Session.24 予期せぬ再会ダブルフラット
弦奈はまさしく、彼のことを知っていた。
「前よりも強くなれただろう?」
妹の前で姉は、なすすべもなくこの鎧に音色を奪われたのだ。
調や鍵二たちが取り返してくれるまで、弦奈はほとんど演奏をすることができなかったのだ。そして、再び力を取り戻し、ようやく元のように戦えると思ったら。
「弦奈さん!」
調は叫んだ。しかし、弦奈はヴァイオリンを肩から少しずつ降ろしつつあった。
木枝による攻撃の支援も、いつの間にか途絶えていた。
「弦奈はん、何やってん?」
軸実が変わらず音色を刻み込もうとするが、氷のように凍てついた音色は、轟音の表面からほとばしる重々しい空気によってたちどころに砕け散った。
三人が動揺を隠せない中、上空を旋律が疾駆し、
「よせ、そいつは『迫りくる轟音』だ! 俺が相手をする!」
「さまよえる旋律か。貴様ごときが勝てる相手だと思うな!」
轟音は叫んだ。
「くっ……!」
すると、旋律は嵐のように吹きさすぶ音色に堪えられず、弾き飛ばされた。
弓刃はヴァイオリンの弓を振り絞ったが、轟音の固い装甲にきずを一つもつけることはできなかった。
轟音の鎧の隙間から不協和音の響きがほとばしり、音代の耳をつんざいた。
「さあ、次にやられたい奴は誰だ!?」
轟音の音色の音量が一気に高くなった瞬間、サックスの音色が飛んだ。サックスの音は横に伸びながら空間を漂い、轟音との間に壁を作り攻撃を防いだ。
次の瞬間には軸実の琵琶の音がすかさず氷の破片となって轟音に飛んで行った。
しゃらくさいとばかりに轟音が腕を振り上げ、叩き壊そうとした瞬間、轟音の動きが急にゆっくりになった。
「鳴我さんの音色だわ……今のうちに!」
軸実はまだあきたらない様子だったが、この事態に至ってはどうしようもなかった。
数十分後、迫りくる轟音の気配は消失していた。今回の襲撃はほんの小手調べであり、本格的な行動はこれからなのだろう。
だが、人々は不安なままだった。何しろ、重苦しい音色をあげ、不協和音で人間の耳をつんざくあの鎧の男の姿を目撃してしまったのだから。
調たちは、高校の前の広場に集まっていた。
金笛伊吹は、非常に申し訳なさそうな顔をしていた。
「すみません。僕がもう少し早めに来れていたら……」
「そんな。伊吹さんがいなかったら、私たち、今頃どうしていたか分かりませんでしたから」
大弓鳴我はベンチの上でコントラバスを抱え、疲弊した顔をしていた。
木枝は、非常に恥ずかしそうな顔をしていた。
「すまへんな。あの男をいてこまそう思うたら、途端に音が聞こえなくなって攻撃できんくなったんよ。別の強いミューノイズの力に違いあらへん」
「私、多分そのミューノイズを見たかも知れません」
「え?」
「金手フェスで旋律ともう一人、空中に立っていた人がいて。あいつが現れた途端、途端に全ての音が聞こえなくなったんです」
旋律は、腕を組みながら教えてやった。
「『ざわめく静寂』だ。俺たちの間ではそう呼ばれている」
その異様なあだ名に、調は鳥肌の立つような気分がした。
音楽を否定し、沈黙させる者にふさわしい名前。
だが、そこにもう一人の少女が近づいて来る。
「……調」
篳篥だ。もはや野次馬のような顔ではなく、実に恐怖でうちのめされたような表情を浮かべている。
やはりあの時の戦いが相当な恐怖体験だったのだろう。
弓刃は篳篥に近づき、険しい顔で詰め寄る。
「あなたのせいよ! あなたが騒ぐからあいつを倒せなかったじゃないの!」
篳篥は顔をひきつらせ、何もできずにおろおろするばかり。
「やめてください!」
調は弓刃の腕をつかみ、叫んだ。
「こんなことをしてもどうにもならないでしょう!?」
弓刃ははっとして、硬直した。
調は、篳篥に対してやや苛立ちがなかったわけではないが、元はといえばミューノイズのせいだ。
「私たちは……守るのが使命じゃないですか!」
「調の言う通りよ。誰も悪くない」
弦奈は言った。弓刃は何も言い返せなかった。
篳篥はやましそうな顔をした。ようやく、これが他人事のようにスクープできることではないと気づいたらしい。
「あれに襲われたら……どうなるんですか?」
おそるおそる尋ねる。
