Session.31 高らかな黙示録
フィナーレは、ある巨体のミューノイズの上に立っていた。白く、羽を生やした異形、黄金の像の上に。人の顔ではなくラッパが生えている像だ。腕と脚にもラッパが生えている。それは、まるで異形の天使のような風貌だった。そしてフィナーレが載っている他にも左に銅、右に銀で覆われた同じ姿のミューノイズが浮かんでいた。誰一人として、その姿を事前に察知することはできなかった。
「そろそろ、始めるといたしましょうか」
人々があっけにとられる中、フィナーレは片手に問った指揮棒を静かに揺らし始めた。
黄金の天使からラッパの音色がなりひびき、人々の姿が、大理石のように漂白された。
寂乃の姿が、像のように固まった。
音代の誰もが、驚いていた。
時間が止まったように、人々が動かない。
調は、何が起きたのか理解するのに時間がかかった。
「音代だけを狙って始末するつもりなの?」
律真は低い声で言った。
「ああ……他に動いている奴がいないということはきっとそうだ!」
旋律はまだ冷静さを保っていたが、動揺を隠せなかった。
だが、ラジカセやCDプレイヤーの音などはまだ流れ続けていた。ただし、耳が曲がるような禍々しさを秘めた別の音に変わっていた。
今や街に満ちる音色が雑音に代わっていった。
至る所に設置されたスピーカーがラッパのような音に変わっていた。
「スピーカーに近づくな!」
チャート一位の歌を鳴らしていたスピーカーが、今では茨のように曲がりくねる音色を発して調を襲おうとしている。
だが、いつの間にかその場に律真が駆けつけていた。
「調!」
律真が高音を鳴らすと、茨はちぎれた。
「ありがとうございます!」
「感謝はいらねえ。早く表に出るぞ」
「はいっ!」
それから、通りを出て、空に浮かぶ敵に視線を引き寄せられる。
(今度はフィナーレか……!)
「何なの、あれ……」
調は、自分の見ている光景が本当に現実の物なのか、疑わずにいられなかった。
ラッパを生やしたミューノイズが、あと三体は宙に浮かんでいた。
「あれが周到なフィナーレの使うミューノイズだ。街を一つ制圧するだけの威力がある」
鍵二はそれを見て、心当たりがあった。
<ラッパだ。まるで黙示録みたいな……>
「鍵二さん?」
<さっき合流した。どうやらとんでもないことが起きているみたいだな……>
「ああ、とんでもないことだ。何せフィナーレが終わりの演奏を奏でているわけだからな」
律真は言った。
「なるほど、道理で宗教画みたいな絵面なわけだ」
しかし、決して彼は怖気づきはしない。
皮肉を言う鍵二。
<人間の音楽ならもうちょっと粋な演出をするもんだが、露骨すぎるな>
「だが、どれだけ豪華に飾り立てようが所詮は人間の音色のまがい物だ。行くぞ!」
そこに、ホーンの角、ハープの羽が降りてきた。
「さまよえる旋律!」
「来てやったぞ。お前らじゃあの『周到なフィナーレ』に太刀打ちできないからな」
「な、何を!」 悔しがる調。
「俺がやる。傀儡どもにもお前らを守らせてやるよ」
銀の天使がラッパを奏でる。
すると、音代たちの楽器から音色が消え始める。
「音が、絶える!」
「あいつの音色の射程から離れるぞ!」
律真が叫ぶ。
<僕は――>
鍵二の声が突然やんだ。
チェンバロの音が絶えた。
「鍵二さん!?」
調には、もはや他の音代がどうしているかの情報が流れ込まなくなってしまった。
(あの天使たち――音代たちを分断して各個撃破するつもりなのか!)
