒は、明確に動揺していた。
ずっと、あのお方が、この戦いを煽っていたというのか。ミューノイズには何も真実を教えずに!
「なら、そいつを叩くしかないじゃない。音代とミューノイズが一旦手を組んでさ」 鼓が投げやりに。
「今更? どうせあのざわめく静寂は止まらないわ。あいつはこの金手を襲い続けるに決まってる。自分たちに最初命じられたことを遂行するだけ」
狂騒は、逃げられもしないのに、俯瞰者でいようとしている。そのことに何よりも腹を立てた。
「この戦いを終わらせるすべはない。悲しいけれど」
「じゃあ、なおさら京子さんもざわめく静寂を止めるために、力を貸してあげるべきじゃないんですか?」
「冗談じゃない。私は、飽きた。もう、こんな遊び全てに」
有亜が何か言いたげに、
「飽きたとかじゃなくて――」
狂騒は雑音をまき散らしながら闇の中に消えていった。
「何なの、あの女」
「そう、そう!」 盤子がわめく。けれども調は、もはや狂騒のことなど気にはとめていなかった。
周到なるフィナーレが、あの時の復讐を始める。その後は、ざわめく静寂と戦わねばならない。だが、もうこの戦いを仕切るあのお方は、その時何を始めるつもりなのだろう。調は、この先が思いやられた。