「音なんてのを聴けなくなる。どんな音楽を聴いても、耳鳴りにしか聞こえなくなるの」
「じゃ、じゃあ……どうやってそれを元に戻すんですか?」
「あれを倒すしかない。でも倒せなかった。だから勝つまで、待つしかない」
寂乃は、彼の重苦しい声にひたすら恐縮していた。
「ごめんなさい。私なんかが、首をつっこんじゃって」
旋律は、人間たちの言い争いを他人事のように眺めていた。彼にとっては音代以外の人間のことなど関心外だった。
(俺たちの先祖もこんな風にいがみ合っていたのか。やはり分散して正解だったな)
「調、何があったの!?」
倉香の声。それから、盤子、有亜、鼓と星々が走り寄って来た。
「みんな……」
「ミューノイズが来たのは分かってる。強い奴だったの?」
鼓は、浮かない顔だった。やはり、こんなことに巻き込まれねばならないのが嫌で仕方ない様子だった。その感情に憤りを覚えつつも
調がなかなか話し出そうとしないのをのを見て、互いに顔を見合わせた。
調は、仲間の前ではせめて明るい顔をしようと思っていたが、いざ彼らに顔向けするとそんな風に気持ちを偽ることなどできなかった。
『ごめん』とでも言うべきなのだろうか。そう迷っていると――
「何、落胆してるんだよ」
「……有亜」
「私に勝ったんだからさ! もうちょっと胸張ってたっていいじゃん!」
「有亜……」 倉香が静かにその名を呼ぶ。
「私さ、やっぱり調に対してやましいことはあるけど……でも、やっぱり大切な仲間なんだ」
「私は信じたいんだ。調なら、やってくれるよ。絶対に」
(信じる方は、楽でいいな)
うなずく倉香と盤子。渋々同意した顔を作る鼓。
調は、有亜の言葉を喜びたかった。だが、そうしきれないことがどうしても悲しかった。
「調。授業が終わったら……今日はじっくり休みなさい。やるべきことはたくさんある」
ギターを抱えた少女に向き直る弓刃。
「はい……そうします」
調は帰宅した。するとそこでは変わらぬ日常がそこにあった。
「大変なことがあったみたいね」
「……うん」 力なくうなずく調。
「みんなが無気力になるようなことがあるって言ってたけど。大丈夫よね?」
「も、もちろんだよ」
母は穏やかな声で言った。
「何があっても私はここにいるから」
あまり深刻な内面を追究しないでいてくれるので、調は肩の荷が少しだけ降りた。
「ありがとう」
母がいる一時が、今はとてもありがたかった。
だが、再び陰鬱な気分になってしまう。
調は、風呂に入ってからもなかなか憂鬱な気分を晴らすことができなかった。
より強大な敵が現れたという事実。そして、敗北してしまったという事実。
そしてその先にある未来とは何だ?
調は、部屋の中で静かにひとりごちた。
「もう……みんな、演奏を聴けなくなるかもしれない」
「そ、そんなことさせちゃだめだよ!」 スマホの中から、慌てて言う紐奈。
「そうさせないために私たちがいるんじゃない! 私たちがあきらめたら、誰がみんなを守るんだよ!?」
「分かってるよ……! でも、敵はもっと強いんだ。どうしたらあいつに勝てるのか、全然見当がつかない」
調は声が若干きつくなってしまったことに自分でもすまないと思った。
二人はそのまま黙ってしまった。
突然、嫌な予感、むかむかするような感覚が体の奥底から二人とも湧き上がった。
何かのざわざわした雰囲気の音が、耳の虫として調と紐奈の頭の中に。
これはミューノイズが出現した時に感じるものと同じだ。
そして果たして、自然界で聞ける何の音とも近くない雑音が部屋の天井近くへと凝固し、人の形をとっていく。
「よっ! 調ちゃん!」
さまよえる旋律が、そこに現れた。
紐奈は険しい表情を浮かべる。
「さまよえる旋律! よくもぬけぬけと……」
「だって鶴舞弦奈から許可をもらったのさ。もう少し音代と交流を持った方が色々話が通じやすいって」
「何それ? そうやってミューノイズの方を有利にしようって魂胆じゃないよね?」 紐奈は旋律を信用できなかった。
「ああ、それもある。だがミューノイズのことをもっと知ることができるだろ? つまりどっちにも利益があるわけだ」
「じゃあ言ってみてよ、あれ――」
旋律が機械的に反応。
