Session.28 真夜中辛酸ノクターン
調と夢見が寝静まった後、ほとんどやることがない紐奈はぼんやりとしていた。
半分人間ではない彼は睡眠をあまり必要としない。
ましてや、純粋な光子生命体は睡眠をしない。
父親は、地球人が睡眠することに驚いていた。光子生命体は天体と天体の間を常に移動し続けているので、停止しなければならないというのは不合理に思えたのだ。
紐奈にとっては、それが困る所だった。
(ちょっとだけ外に出よう。ちょっとだけだから!)
紐奈は光になり、それから空へと飛び出した。
夜の金手は、昼とはまた別の顔を見せる。
紐奈は、闇の中に光の網が広がる夜景が好きだった。それが、故郷で見た光景に重なるからだ。
光子生命体には家も必要なかった。誰もが自由に飛び交い、
紐奈がかつて暮らした家は、光の海の中に建つ宇宙ステーションだった。元々は地球の衛星軌道上を周回していたその施設は、他の天体で人間が生活する場合に必要な物資やインフラを確かめるための実験として地球から遠く離れた
父は風変わりな存在だった。
全く違う生命体を愛したのだから。いや、それは母も同じことだ。
あんな関係になることなんて、許されていないはずだった。あれはあくまでも観察、実験として始まったはずだった。
(そこから、私が生まれたなんて。全然、人間じゃない生まれ方だったんだけど)
いつの間にかセンチメンタルな感情に溺れつつあったことに気づき、紐奈は目の前の風景を楽しむことに集中することにした。
アミューズメントパークはまだ盛況だった。
そう言えばあそこでゲームの試合があるそうではないか。
あそこの近くに鍵二の家があることを紐奈は教えられていた。
そして少しだけ近づいた時、紐奈は、窓の中の風景を見てしまった。
「まさかあれは……律真さんと鍵二さん!?」
同じ部屋、テーブルを挟んで、二人は立ったまま身を乗り出して顔を近づけていた。
「会ってきたのか……あの女に」
「うん。もはや僕に未練はないみたいだった」
律真は、慰めるように言った。
「女は強い生き物だ。取り戻せない過去を振り返ったりはしない。その分、男は弱いもんだ……愛に関してはな」
そこで律真は弱々しい表情を浮かべる鍵二の後頭部をなで、
「だが、その弱さが俺には愛おしくてたまらないんだよ……さあ、かけてくれ。飲もうじゃないか」
二人はそれから、机に置かれたシャンパンをあけた。
紐奈は、顔を赤くして、そこに割って入りたい気持ちが芽生えた。しかし、彼らだけの時間を妨害してはならない。
鶴舞姉妹の屋敷は、あかりの一つもついていない。きっと規則正しい生活を心がけているのだ。
弓刃は、二人を驚かさないように近づいた。弓刃は、弦奈にそっと寄り添うように寝ている。
紐奈はさらに進んだ。
軸実が琵琶を演奏し、その前にいる大勢の客に木枝が混じって楽しげに聞いている。
他にも筝を弾いている人がいる。
そしてそこを取り巻くように、ミューノイズたちがいた。しかし、誰一人としてその気配に近づくことはできず、またミューノイズの内どれも客に近づくこともできず、凍てつくような波動を浴びて、その場にかたまってしまう。
客の一人として、心の音色を奪おうとする化け物がいることには気づかない。そして筝の音色が響き渡るたびにミューノイズは粉砕されていく。強い奴が現れる気配はなさそうだ。
カフェに行った。天井の照明に宿り、気づかれない程度に明るさを上げた。
シックな空間、いくつかの音代が集まっていた。その中にやけに顔の赤い若者がいる。
以前、金手フェスで共闘した金笛伊吹だと分かった。伊吹はすっかり酔っぱらっている様子だった。そばには大弓鳴我もいた。
伊吹は、いつもの理知的な様子からはほど遠い、野卑な声をあげ、
「ね、ね、いいでしょう? 僕、和さんに以前から惹かれてたんです」
「だめですよ。だって完全に酔っ払ってるじゃないですか。まだ三杯しか飲んでませんのに」
知らない綺麗な女性が、フルートを持っている。先ほど演奏を終えたのだろうか。
「ぼ、僕はしらふですよぉ!」
鳴我は、いまいちろれつの回らない声でまくし立てている伊吹を冷ややかに眺めている。きっと酒を飲まない性分なのだ。
よく見ると、女性の手元にはいくつもグラスが置かれている。きっと酒が強い人なのだろう。
「私、鍵二に会ってきたんです」
「えっ、鍵二さんに?」 驚く伊吹。
「困ったものね。あの子は今でも私の姿を見ると、子供みたいになってしまうの」
女性はさらにしゃべる。
