Session.32 光速ライトニングチューン
紐奈はやるべきことを知っていた。それを何とでも成し遂げねばならないということは知っていた。
それに踏み切ることに不安はなかったが、だが、本当に成功するかどうかは確証がなかった。
複雑な気分にはなるが、母が優秀な研究者であることは疑いえないし、その業績に対して少しでも疑問をさし挟むことが親不孝であることも知っていた。
だからこそ紐奈は実行した。装置によって出力を上げ、自分の時間感覚を人間の物から一気に引き上げた。
そして紐奈は、跳躍した。いつものように空間を移動するのではなく、時空を折りたたんであの場所に、自分の存在を置き換えた。
本当は、もう二度と行きたくない場所なのだ。だが、あの人が待っている。だからこそ、行かないわけにはいかない。
灰色の部屋。見慣れた場所だ。壁にはよく分からない曲線のグラフや、複雑な用語をちりばめた文章の羅列が張られている。
そして、白い机。並んだ二本の光電子管、片方の内部にきらめきが躍っている。傍から見ればただの火花に過ぎないそれは、紐奈にとってかけがえのない存在。
「父さん」
脳髄からほとばしる信号で、紐奈は意志をその光に向けて送る。
「紐奈」
光から帰って来たその波動は、紐奈にとってとても懐かしい感覚がした。
「うん。会えたね」
紐奈は、人間ではなく光の状態だった。父にとって、それが彼の見慣れた姿だった。
「ずっとお前の活躍を見ていたよ。光子生命体は、人間のような視覚にはとらわれない。たとえ外に出られないとしても、人々の姿はずっと映り込んでくるんだ」
「私も、そうやって父さんのこと、ずっと感じてたよ。あまり、どうしているかなんて、知りたくなかったけれど……」
ここは天文台の一室。
素粒子を観測し、遠い天体の位置や距離を観測する施設。だがそれ以上に、光子生命体の生態を研究し、様々な実験を行う場所だと紐奈は知っていた。正直、あまりいい印象のある場所ではない。かつては紐奈も、ここで散々な扱いを受けた物だった。
人間でありながら、人間ではない部分を持つ生命体であった紐奈は、貴重なサンプルだった。普通の少女として接してもらえなかった。
「私は、あまり長くここにいられない。母さんが渡してくれた装置のおかげで、光速で今こうやって話をしてるけれど、それもいつまでもつか……」
純粋な光子生命体と違って、紐奈は多種多様なことができる。しかし能力の強さそのものはむしろ劣っていることが多い。
デーメルドは、娘が深刻に悩んでいるのを見て取った。人間とは異なる世界で生まれ育ち、異なる価値観を得た彼は
「お前を信じる人間とやらは、お前にとってそこまで価値のあるものなのだな」
「でも父さんは、そんな人間を信じたから母さんと一緒になったんでしょう?」
「ああ。人間は脆く、短い存在でしかない。だが、時間の価値はどの生物にとっても同じだ。かけがえのないものだ。私はあの人を思い続ける。それは変わりはしない」
デーメルドは、それまでよりも強く輝いた。そしてアークのような放電がほとばしり、紐奈の体に吸い込まれていった。その時、紐奈は人間とは異なる存在になったような感覚がした。ずっと身軽で、機敏な身体を得たような。
「しばらくの間だけ、私の光をやろう。そして、彼らを助けてやりなさい」
紐奈の全身が激しく煌めきだした。彼は、父に静かに会釈すると、突如としてそこから消失していた。
一瞬だけ死を覚悟した調たちだったが、その音色は突如途絶えた。
「今だけ、バフアイテムを使うよ」
黄金のきらめきを身にまとい、紐奈がフィナーレの目の前に立っていた。
(良かった……間に合った!)
「どういうつもりだ、小娘?」
楽器に8bitの音が添えられた。律真も調も、かつて経験したことのある感覚だった。
だが和だけは、不審な表情をして、奏でるのをやめる。調は目配せをして、これが危険な状態ではないと教えた。
紐奈は叫んだ。
「私のおかげ! さあ、早く!」
調も律真も、ギターに走らせる指を一層加速させる。
天使たちの音色が左右から襲いかかるが、もはや沈黙も、彼らの演奏を止めることはできなかった。
その音色の鋭さにしても、鵜成での戦いに比べてはるかにすさまじいものだった。
フィナーレも、指揮棒を絶えず振り回し、街中の音色を茨に変え、三人に向けようとするが、三人の体からほとばしる光がそれを砕いた。
無論フィナーレもただ押されているだけではなかった。口からラッパを生やし、音色その物を無効化しようとするが、紐奈の全身からほとばしるチューン音によってすぐ音代たちの音色が再生してしまうからである。
紐奈は、旋律にも自分の音色の効果を及ぼしたい所だったが、彼に直接音色を向けることはできなかった。彼はミューノイズであり、音代の効果によってむしろダメージを受けてしまう。
(ちっ、ここはしばらく引くしかないか)
紐奈は叫んだ。
「光速が音速に負けるわけない!」
天使たちのラッパ頭が、音色を受けてひしゃげていった。
調とはギターを鳴らす手を速めることはあっても決してゆるめることはなかった。
和は、依然として何が起きたのか分からなかったが、8bitの音に変わっていたフルートの音色をフィナーレに向け、弓矢のように射かけた。そしてそれは、間髪を置かずに命中した。
フィナーレは鬱蒼とした森の中にいた。
「これは……どういうことだ!?」
音色が稲妻のように振ってきて、フィナーレの体を絶えず打ちすえた。
(なぜだ!? このような所で終わってなるものか!)