「私たちの弦奈お姉様は永遠に最高です!」
「あー、そういうのもういい」(これだと、当分悪いことはしでかせないわね)
調のあきれ顔で、むしろ紐奈は安心した。
(良かった。意外と元気じゃん、調)
「私、ずっと旋律に聞きたいことがあったんだけど」
「ん?」 旋律は首をかしげた。
「どうしてあの時、助けてくれたの?」
「助けただと?」 怪訝な声で旋律。
「でも、結果としてそうなったじゃない」
どういう感情になればいいか、この若いミューノイズは分からなかった。
「俺は、あいつに音色を奪われたくなかっただけさ」
「でも、そうやって旋律が静寂に立ち向かってくれなかったら、私たちは一貫の終わりだった」
旋律は、まごついた。調にはあまり恨んでいるような様子が見えなかったからだ。
「……調はこいつに射貫かれた時のこと、許してるの?」
「許してないよ。……ただ、ミューノイズが単に暴れてるだけの敵じゃないってのが分かった今、交渉の余地があるかもしれないじゃん。この戦いを、終わらせることができるんじゃないかって」
旋律は、しばらく考え込んでいた。
このような戦いは、彼にとっても不本意なものだった。しかし、一度始まってしまった衝突の連続を、どうやって個人の意思で止められるのだろう。
「そりゃあ無理な頼みだな。俺だってお前らに仲間を殺され続けてるのを恨んでいるんだぞ」
旋律は、感情を抑えた声で言った。
「かりにあの謎の声の主が同じで、戦わされてるのだとしても、今更仲良くするなんてもってのほかだ。そんな誘いでやめられるか」
「そっか。最初から仲良くしあえる道も、あったのかもしれないのにね」
(どうして? 何で、調はそんなに落ち着いていられるの?)
紐奈は、調の態度が疑問で仕方なかったが、調はもうそれ以上この件について触れようとはせず、
「『ざわめく静寂』があんたたちのボスなの?」
「いや、対等さ。まあまとめ役ではあるがな。ミューノイズの中でも高い自我を持つ奴が俺を含めて五人しかいないんだ」
「じゃあ、孤独なんだね」
「そう感じたことはないさ。だってこの世界は音に満ち溢れているじゃないか」
それが彼らにとってどういう意味の発言なのかと思うと、調はあまり感心できなかった。
「その音を自分たちの物にして、何をのうのうと――」
紐奈の発言ももっともだったが、調はもっと知りたいことがあった。
「その静寂って、どんな人なの? 厳しい人だったりする?」
旋律は天井に立ち、真っ逆様の状態で調を見据えた。
「厳しいというか……薄気味悪い奴さ。元々人間だったのが、身体を捨てなきゃいけなかったからそのせいであんな風になってるのかもしれない」
「人間としての体を捨てるのって、痛いことだったの?」
「痛いというか、自分が自分でなくなるような感覚を味わうものだったらしい。だから執着するんだろう。あいつは人間界だと――」
しかし旋律はそれ以上話すことができなかった。スマホから着信音がしたからだ。
「あっ、鍵二さんからだ」 すぐに通話を始める調。
旋律は気配を消した。
鍵二の声は、最初から深刻そのものだった。
「やあ、調。強いミューノイズが現れたんだってね」
「はい。伊吹さんの協力でなんとか逃げおおせることができました」
「そうそう、ちょうどここに律真がいるんだ。代わってくれるか?」
「あぁ?」
(二人、どこで何してんの?) この時ばかりは、紐奈も調も同じ疑問を浮かべていた。
「え~と、律真さん? 今何してらっしゃるんですか?」
律真はやや息を荒くしていた。衣擦れの音とか床を踏み鳴らすような音がした後、
「別にお前が心配だったわけじゃねえ、ただ何かあったのに連絡をよこさないとなるとさすがに気が引けるだけさ。こういう時は……さっさと眠れよ。無理すんな」
こんな気遣いをする律真など想像もしなかった調は、くすりとした。
しかしすぐに鍵二の声が混じった。
「ぐっすり休むのもいいが……気分転換に、ゲームセンターに行かないか? 最新鋭の技術が用いられているんだ」
調は意外な感じがした。
「鍵二さんってそういう所行くんですか?」
「伝統的な楽器を触れているからこそ、そういうハイテクにも自然と関心を持つようになるのさ」