旋律の言う通りだ。
フルートをくわえた女性がいた。
その音色により、天使の動きがわずかに揺らいだ。どこか、迷路のような所に迷い込んだかのように、動きが横にそれた。混乱させる力があるらしい。
「私の名前は和。私の音色は幻影を見せる力があるの」
「調っていいます。炎で何だって焼き切れます」
二人は、一目で互いが信頼するに足る人間だと確信した。
「一緒に戦いましょう!」「はい!!」
調と和は背中合わせに演奏を始めた。
どちらも全く違う音色でありながら、調は一瞬で音色を調和させていた。
森だ。
天使たちのトランペットをうまい具合に逸らしていた。
――軍勢たちから銅鑼が鳴る。一気呵成に攻め立てようとする意志が兵士一人一人に伝わる。
天使の動きがわずかにゆらめき、そこに調の音色がつきささる。
紐奈は、ゲーム用語でこれに相当する物を知っていた。
(調のあのやり方……パリィってやつだ)
少しずつ調は、この巨体の敵に対処する方法を得つつあった。
調のギターからほとばしる熱気は、これまでよりはるかに高らかで、研ぎ澄まされていた。
だがミューノイズの演奏も洗練されていた。
銅の天使が重低音のラッパを轟かせ始めた。
頭の中に、直接眠りを注ぎ込まれるような感覚があった。調は壁に手をつきながらなんとか覚めたままでいようとしたが、この眠気は気迫で抑え込めるものではなかった。
音代たちは、次々と戦意を喪失し始めた。
旋律は、彼らを見て焦った。ミューノイズである彼だけが、その力から自由だった。
(くそっ! 俺しかいないのか!)
音代たちから、旋律は目を背けようとした。しかし、できなかった。
(あの時までは、ざわめく静寂を倒して、俺がミューノイズの首領になればいいと考えていた。こいつらはただの手駒だったはずだ。なのに、このままじゃいけないと俺の本能が言い聞かせている)
旋律は、この葛藤に驚いていた。こんな感情に、つい少し前はちっともなったことがない。
人間に、自分の音色を汚されたようなものではないか。にも関わらず、旋律はさほど気分が悪くなかった。
旋律は、天使の一人の頭上に飛び乗り、フィナーレの前に立った。
(旋律!?) 調には、旋律が天使の上に飛び乗って、背中の陰に隠れるのが見えただけ。
「なぜ君が音代の味方をしている? ミューノイズを導く身でありながら、なぜ?」
フィナーレの言葉は、重々しさを保っていたが、どことなくざわついているように聞こえた。
「ああ、俺はミューノイズとしての立場を忘れちゃいないさ。音代どもと仲良くしようとも思ってはいない。だが……今のままでいいのか?」
「何ですと?」
「人間たちの音色は、俺たちが思っているよりもずっと奥が深くて、繊細なんだ。そう雑に扱っていいものじゃない。あのお方は、音楽を奏でてもらいたいようだが、果たして人間たちから奪った音色で納得すると思うか?」
老紳士はわずかに沈黙した後、憤った。
「だまらっしゃい! 彼らの音色を理解して何になるというのです!」
「かつては私も音楽を愛していた……。しかしその音楽ゆえに憎み合い、身を滅ぼし、この宇宙空間の中を孤独にさまよい続ける身の上となったのです!」
フィナーレの顔から、荒々しい声に混じって重い雑音がこだました。
枯れた顔に、今や若々しいほどの豊かな感情があふれていた。
「たとえ我々が何を思おうが、結局あのお方の意志に沿うことだけが我々の使命なのです!」
「だが人間どもの思考ではそれは一番嫌な選択肢らしいぜ。理由はよく分からんが」
「あの瞬間を目にしなかった奴が、何を言うか!」
旋律は笛を吹いた。それは、フィナーレの胸に当たった。
フィナーレはのけぞった。
天使の音色が、一時的に途絶えた。
「紐奈!」 すかさず指示する旋律。
「早く他の音代を目覚めさせて来い。フィナーレとはしばらく俺がやる!」
紐奈は黙ってうなずいた。
「調! 律真さん!!」
危機感の迫るBGMで調は目を覚ませられた。
「さっきまで私は――」
「そんなことはいい! 早くあいつらに立ち向かうよ!」
紐奈はキーボード上の音を鳴らし始めた。
――飛行船が地上から起き上がり、浮上する。陸を海を越え、地平を目がけ新しい旅を求める。
「うわっ! 飛び上がる……!」
調たちは体が突然浮かび上がる感覚で驚いた。
「ごめん、地面は見ないで!」
だが、ともかくも反撃開始だ!