「あの子は、私の他にも愛している人がいると言った。私を愛してくれているのは変わらないって。でも私は、全力で誰かの愛に答えたい。飲み込みたいくらいに」
(鍵二さんに異性の恋人がいたなんて)
紐奈は驚いた。
会話をよそに、二胡を机の側にたてかけ、黒縁の眼鏡をかけた男が、紅茶をたのむ。
「私は一途な女なの。あの子にとっては頑固者なのかもしれないけれど……だから、もう分かり合えることはないのね」
伊吹は豪快に、
「和さん、あんな伊達男に未練なんて残さなくたっていいですよ! 僕の方がよっぽど和さんを幸せにできるんですから!」
「別に未練があるわけじゃないわ。鍵二は自分の人生をきちんと設計してるんだってちゃんとわかった。でもそれが私の愛に合わなかった……それだけのことよ」
「ぼ、僕なら和さんの愛に答えられます!! あと、あの律真って人にも注意してくださいね! あんなぶっきらぼうな面してるくせに、ベッドの上では獣になるんですから!」
「伊吹、私の気を弾きたいんだったらそんなに飲み過ぎないことね」
伊吹は何も言うことができなかった。
音代たちもそれぞれの日常を送っているわけだ。
紐奈は、改めて彼らへの理解をもっと深めたいと思った。
そして、自分自身に問いかける。
(私は一体、何を目指しているのだろう……?)
この戦いを終えた後、どうするかについて全く考えていなかった紐奈は、つい途方に暮れてしまった。
調は、「人間とか光子生命体とか、気にしなくていい」と彼に言った。
光から元の人間の姿に戻り、地上に降下する。
見上げると、星空が綺麗だった。
そして、そして視線を下した時、目の前に見知った人がいることに気づく。それがあまりに唐突なものであったために、紐奈は一瞬、何も感じなかった。それから、様々な感情が堰を切ってなだれ込んできた。
「お母さん?」
八火玲於乃。世間では素粒子などを扱う物理学の第一人者として知られている。だが、紐奈にとってはそれだけの人物ではない。
「紐奈」
母と娘はしばらく顔を見合わせたまま、何も言えなかった。
何も言わずにそこにいられるなら、どれだけ気が楽だっただろうか。
二人は、純粋に喜べるような状態ではなかった。むしろ、感情のままに吐き捨ててやりたいことなどいくらでもあった。
「ねえ、父さんは無事なの?」
「無事よ。ただ、今では研究機関からとても出られる状態じゃないけれど」
母の感情を、娘はよく読み取れなかった。母は確かに愛情を注いでくれてはいたが、それでも研究者という一面を常にのぞかせていた。
彼にとって娘は、人間と人間以外のハイブリッド生物であり、科学技術の上で貴重な存在だった。宇宙ステーションでの豊かな生活も、研究のための優遇措置という理由が大きかった。娘の存在は未だに多くの国の組織や機関から注目されており、母は娘の行方が誰かの知る所にならないようにずっと気をもんでいたのだ。
紐奈は自分の生まれの特別さが何より嫌いだった。自分を狙う大きな力が実際に存在しており、血眼になって行方を追っているという事実が何よりおぞましかった。
もうあれから何年も経ち、さすがにほとんどの人間の記憶から風化しただろうが、それでも自分が何かの利益になる存在として使われるなど耐えがたかった。そうじゃない、普通の人間として生きたいだけだったのだ。
だから、あの場所から紐奈は逃げた。そして地球をさまよった果てに、この金手にたどりついた。
そして調に会い、多くの仲間に恵まれたが決して両親を忘れたことはなかった。
目の前に母がいることが、嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分自身に娘はどうしようもないもどかしさを覚えた。
(私は人間として生きたいのに――私のこの部分が、それを許してくれない)
「また、戻るつもりはないの?」
玲於乃はとくに重々しい様子は見せずに尋ねた。
「冗談じゃない。私はもう二度とあんな生活は送りたくない」
「けれど、紐奈があの生活を受け入れることで、私も紐奈も、また一緒に暮らせるのよ」
「でもそこに、人間としての喜びなんてないよ。確かにここでの暮らしは大変なことも色々あるけれど、それでもあそこでの水槽みたいな日々に比べればずっといい」
紐奈は、訴えかける。
「私は、実験材料なんかじゃない。私は、人間」
少しだけ、母の表情が緩んだ感じがした。
「いつの間に、そう思うくらいに成長してしまったのね、紐奈。まさか、そんなに人として強い意志を持つようになるなんて」