調は返答に窮した。別にそういう所に行きたくないわけではない。しかし、何かもやもやする。
「なあに、雑音だからミューノイズが現れる心配はない。今日みたいに戦う必要なんかないさ」
戦う必要がない……。
ミューノイズに音色を奪われた人間は、音楽を感じることも作り出すこともできなくなる。
ただ、ばらばらの音が散り散りになった騒音が集まる場所にしか、人間がいられなくなる。
「分かりました、行きますよ」
「おい、本当に行きたいと思ってるのか? 今一瞬ためらったぞ?」
律真の指摘に心の中を見透かされたような気がして、調はひやっとしたが、すぐにごまかした。
「まさか。私、律真さんや鍵二さんが一緒にいてくれる方が心強いので」
「よし、じゃあ決まりだね。明日、音楽堂でチ・ヴェディアーモ!」
こうして通話は終わった。
旋律が口を開く。
「人間って、そんなに分かり合えないもんなんだな! 結局どうやっても理解し合えるのを選ばなきゃいけない。こりゃ笑わせるよな。やはりミューノイズが音楽を管理した方が良さそうだ」
調はむっとして、机にたてかけたギターに手を伸ばす。
「おっと! 俺はざわめく静寂をお前らと一緒にやっつけるまでは人間を害するつもりはないぜ。それまでは一緒に仲良くなろうや」
「ふん……」
不適な笑みを浮かべたまま突っ立っていた旋律。実際、
(そんなわけねーだろ。頃合いを見て裏切ってやる!)
旋律の目を見ていると、調はやはり腹が立ってきた。
このミューノイズが、再び人間を襲うようになることは疑いない。だからといって、安易に始末してしまえば彼らの内情を探ることはできなくなる。
ならば、心をゆさぶるべきだ。
「作曲をしたことはある?」
「自分でやりなよ。他人から奪った音色で奏でるんじゃなくてさ」
それから調は棚をさぐり、
「ほら、ここにおもちゃのピアノがあるよ。これで演奏してみせてよ」
「何で俺が人間にそんなことをさせられなきゃいけねえんだ」
むっとする旋律。
「私たちが親身に付き合ってあげてるんだから、ありがとうの一言くらい言ったら?」
半ばミューノイズをからかうためでもあり、半ば今日の無念を八つ当たりぎみに晴らすためでもある。
「ねえ、どんな音楽がいい? シリアスなのがいい? ポップなのがいい?」
「自分でやるよ」 旋律は苛立った顔で。
「楽器、弾けるの?」
「笛はきちんと吹けるし、ピアノくらいどうってことはない……」
紐奈が旋律を真横からじっと見る。
「じ、じろじろ見るな!」(ちっ、音代二人じゃ分が悪いな)
旋律は、今まで聞いたことのある音楽を思い返しながら。
そして、何となく心に浮かんだ音を雑然と弾いていく内、
「うわ、形になってる?」 感心したように調。
旋律は、じれったくなりながら、さらにキーを押した。
そしてそれがほとんど完成に近づくと、
「すごいよ。あんた、やるじゃん」
調は笑顔を見せた。旋律は気恥ずかしくなって、
「そりゃ、音楽生命体だからな!」
それから音代はふてくされ、
「私はね、あんたを褒めてるんだ。人間を襲ってないで、そういうことをしてみんなに褒められていればよかったのに!」
(褒められる?)
旋律にとって、それは初めての感情だった。静寂の命令に従って、戦果を挙げた時にかけられる称賛とは違う。もっと素朴で、純粋な何か。
「俺を……褒めてるのか?」
「そうだよ。でも、だからこそ許せないんだ。あの時に一緒に演奏できたら良かったのに、結局そうしてくれなかったんだから」
(俺はこんな気分になったことがない。音代を倒して得意げになる時とは別の感情だ、これは)
「どうしたの? にやけてる感じだけど」
不敵に笑う調と紐奈。
(くそ、この感情は何だ? これは戦って理解できるものじゃない――何とかして調べねば――)
しかし、時計を見てそんな思考は一切吹き飛び、旋律は取り乱し始めた。
「しまった! もうこの時間だ! 弓刃様! お許しくださいぃ!!」
そして、雑音をまき散らしながら消滅する。スマホの液晶画面に、もう紐奈の姿が戻っている。
「弓刃さん、あそこまでミューノイズに厳しい教育をするなんて……一体どんなことをしたんだろう?」
「さあね」 調の気持ちは、少しだけ軽くなっていた。