何が起きたのかも分からないまま、フィナーレは砕け散った。
天使たちも消滅した。そして調たちは、ふわふわと下降しながら地面に着地した。
「終わった……」
紐奈は急にのけぞった。その背中から光の靄が突き出て、どこかへ飛んで行った。
「今のは?」
「光子生命体の力を使ってたの。だから反動が来ただけ」
嘘はついていないが、本当のことでもない。父のことについてはっきり話すのはやはりはばかられた。
「この力を使うのって結構疲れるんだよね、前もかなりの反動があったよ」
もう、あたりの人々は元に戻っていた。
寂乃は駆けつけて、驚いた顔で言った。
「あの!? 何かあったんですか!?」
「また……ミューノイズの襲撃があったんですか!?」
寂乃はまだ息も絶え絶えな調の肩をゆすって言った。
「教えてよ、調!」
紐奈が何かをしてくれたのは間違いない。
だが、しかし紐奈の含む所がありそうな表情を見ると、どうやら彼はこの力が仕えた理由を教えてくれなさそうだ。
調のだるそうな顔を見た時、律真は、気づくとこう言っていた。
「おい、ゲス! 演奏の余韻をかきみだすんじゃねえ」
「あ、すみません……」
(おや? 俺はこんなことを言う奴だったか? ちっ、いつの間にか仲間って概念に毒されてやがる……)
紐奈は、したり顔で言った。
「さっきの奴は強かったけど……私のおかげでみんな倒せたの!」
「紐奈ちゃんね? 話は聞いているわ」
和は紐奈の前に歩いてきて、
「はい、八火紐奈です。人間でもあり、光でもあります」
それから、装置を握りしめた手をわずかにゆるめ、隙間から様子をうかがう。
装置は、もうひびわれ、壊れていた。相当な出力に耐えられなかったのだろう。
「すごく不思議な力を持った子なのね。ミューノイズなんてのがいるくらいだから、そういう」
少しだけ、紐奈は寂しげな表情をした。
「不思議かもしれませんけど、私にとってこの力を受け入れるのは楽なことじゃなかったんです。でも今では、何とか自分の歴史の一部として飲み込むことができそうにはなってます」
「いや、そうされた所で迷惑なんだけど……」
「あれ、律真さん?」 気づくと、一匹狼はもうそこから消えていた。
(ミューノイズが撤退したまま音色を返さなかったらどうするつもりだ、あの野郎!)
律真は鍵二を見つけに行った。
彼は、鍵二の音色を誰よりも愛する者として、彼がミューノイズにやられるなど何よりもたえがたいことがあった。
「おい、鍵二!」
「何があったんだ!?」
鍵二の瞳は、澄み切っている。
律真はようやく息を深く吐いた。
「てめえはミューノイズに襲われてたんだ。くそ、俺がそばにいればこんなことには……」
「あの巨大なミューノイズに音色を吸われていたんだが……倒れた時に戻って来たらしい」
「いや、いいさ。敵は倒せたんだろ?」
相手の拳を握りしめる律真。
「全く、いっつも心配かけさせやがって……今度は俺が側にいてやる!」
デーメルドは、元の輝きを取り戻した時、何が起きたのかを察して、安心した。
(人間とは、何と奥の深い生き物だ……)
静寂は溜息をついた。
音代には予想よりも遥かに強い敵がいたらしい。
音代には様々な者がいる。
しかし、ミューノイズにはただのミューノイズしかいない。
ずっと孤独の中で生きていくしかない。
「もう私は、あなたにはついていけない」
狂騒は、ついに打ち明けた。そして静寂は、それを前から予期していたかのように落ち着き払っていた。
「構わん。我々は元から仲良くしようと思っていないのだから」
島沢久米次として、偽りの仮面をかぶり、親しみやすい姿を装って来た。だがそれは全て偽りに過ぎない。静寂は、人間たちと交われば交わるほど、彼らを内心では疎むようになった。
もう何年経つか分からないが、どうやっても静寂は人間たちと分かり合おうとする気にはなれなかった。一切、静寂には絆を深めようと思える人間は現れなかった。
そう、あの一人を除けば。
音代との戦いは静寂は、
「お前も孤独になるんだ。奴らはどうせ貴様を受け入れてはくれない」
「ええ、分かっているわ。でも、あなたはもう始めるの?」
「いや、それはまだ早い。六条調に会いに行こうと思ってな。奴の音色を確かめに行く」