調と、律真と、和がフィナーレの目の前に立った。
「音代ども、まだ勝負はついていないぞ!」
フィナーレは激情に任せ、トランペットを吹いた。
すると、機動をしばらく停止していた四柱の天使が再び動き出し始めた。
だが、音代たちも決して指をくわえてはいない。
「さっきはよくも眠らせよったな! どついたるわ!!」
木枝が怒りをマリンバの撥に叩きつける。
金属のように光り、磨かれた球体が調たちの乗る天使に叩きつけられ、大きく揺れた。
しかし、音代の音色を害として受けるのはミューノイズだけであり、音代は全く同様しなかった。
フィナーレは、調を見ると気色ばんで叫んだ。
「六条調か。あの時はよく私の音色を邪魔してくれたな!」
「冗談じゃない。あんたたちが音色を奪うから、私たちが戦わなくちゃいけないんだろうが!」
「その通りだ! 今度こそもっと多くの人間の音色を返してもらうぜ!」
だが、律真は内心気にかかっていることがあった。
(鍵二の演奏が聞こえない。まさかミューノイズに襲われたままなのか……)
あらゆる感覚や身体能力が鍵二の演奏によって強化されるからこそ、音代たちは有利に戦えるのだ。しかし今、それに頼ることはできない。
二人を安心させるように、和は言った。
「安心して。私の音色であなたたちを守る」
調は紹介するように言った。
「和さんって言います。とても強い音代です」
だが律真は大して何も思わないように、
「知ってるさ。彼の才能は聞いて知ってる」
和は、律真を一瞬だけ怪しげな目で見たが、すぐ現実に立ち返り、フィナーレをにらみつける。
だがフィナーレは敵意をかき立てるわけでもなく、静かに言った。
「さあ、交響曲を始めましょう」
静かに指揮棒を振るフィナーレ。
天使のラッパが再び響き始めた。またあの異常な感覚が音代たちを襲いそうになるが、それに重なるように旋律の笛が聞こえた。旋律が使役する傀儡たちがアコーディオン状の腕、ハンドベル状の頭を振りかぶるように天使の尻や腹にぶつけた。ギターからほとばしる槍や牙がフィナーレを襲うが、目の前でずれ、どうしてもとどめをさすことができない。
異なる二つの音楽が、互いのメロディが優勢か競い合っているかのようだった。
和のフルートは、静かだが、しかし包み込む天使の高らかな音色を、薙ぎ払うように響いていた。
――夕陽が沈みつつある中、一匹の馬が浅瀬を駆ける。かつてざわめきに満ちていたそこは、今や草のおいしげる野原と化し、波の音が聞こえるに過ぎない。
和の音色が響く範囲内なら、ラッパの音色をごく淡いものとして聴くことができた。
だがフィナーレの指揮はなお続く。天使の一柱が、どうやらフィナーレを音代の攻撃から守っているらしい。
膠着状態。紐奈は、これが良い状態だと思っていなかった。
ミューノイズは、一体一体が強い。そして音代は数こそ多いが小さい。
このままでは力負けする。
その時、突然フィナーレの顎が人間ならばありえないほどの角度で開き、口の中からラッパが飛び出した。そして高音が轟き、音代たちは姿勢を崩した。
調たちの足元が異様な光を放ち、両側にいた二体の天使がこちらに近づく。
フィナーレは本来の落ち着いた声とは似てもつかない、機械音声のような金切り声をがなり立てる。
「融合せよ。天使」
音と光の爆発。
その瞬間、母からもらったあの装置を握りしめ、紐奈は激しく発光した。
時間が止まった。厳密には、一秒が何時間もの長さに拡大した。
調も、和も、律真も、彫像のように動かなかった。