ぼんやりと光る街灯を眺めながら、
「最近、またこの周辺でも別の生命体が観測されるそうじゃない。音波による自己保存を可能とした生命が」
「ミューノイズのこと?」
「ああ、そうも呼ばれていたわね。どうやら彼らも政府機関に存在を認知されてるそうよ。彼らが音を使って存在を維持する仕組みが、医療とかに応用できるんじゃないかって」
紐奈は、あまり興味が持てなかった。あいつらがどれだけ怖ろしいのか、街の外の人々は知らないのだ。
「父さんに会わせて」
「残念だけど、私にはできない。もう、私は所属が変わってしまったから。けれど一応、まだ連絡は取ってるわ」
「本当? じゃあ、最近は何をしてるの」
「時折外に出たがってるみたいね。行動の制限はされていないから、外に出ることもあるみたいだけど」
「じゃ、もしかして会えるの?」
紐奈は、少しだけ希望を抱いた。
父には、確かに会いたかったのだ。またあの父の光に照らされることができるのなら、喜んでそうする。
けれどこの数年間、様々な実験を受けさせられたのではないだろうか。そのことで、地球人を恨んでなければいいのだが。
「私は……もう一度父さんと話をしたいの。元気にしてるって伝えたい」
「金手にいる、ということだけは伝えてあげるわ」
「そ、そうしてよ。私、光子生命体なんかとは同じ奴らだと思われたくはないけど、父さんは大切だから」
すでにこの地球には多数の知的生命体が住み着いている。彼らの多くは地球人にその存在を知られることもなく、社会に溶け込んでいる。
だが全く何の問題もないわけではない。この金手や他の地域で起きているミューノイズとの戦いがそれだ。
だがミューノイズも好きで暴れ回っているわけではない。彼らは謎の声の命令に従っているだけなのだ。そしてそれは、音代たちも同じこと。
紐奈は、あの謎の声に関しては何一つ話さないことにした。依然として正体不明だし、もしそれについて少しでも話せばまた研究機関から詮索されそうな気がした。
音代の力は、どこから湧いて来るものなのだろうか。もしかして音代の体の中にミューノイズが宿っているとか……?
「紐奈は、ミューノイズと共存できると思う?」
「難しいと思う。だって、強い奴がいるから」
「音代と呼ばれる人たちのことはよく知らないけれど、あなたが彼らから身を守るために役に立つものを持って来たわ」
そして、リモコンのような細長く、厚めの装置を紐奈に手渡した。
「光子生命体の光の出力を制御してくれるよ。あの人の実験の成果で、開発されたの」
紐奈は、大声を出しそうになり、落ち着くのに必死だった。
「まさか……ひどいこと、したわけじゃないよね!?」
母は、低い声で言った。
「ただの非道な実験で終わらせるかどうかは紐奈自身よ。あなたの光子生命体としての性質は単に科学の役に立つだけじゃない。音代として、多くの人々を救うのにも役に立つでしょう?」
「音代のことを知ってるの?」
「ええ。紐奈が彼らと一緒に戦っているのを私は、ずっと見てきたの。それから少し考えが変わってね。昔は、あなたを娘としてだけじゃなくて、科学の発展に役に立つ道具だと思っていたけれど、今では、みんなの役に立つ守り人と思うようになってきたの」
「守り人……」
紐奈は、自分の率直な思いを素直に吐き出す。
「私は……みんなの役に立ちたい。科学とか、よく分からないけどさ、目の前の困ってる人のために役に立つことをしたい」
紐奈は、それから告げる。
「絶対に父さんに会ってやる。そして、幸せをつかみとるんだ」
紐奈は空を舞った。
そして、目の前にミューノイズの強い気配。
「さまよえる旋律! どうして、勝手に外に出ているの!?」
旋律はにやりと笑い、
「おいおい、勘違いされちゃ困るな! 俺は弓刃様……弓刃の奴の頼みで迫りくる轟音の気配を探してる所なんだ。もうすぐまた奴が襲いに来る可能性が高いからな」
「悪だくみ、してないよね?」
「何を言ってやがる。俺はあいつらの元に戻るために協力してやってるだけさ。ただ目的をまだ達成してないから、悪さをしないでやってるだけだ。それを忘れるんじゃねえぞ」
にらみつける紐奈。
「轟音を倒したら、また前みたいにみんなを襲うってわけ?」
「当たり前だ。だからそれまではせいぜい仲良くなろうや」
力のない笑みだ。こんな奴に何を言っても無駄だと自嘲するかのようだ。
先ほどのやり取りを思い出し、紐奈は、笑った。
「いいよ。もしみんなに手を出したら、ぶっ倒してあげるから」