数時間後、人々は、音の台四階のバルコニーで営まれる、ヴァイオリンの音色に聞き入っていた。
あの時の戦いの音色とは違う、穏やかでさわやかな曲調だ。
――奏での街に、夕陽は沈む。日々、何も変わらないことが尊いのだ。
あらゆる感情と記憶を載せて、この街は今日を過ぎていく。全てが、かけがえのない思い出になる。
調は、二人の弾くヴァイオリンの音色に合わせてギターを鳴らした。目の前では数百人の聴衆が演奏を見上げていた。
それを見て、調はじんわりと胸に何かがこみあげてきた。ここまでやって来たことの何一つ、無駄じゃなかった。
ロックの道は険艱だが、それを乗り越えてこそ幸運がある。
(みんなの音色を守るために、みんなが音楽を聴けるために――がんばらなくっちゃ)
木枝が紐奈に対して色々と質問を投げかけている中、調は旋律と寂乃と話していた。
旋律は言った。
「もうこれで残っているのは狂騒と静寂だけだな」
「狂騒は、もう戦意はないようだけど」
「何、直接確かめたのか」
「うん。ポラリスのみんなの前に急に現れたの」
旋律は裏切られたんかのように、腹を立てた顔。
「何でそれを俺に教えてくれなかったんだ!」
「だって……あの時は疲れてたし。それにあんた、ミューノイズを感知できるんじゃないの?」
「できるが、光子生命体の光があまりに強かったからな。まるで俺自身の音色がかき消されるようなやばさがあった」
調は驚いた様子で言った。
「よほど強い力を残してたんだね」
「ああ……ともかく俺たちは本当に静寂を相手にしなきゃいけないことになる。ミューノイズ全体の命運がかかってる――」
急に聞こえてきた足音で、彼らはそちらに関心を向けた。
「弓刃さん! それに弦奈さんも」
鶴舞姉妹が、旋律の元に走り寄って来た。
「強烈なミューノイズの気配がしたから、すぐ行かなきゃと思っていたんだけど……」
「何てことなの……私たちが駆けつけた時にはもう全て終わっていたなんて!」
弓刃は相当に悔しがっていたようだった。
「紐奈のおかげです。特別な力を引き出して、みんなを助けてくれたんですよ」
「旋律は?」 低い声で尋ねる弓刃。
「ああ……あまり活躍してなかったと思います」
縮こまる旋律。
「弓刃様っ! 弦奈様っ! 申し訳ございませえええん!!」
和が優しい声で言い添える。
「いや、このミューノイズはきちんと活躍してくれましたよ。何しろこの人がフィナーレと話をして挑発してくれなかったら、本格的な戦いを引き出すことはできませんでしたから」
旋律は少しだけ得意げな顔になった。
「全くこの子は、ちょっとしたことですぐ安心するんだからいけない。……そうそう、ちょうど調に言い忘れていたことがあったわ。金手市の音代たち全てを集めて、防衛のための会議を開こうと思うの」
調は話についていけなさそうな様子だった。
「急に話が大きくなりましたね……」
「ああ、ごめん。言うの遅くなっちゃって。調ってさ、いつも戦ってばっかりいるから、なかなか教える暇がなくて」
「ミューノイズとの決戦が近い。だから、街中でことに当たらないとどうしようもないことになってきているの」
「でも、いつ彼らの侵攻が来るかわかってるんですか?」
「そりゃ俺がお前らに情報を漏らしているからにきまってるだろ。少しくらい俺に感謝しろ!」
静かに眉間を荒くする弓刃。
(ふん。味方になったからといってでかい顔して……ただじゃ済まさないわ)
「静寂は、前から人間界に潜入していたのさ。人間の音色を研究して、どうやったら奴らに取り入ることができるかをずっと研究していたんだよ。俺もある程度は奴の研究に支えられた所があった。そいつは表じゃ――」
旋律はそこで、口を閉じる。
「どこに奴の手先が潜んでいるか分からない。とにかく、そいつはお前らの身近な所にいる。そして、この街の騒ぎを何も知らない様子を」
(身近な所に……? 何も知らない……? いや、まさか――)
調は、不安な気持ちになった。
黙って聞いていた寂乃が紛らわすように、
「とにかくさ、私、ポラリスのみんなとも協力して街を守るために戦うからさ! 今後よろしく!」




